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独りよがりの正義

2024-02-27 14:59:31 | 日記

以前調和の話を書いた

調和と同じく正義も私のなかでとても重要なことであり、正義を通してとても大切な気づきがやってきた

今日は他者の『私は悪くない!』という怒りに期せずして触れて、また昔を思い出した

ちなみにこの怒りは直接ではなく、文章で触れたのですがやはりなんだか昔を思い出しました

これから書くことはこの『私は悪くない!』とは関連は全くないのです

とてもとてもわたし個人の気づきです




潔白である事はとても大事だった

わたしが問題ないことは私を安心させ、

ここに居ていいことの象徴であった

だから問題がないこと、間違っていないことそのすべてが

必要で、そうでないとわたしはここに居られないような気がしていた

わたしの存在が危ぶまれるという感覚だったと思う

でも、正義を主張することはなぜかいつも対立を生み、わたしの望むような感じにはならなかった

問題は解決したかのようでいて、最後はいつもなんとも後味の悪いものが残り、わたしは正義を勝ち取り鼻息も荒くいたような気がするけど、全然うれしくもないし平和な気分でもなかった

この終末感情だけは納得がいかないものだった

この終末感情がおかしいからこそ、心理でもセラピーでも扱って手が届いたわたしなりの着地点がある

実は調和と正義に関する気づきは同時に起こってわたしをこれまた激しく号泣させ、横隔膜が痛くなって動けなくなったのだ



正義は言葉こそあれ、その時々状況によってかわる

本当は定義できない。

調和と同様にこれもまたひどく揺れる代物なのだと理解した

わたしが信じた調和も正義も定義しきれないのだ

わたしの正義は独りよがりの正義だったんだとその時思った



正義の女神テミスをご存じだろうか

目隠しをして左手に天秤を持っている


天秤の皿はゆらゆら揺れるのだ

何かをのせ計るときでも、ちょうど同じを指しピタリと丁度をしめすことは難しい

むしろそれでいいのかもしれない

昔ははかりでお野菜を買っていた時代もある

おまけもあった

その人がよいと思えばそれが丁度なのだろう

正義を決めるのは自分で自分でしかはかれない

わたしの世界の正義はわたしが決めたらいい

いや、わたししか決められないのだ、と痛感した

正義もまた他者へ求めるものではなく、わたし自身がわたしの感情とつながり、意識的に決断したり選択したら、それが正義なんだと理解した

外へ外へと正解や真実を求めることで自分の正義を振り回し

なんなら他人を傷つけていたのかもしれない、と思った時それは恐ろしかった

わたしは正しいのではなく問題児だったかもしれないと怖くなった

でもそうやって自分を守ってきたんだなというところもわかりますます泣いた記憶がある

この時からわたしは『じぶんとつながりわたしを生きる』ことがテーマになった気がします

じぶんとつながることでしかわたしはわたしの人生を生きられない、とその時思ったのです


でも、これ久しぶりに思い出したんです

4年ぶりくらい

ブログ書くことになって、いろいろ思い出して久しぶりに書きながら思い出したのですよ

なんでこんな大事なこと忘れてたんだろ?と今は思っています

なんか不思議な感じです