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コミュニケーション~相手に合わせて伝え方をかえてみた~

2024-03-30 19:25:44 | 日記

人とのやり取りについてわたしは以前は難しいと感じていて、今は難しいけど丁寧にやろうと心掛けています。

少しコツがあることもわかってきました

相手を傷つけないように工夫しすぎて、「結局なにが言いたいの?」っていわれてへこんだり、「うんうん」って聞いてくれているからわかってくれているのかと思っていたら、全然わかってくれてないじゃん!って展開になったり・・・・はぁコミュニケーションって難しい、という経験は多くの方があるのではないかなと感じます

先日もその話で盛り上がったので、ここでもシェアしようと思いました

以下は先日の会話を少々変化させたフィクションです。

Aさんは話が面白くてやり取りが軽妙です。友人も多く社交的でも、時々ツッコミなのかもしれないけど軽妙すぎて言われて傷ついたり、笑いに変えて励ましているのかもしれないけど、なんか笑われてしまった感じになって微妙な気持ちになります

Bさんは非常に聞き上手。共感的でしっかり話をきいてもらえている感じや、励まされると心にしみます

でもちょっと遠回しな感じや、Bさんの本当の気持ちはわかりにくかったりします

この二人と友人である私さんは、誰かを傷つけないように気を付けて慎重に言葉を選びます

イヤなこともその時に伝えると思いのほか強くいってしまったり、きつい言葉を選んでしまったりする可能性があるので23日時間をおいて相手に伝えるようにしています。

このケースの私さんが「Aさんは丁寧に伝えてもやめて欲しいところが直らない。というかすでに覚えていない感じもする。それが不誠実な感じもしてモヤモヤする。Bさんはいい人なんだけど会話が遠回しでなんかわかりずらいんだよね。つい本当のところはどうなのよ、という感じがしてモヤる」というところからこの話は始まりました。

とてもわかる感じがする話だったので、今回も首がもげそうなほど頷きながらお話を聞いていたわたしでした。

わたしはBさんの多方面に配慮しすぎて意図が伝わりにくくなるところと、私さんがやっている相手にとって好ましくない話は少々時間をおいてから伝える、というやり方が頷きポイントでした

昔こういうことやっていたことがあるなぁと思ったのです。

わたしはコミュニケーションが難しいと感じているからこそ、いろいろと考えて方法としてひとつのやり方で全方向とコミュニケーションをとっていました

なので伝わりにくい相手ができることに昔は気づかなかったのです

わたしもこの私さんのような経験をとおしてやり方を変更したのです

コミュニケーションの方法は一人ずつ変えよう

相手によって伝わりやすい伝え方があるんだ、と学んだのです

これは研修をうけたコーチングがきっかけだったような記憶もあります

たとえばAさんみたいなタイプは瞬発力があるコミュニケーションだなと思います

こういう方は今ここで起こっているコミュニケーションの齟齬について伝えたほうがわかりわかりやすいようで、よく伝わるように感じました。

わたしにも指摘をすぐにするのですが、わたしからの困る、止めて、わかりません、もその場で伝えるとすぐに「OKわかった。それはごめん。」というタイプな感じがします(もちろん例外はありますけど)

Bさんは共感タイプで慎重で配慮型かもしれません

相手の話の感情面を感じることが上手で、感情に共感してくれるので大変心が慰められます

ですが感情を感じることが得意である事から、いろいろと考えて遠回しな言い方になったり自分の意見を言っていなかったりする場合があるように感じます。

こういう方には時々「Bさんはどう思う?」と直接その方の意見を聞く機会を設けたり、丁寧なリクエストをすることで優しい雰囲気で合意形成ができる気がします

自分にも聞きやすいタイプがあるように相手もいろいろなタイプがあるので、その人に合わせた伝え方ができるとスムーズなのかもしれないね、とその場でみんなでワイワイ話しました

改めてどういう伝え方が聞きやすいかをざっくばらんに雑談したのですが本当に人それぞれだったし、場面によっても違うよね、という意見も多くでました。

わたしはやっぱり「そりゃコミュニケーションは難しいはずだね」と心の中で苦笑してしまいました。


それはわたしが欲しい方の現実ではありません!と宣言する

2024-03-30 07:44:15 | 日記

宇宙はエネルギー、バイブレーションをキャッチするのだそうです

感情を感じている、その揺れをキャッチしている

大きな揺れは宇宙にとっては好ましいことのようで、好ましいというか分かりやすい、キャッチしやすいともいえるのかもしれません

だからこそ、すごくイヤだったり怒っていたり不快な感情のバイブレーションとうれしい楽しいのバイブレーションは同じような大きな揺れで、宇宙からしたら見分けがつかないらしい。

雑ですな‥‥宇宙。

わたしはそう思ってしまった(笑)

確かにエピソードがのることで、人間はうれしいよ~!とか悲しいよ~・・・となる

でもそのエネルギーの揺れ、気持ちの揺れ具合だけでみると同じような振れ幅や揺れになるのだろうとわたしも思います

なので怒っていたり、なんだよこれ!こういうのホントにイヤなんだよと思っていたりすると、宇宙からすると

「おお~こういうの良いんだね」と同じような体験を繰り返すことがある、と。

雑ですな‥‥宇宙。

そういう時は宇宙に「これはわたしが望んでいるものではありませんよ!」としっかり意思表示してよいのだそうです

たとえば、乗り物の席に座っていると、自分の前に立っている方がマスクもせず咳エチケットもせずに咳をする。

(あーなんかこういうのー。不快。でも好きでこういう状況にこの方もなっているわけではないー)などと葛藤します

(わたしはこんな扱いを受けるような人ではありません!)と宣言するのはアリなのだそうです

すぐに結果が出ることを保証できるものではないかもしれませんが、自分が受け取りたいものとは違っていることをしっかりと意思表示することは大切なんだそうです。

なので、わたしも試してみました!

先日電車で座っている女性の顔を覗き込みながら車両内をウロウロする男性が居ました

わたし、こういうケースすごく怖いと感じるのです

(キャーー怖い~!怖いです!)と心の中で警報が鳴って(どうしよう、どうしよう移動する?)とワタワタしていました

で、突然思い出しました、この話。なので宇宙へ緊急連絡してみました

(ちょっと!こういうのは必要ないです!望んでない!いらないです。いらないほうの現実なので緊急で対応して!)と()

ここから先は、わたしの言ったことを証明するものではございません。たまたまです。

男性が突然普通に立って電車に揺られるようになったのです。

移動せず、女性の顔を覗き込まず窓の外を見ながら立っていました。

助かりました。

わたしも少々落ち着きを取り戻しました

そのあとは守護天使さんを思い出し、(あの人からは見えないようになんとかして!)と守護天使さんへお願いをして駅を待ちました

次はわたしの降りる駅でしたので、そこまでお願い!と。

スピリチュアルの学びを開始して思うことは、わたしの応援団みたいな方々がいるので心強いな、と思います

『チームわたし』なので、いろいろな方の力を借りながら現実創造をしていると考えると面白いです。


女性活躍

2024-03-28 18:05:18 | 日記

今日は心理もセラピーもスピリチュアルもなしです

番外編と、かっこいいこと言ってみる()

女性活躍について意見交換をする機会をもらっての感想です

とても面白かったのです

女性が活躍しているね!って皆さんが思う、認めるあり方ってどんなのでしょう

何をしていると女性が活躍していることになるのでしょうか

女性はすでに頑張っているし、家庭も仕事も自分のこともいつも一生懸命

それぞれどのくらいの比重で力を注いでいるかは、個人差がありますけど

でもみんなそれぞれに一生懸命に生きていると思うのです

会社で女性活躍の座談会のようなものが小規模で開催されました

わたしも光栄な事にお声がかかりまして仲間たちと意見を交換してきたのであります

いろいろな意見がでて、本当に興味深かったです

女性活躍をお仕着せや、おしり叩かれているみたいとか、女性活躍=管理職みたいな考えが謎とか

本当にざっくばらんなご意見が多くて刺激的でした

わたしは『女性活躍=管理職』の構図の謎を感じていました

管理職になれないと活躍してないみたいにならないかな、と思ったり

どこかに報告するために管理職に女性をしているのであれば、お飾りとか言われて女性が嫌な思いをしそうだよ・・・とか

結構ナーバスな意見でした

でも、ひとつなるほど!と思ったことがあるのですよ

会社へ女性の意見を反映するために、女性が管理職という役職を通して会社へものを申す、という場が増えると。

おおお~なるほどです

確かに中枢へ入ることで意見を反映しやすいですよね

それはいいような気がしました

世代でも考え方が違いました

今は社会教育学のような形で学んできているのです

そういう世代は古い世代が作った会社に驚くようです

でも少し上の世代は寿退社が夢、みたいな時代もあって

管理職なんて考えたこともなくてもっと勉強しておけばよかったという意見もありました。

本当に世の中が動いているけど会社の中の意識は動いていなかったよ、という感じでした

90分も就業中に時間を作っていろいろ話して聞けて、本当に有意義でした

『女性活躍』

ただ肩書のある女性が増えるだけで満足する日本にだけはなって欲しくないと思うのでした


愛の形

2024-03-27 12:46:11 | 日記

今日は愛の形のお話です

アノカタチではないのです

わたし、MISAさんが歌うアイノカタチが大好きなのですが、今日はこのお話ではないので、

そうだと思ったよ、という方はここで引き返してください()

誰かを許せない気持ちはありますか

わたしはあります

その程度は本当に薄くなってきたのですが許せない気持ちはまだあります

許せないというより「とても残念な気持ち」の方が今のじぶんにはピッタリきます

『わたしは受け取りたかった愛の形で、愛を受け取ることができなくてとても残念な気持ちがまだ残っています』という文言が今のわたしにはピッタリなのかな、と思います

昔は相手の至らなさや、なぜそれをやらなかったんだと大変怒っていましたし本当に許せない気持ちでした

相手を強く攻撃する気持ちです

でも、愛には形があってじぶんの知っている形でしか愛を愛と認識できない、とセラピーで学んだときに強い衝撃を受けました

でもとても深いところから、この言葉の納得感?理解?がやってきたことを覚えています

じぶん以外の人の気持ちはわからないので、本当のところはわからないのですが相手がわたしにはわからない、伝わらない形で愛を届けていた可能性はとてもしっくりきました。当時の言い方であれば『大変残念だけど、わたしにはわからない形でわたしへ愛が届いてことはあり得る』と思ったのです。

相手を許せないので、大変残念だけどという言葉がついていました。

『これは許せないという形であなたも、その人を決して忘れないという愛の形かもしれませんね』と師匠がとても静かに言った時には、わたしは崩れました。足元の崩壊でした。

『そういう抱きしめ方もあるのかもしれません』と。

訳の分からない強い衝撃でした。

愛はじぶんの知っている形しか認識ができず、愛だと理解できないそうです

欲しかった形で愛がもらえず、相手を許せなかった

でもこれをじぶんの視点で見直すと、欲しかった形で愛が来なかったので、愛だと認識できなかったしそれはとても残念でさびしく、悲しくわたしはみじめな気持ちもありました。

わたしはあの時、さびしくて悲しくてみじめな気持ちだったのです

それが本当に辛くて、みじめなじぶんが辛かった。

誰かのせいにしたらちょっとは楽になったのでしょうか

かわらなかったけど、みじめなじぶんを感じなくて済んだと思います

今でもこの経験は思い出すとぐっと喉が絞まるし、やっぱり涙もでます

でも本当にすごく静かに、残念だったといえるところまでは来ました

じぶんに向かい合うことの辛さや厳しさを痛感した出来事でもあったのです

でもここからまた違う角度で世界をみることができるようになった気もしています

愛にはじぶんのわかる形があったなんて、知らなかったんです

はあ…なんでこのことを思い出して、しかもブログに書いたんでしょう()

もう一度ここに戻って見直すことがわたしにはあるのかもしれません。

だってまだまだ辛い。思っていた以上に。

少し時間をとって見直してみます


じぶんに寛ぐ

2024-03-26 22:28:08 | 日記
ほぼ全員、はじめましての方々とお茶をしながらお話をする。
そういう場面、昔のわたしは本当に苦手でした。どんな顔して、どんな事を話して、どんなふうに座っていたらいいのか皆目見当がつかず、ただただニコニコしていることが多かったように思います。帰ってくるとすごく疲れているし、顔が筋肉痛になっているんですよ。笑顔の仮面をずっと貼り付けているから。
お断りの回数も多かったように記憶しています。

わたしは、いつも誰かに合わせているのです。
誰かのあり方をみて、波風が立たないあり方を選んでそこにいることが多かったのではないかと思います。二人は良いですね。相手がひとりなので、変な言い方ですが対応しやすい。人数が増えれば増えるほど、どう在っていいのかわからなくなります。みんな自由だから全方位に合わせるキャラクターを作ることが難しくなるのです。
大変でしたね…。あのころのわたし。よくやっていましたね、あのころのわたし。

わたしは、いつも誰かになる必要があるので設定が無いと、(う〜ん…そうだな。言い換えると役割がないととも言えます。ちょっとイメージできるでしょうか?)迷子になります。
わたしではいられないから。
わたしは、わたしがあまり好きではなかったし、わたし自身を受け容れることが難しかったのです。この理由もしっかりあるのですが、今回は端折ります(笑)

じぶんのなかで寛ぐ、と言われるとどう感じますか?
わたしは、じぶんで居られないので全くもってあり得ない話でした。そうなれたらステキですね(棒読み)くらいの感覚で生きていました。

ところがいつの間にかそんな環境でも、わたしはずっとじぶんで在り続ける事ができるようになりました。話している方に集中して、やってきた感情をキャッチできる。その時に自由に表現するなりしないなり、選択ができます。

どんな顔して聞いたらいいのか、相づちは何が適切か、声のトーン、大きさ…たくさんあるいろいろを考えて考えて演じていたのとは、全く違います。
そんなわたしから、今に至る過程はいろいろあるのですがそれもこれも、凸も凹もいろいろあるそんなじぶんをまぁいいのではないかね!とじぶんにOKを出せたからだと思うのです。
肯定とか受け容れるとか、そういうことではなく、OKをだす。
心理の先生は言いました。
OKは便利ですよね。良いとか肯定とかそういうふうには言っていないけど、OKなのです。便利ですよ、と。
当時はよく分かりませんでしたが、今なら分かります。相手をキャッチできる言葉だと思います。
賛同できなくても、おっしゃっている意味は分かります、という時はOKは便利!
もちろんいいね〜!とか了解!とかにも使える。
じぶんにOKを出すのも、そのくらいまずは軽くやってみて、と言われた気がしました。

心理やセラピーが今の心のあり方のこの場所まで連れて来てくれたんだなと感じます。

帰りの電車で、楽しかったな。いろんな方がいたな。また話してみたいな。また会えそうだな、と呑気に思えるようになっているじぶんに気がつくと、本当に驚きつつも頼もしく思うのです。