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5次元で感じた共通した体感のような一体感。言葉はどうなる?

2024-02-29 21:53:45 | 日記
5次元で感じた、と大胆なお題目にしましたが読んでいただいている方はお解りのように、わたしの仮説?妄想?の話の続きです

幸せはこわいのか → まだまだ浅い理解ですが3次元とか5次元のはなし → 今回 です。

言葉はどうなるのだろう、と思いました

もしバイブレーションで感じることができるのであれば、言葉は必要なくなるのか?

わたしはあなたで、あなたはわたし。

そういう…ワンネスみたいなやつ?


いや、待てよ。

この地球にはいろいろな状態の人が共存するんだ

宇宙は自由意志だという

自分で決めていいらしい

アセンションシしてもいいし、

3次元に留まり今のままやりやすい生き方を選択していいのだ

そうなるとやっぱり言葉は必要だ

共通のツールだものね


ちょっと話がそれるかもですが、ワンネスという感覚

あなたはわたしで、わたしはあなた みたいな感覚

じぶんという個を理解すると孤独になる

じぶんは一人だと認識するから。

じぶん一人だとじぶんを理解しづらくなる

じぶんを認知するのは意識的である必要があるんだ

わたしは今ここに居る

これをしている

わたしは今これを考え感じていて手足を動かしている

この時に他を基準とすることでじぶんを理解しようとしたり、じぶんの輪郭をつかもうとしたりするときに起こるのが比較だ

そうやって個を見分けようとする

そうか、じぶんであり続けることを

他者を利用しないでやろうもすると、

じぶんを信じることが必要なんだ

そうしないとわからなくなる


比較しなくてもじぶんを理解する

あのひとより〜とか

人に比べて〜とか、そういう事をしないでじぶんを理解する。

それは、わたしの存在を私が認める、

認知する必要があるのだ


だから高次の人たち、大天使さまとかそういう人たちは(人たちっていっていいのか?まぁ、ちょっと便宜上人たち)めっちゃじぶんを信じろと言うのですな…きっと。

個がないとワンネスとかあり得んのだな、たぶん。

はは~ん・・・・なるほどな。


なんかだんだん話が逸れているので、今日はここまでにします

一体感のような感覚で言葉も使わずにスムーズに生活していたようだけど、言葉もいらなくなるのか?と疑問に思いいろいろ考えました

そもそもいろいろな状態の人が地球にはいるのだから、言語は必要なんだと着地しました。


じぶんを信じないと、比較が必要になる可能性があり、それが二極化の始まりだったりして?というところまで拡大しました。


しばらくこのようなわかりにくい、わたしの妄想話が続くかもです。




まだまだ浅い理解ですが、3次元とか5次元のはなし 補足しました!

2024-02-29 10:01:06 | 日記
『幸せはこわいのか』のブログを、読み返していてふと思ったのです。
これってもしかすると、3次元とか5次元とかそういうアセンションみたいな話として理解することもできるのかも?と。

次元とかアセンションはいろいろネット上にも出ています。いろいろな理解があるのだなぁと、思っています。
今のわたしの、解釈のもと話を続けます。

3次元とは物資の世界。そして二極化。
努力し獲得する
正しいか正しくないか
のような世界観
これはまさに二極化星人のわたしのことだと思った。努力し足りないところを補ったり、獲得したりそういう生き方。
ずっとそうやって生きてきた!

あの豆の木の下の世界が、3次元の世界だったとも理解できる。豆の木を登ることは次元の上昇で到着した先は5次元の世界だったのではないか。

豆の木の上の世界は全く違ったのだ。
そもそもが満たされていた。
豊かで余裕があって笑顔だった。
望みはすぐに叶っていて、それを元にさらに皆で何かを作って過ごしていた。
なんか言葉がなくても、共通の感覚なのかスーッと進んでいたのだ。
で、これがもしかして噂の5次元の感覚だったりして?と思った。
あきらかに努力してなにかを頑張っているかんじがしなかったのと、共通の感覚みたいなものがあったのが印象に、残っている。
言葉がなくなっていたわけではないと思うけど、それ以外の共有している感覚があった。
今までとはなにか…エネルギーの使い方も違うような気がする。
意識しないときはなんとも思わなかったけど、なんか突然あれ?って思った時の感覚が本当に戸惑いだった。3次元の感覚が戻った時に5次元の世界に戸惑ったのかな、と思ったのです。

エネルギーの使い方ももしかすると、バイブレーション的に共有しているとしたら、あの感覚も腑に落ちるのです。言葉で多くを語らずとも共通の何かで、やっていける。

、また思ったのですよ。
だから自分のバイブレーション、感情が大切なんだと。わたしの気持ちなくして、存在が難しいのではないかと。だって、バイブレーションの世界かもしれないから。共振を利用しているかもしれないから。大天使さんたちの言っていることもわかる気がしてくる。じぶんを信じられないとじぶんの感情を信じられない。

なんか…ちょっとなるほどねぇ〜な感じにひとりなったのです。


まだまだ理解の浅いところだけれど、感覚的にあの豆の木の話は次元の上昇の話にもみえるかな、と思ったのでシェアしてみました。





独りよがりの正義

2024-02-27 14:59:31 | 日記

以前調和の話を書いた

調和と同じく正義も私のなかでとても重要なことであり、正義を通してとても大切な気づきがやってきた

今日は他者の『私は悪くない!』という怒りに期せずして触れて、また昔を思い出した

ちなみにこの怒りは直接ではなく、文章で触れたのですがやはりなんだか昔を思い出しました

これから書くことはこの『私は悪くない!』とは関連は全くないのです

とてもとてもわたし個人の気づきです




潔白である事はとても大事だった

わたしが問題ないことは私を安心させ、

ここに居ていいことの象徴であった

だから問題がないこと、間違っていないことそのすべてが

必要で、そうでないとわたしはここに居られないような気がしていた

わたしの存在が危ぶまれるという感覚だったと思う

でも、正義を主張することはなぜかいつも対立を生み、わたしの望むような感じにはならなかった

問題は解決したかのようでいて、最後はいつもなんとも後味の悪いものが残り、わたしは正義を勝ち取り鼻息も荒くいたような気がするけど、全然うれしくもないし平和な気分でもなかった

この終末感情だけは納得がいかないものだった

この終末感情がおかしいからこそ、心理でもセラピーでも扱って手が届いたわたしなりの着地点がある

実は調和と正義に関する気づきは同時に起こってわたしをこれまた激しく号泣させ、横隔膜が痛くなって動けなくなったのだ



正義は言葉こそあれ、その時々状況によってかわる

本当は定義できない。

調和と同様にこれもまたひどく揺れる代物なのだと理解した

わたしが信じた調和も正義も定義しきれないのだ

わたしの正義は独りよがりの正義だったんだとその時思った



正義の女神テミスをご存じだろうか

目隠しをして左手に天秤を持っている


天秤の皿はゆらゆら揺れるのだ

何かをのせ計るときでも、ちょうど同じを指しピタリと丁度をしめすことは難しい

むしろそれでいいのかもしれない

昔ははかりでお野菜を買っていた時代もある

おまけもあった

その人がよいと思えばそれが丁度なのだろう

正義を決めるのは自分で自分でしかはかれない

わたしの世界の正義はわたしが決めたらいい

いや、わたししか決められないのだ、と痛感した

正義もまた他者へ求めるものではなく、わたし自身がわたしの感情とつながり、意識的に決断したり選択したら、それが正義なんだと理解した

外へ外へと正解や真実を求めることで自分の正義を振り回し

なんなら他人を傷つけていたのかもしれない、と思った時それは恐ろしかった

わたしは正しいのではなく問題児だったかもしれないと怖くなった

でもそうやって自分を守ってきたんだなというところもわかりますます泣いた記憶がある

この時からわたしは『じぶんとつながりわたしを生きる』ことがテーマになった気がします

じぶんとつながることでしかわたしはわたしの人生を生きられない、とその時思ったのです


でも、これ久しぶりに思い出したんです

4年ぶりくらい

ブログ書くことになって、いろいろ思い出して久しぶりに書きながら思い出したのですよ

なんでこんな大事なこと忘れてたんだろ?と今は思っています

なんか不思議な感じです



スピリチュアルの学びの途中の今思っていること

2024-02-26 21:33:01 | 日記
学びの途中だけど、ちょっとなんとなく思っていることがあるので、今日はその事を書いてみます
いつにもまして、わたしの妄想です。

チャネリング修行中だからこそ、なのかもしれないが思うことがある。
高次の周波数はすごくシンプル
例えばじぶんを信じることを言っているときも、どうするとじぶんを信じられるのか、とかそういうやり方論は言わない。
きっぱりしていて、すごくシンプルだと思う。
それより周波数が下がるということは、情報がよりのってくる、みたいな感じだ。
でも、ああしろこうしろって言わないんですよね。みなさん。
じぶんを信じることが、大事なんだなってわかるけどそれができないのよっていうときは、同じ人間に聞いたほうがいい気がする。
どこに引っかかっているのか、は人それぞれだしそういう事は心理の学びやセラピーなどを使ったほうが明解な気がした。
もちろん心理学的なものだけではなく、ひろく宗教とか他にもいろいろな教えも役に立つはず。

いや、もしかするともう少し学びが進むと違うこと思うかもしれないけど…。
まぁ、だからこそ今日までの理解を残しておこうと思ったのです。

わたしは心理の学びからセラピー、そしてスピリチュアルへと移行しているのだけれど、この連続的な学びが必要だったんだろうな、と改めて思う。

心理の学びでわたしの認知の世界は一度再構築し直され、セラピーでさらに感情の扱い方を學んで、(いや、心理もセラピーももっともっといろいろたくさん学んだんですけど…書ききれないので。)スピリチュアルを学んでいる今。1年くらいしたら、わたしはなんていうのかなと今から楽しみにしている。







どうしたらいいのかわからない

2024-02-25 12:47:08 | 日記
わたしが二極化星人であることは以前のブログでも書いている
今のわたしはその傾向はだいぶ減っていると思うけど、ピンチになるとやっぱり
「ええええ!そんなのどうしたらいいのかわかんないじゃん!」と言っている気がする
『「どうしたらいいのかわからない」から迷うんですよ。困っているのですよ』と習った時のことを思い出し、
わたしは自分に「落ち着け落ち着け」と声をかけて仕切り直す

心理の学びは本当にわたしの認知をことごとく打ち砕いた。
と、同時にその先にまったく新しい世界があることを教えてくれた
このころに衝撃を受けたことはいくつもあって、今のわたしを支える大切なことばかり
今日はそのことをぼんやり思い出しているので、そのうちの一つの『どうしていいのかわからない』について書いてみる

二極化星人はいつもいいか、わるいかを気にしている
やるのか、やらないのか、正しいのか間違っているのかそういう事
どっちが正しいのか、それが大事
いろいろと考えて判断を下すが、以前もブログに書いたけどだからと言ってうまくいかないことはだんだんわかってきていて
わたしは困っていたように思う
予想外の反応や、結果に驚いて「何が悪かったのか」を繰り返し考え次は間違えないようにしないと、と思っていた
さんざん考えているのに、なかなか満足いく結果が出ない気もしていた
後悔も多かった。やっぱりああしておけばよかったんだ、とか選ばなかったほうが正解だったと残念がったりしていた。
よく考えればわかるのですが、それでも思うような結果が出るとは限りません
だって、選択肢はわたしが考えた二つだけのはずがない
でもその当時は、そういうところまで世界は拡がっていなかった


そしてわたしは仕事の都合で心理の勉強を始めることになるのです
そこで先にだした先生の言葉がまたわたしの認知を砕いた
『「どうしたらいいのかわからない」から迷うんですよ。困っているのですよ』と先生
『そういう時は自分がどうしたいのか、をじぶんにきいて下さい』
・・・どうします、わたし。
じぶんがどうしたいのかをじぶんに聞く。
ヤバいですよね。そんな自分勝手許されます?
じぶんがどうしたいのかなんて、ご法度では。

どうしたらうまくいくのか、が大切だったです
失敗したくないし、嫌な気持ちになりたくないし
だからさんざん脳内でシュミレーションして、最善の選択を考えているのに
なんてとんでもない発言でしょう

先生はいいました
『だって、だって!人の気持ちわかります?考えていると見えてくるのですか?やってもいない結果は、さんざん考えると見えるのですか?
すごいですね。それいいですね』と
いや、そうですけどね。じゃあどうするの。何を頼りに生きるのですか!
『じぶんはどうしたいのかをじぶんに聞いてください』


一つずつ扉が開くように進みます
まず、じぶんの気持ちに気づくことが大切です
その気持ちに気づけば、例えばそれを伝えるのか、伝えないのかそのゾーンに移動します
伝えない場合は伝えない、を選択します
伝える場合はじゃあどうしようかなと方法、やり方の検討に移ります
そうやってじぶんがどうしたいのかを知ることで次の扉が開くので
全部言わないで少しだけ伝える、ということももちろんありますね


このまま言っていたのではないかもしれません
これは今のわたしの理解のイメージなので。
でもこういうことです

どうしたらいいのかな、ではなくて
わたしはどうしたいんだろうと自分にきくことが大切です、というこの最初の学びは今のわたしに続いています
チャネリングも練習していて気づいたのですが、このじぶんへの信頼が薄れているときにはうまくできないのです
自動書記の練習なんて、パソコンの前に座っているだけでなにもわからないのです
分散しているときもそうです
感情は邪魔で感じないほうがいい、と決断したわたしですが、今はなにがなくてもしっかりとじぶんとつながり、私を生きる必要があると思っています