しかし事は終わらない。終わってはくれない。
そこからまた、トゥビィコンティニューとなって第二シリーズが始まるといった運びとなる。
終わりは何時も次の始まりを予告する。もう終わりだ!と悲観して見せたりするけれど本当は終われない事が辛いのである。
想いの他、自分はタフだし周囲は好意的だったりして、また『新たな始まり』へと展開していく。
僕にはそんな巡りが似合っているのか?……その終わりだ!と次の始まりを通り過ぎた辺りから発展系の事態が開けてくるという運びで生きてきた。
捨てる神アリと拾う神アリという現象の繰り返しを何度も経験した。
そして何にせよ未来に近い所で起きる現象にはより高い必然性が含まれている事を学んだ。
あらぬ振る舞いにその後、修正に努力する一握りの人間もいるし知らぬ存ぜぬの多数派もいる。
それを含めて必然性というものを含んでいる事象の運びは自然である。
自分が事の運びに関われるのはほんの一端に過ぎない。あとは時の流れの必然性が決定している?そんなニュアンスを学ぶと『悪足掻き』は随分と減った様な気がする。
自分の感情とは無関係な大きなうねりの様な運びの波の上で自分が出来ることは限られてる……それを学んだからだろう。
自分の意のままに運べるのは……自分の心のみ。
自分の感情に負け、怒り、恨みに翻弄されて自分の心まで『持ってかれる』……。その様な事態だけは避ける努力が出来る様になったと思う……。
そんな負の状態の心は時間の運びを止めてしまう。結果自分はずっとそこに括られ身動き取れなくなる。
酷い目は他人から頂くだけで十分である。
せめて自分の心だけは自分の味方でいて欲しいと思う……。
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