新しい扉をひらく

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

幸せはこわいのか

2024-02-14 22:03:24 | 日記
少し前だと思う。
セラピーか瞑想か?なんかそういう動画を観ていた。軽く目を閉じてなんか…音を聞いていたような気がする。
そういう状態でその時わたしが感じた映像が衝撃的だった。

『ジャックと豆の木』の物語のごとく、わたしは豆の木を登り雲を2回超えていく。
着いた先はとても豊かな村?町だった。食べるものにも着るものにも困らず、平穏で温かくとにかく豊かだった。人々も穏やかで幸せそうだった。
ところが少しするとわたしはとても怖くなった。
急に怖くなってしまったのだ。
『豊かさ』に不安になった。
どうしたらいいんだろう、と思い始めた。
これでいいんだろうか、と落ち着かなくなってしまった。
わたしが一人だけ不安になっているのは、他の人をみたらよく分かる。みんないつもと変わらずニコニコと楽しく幸せそうだった。
わたしもさっきまでは、そこで同じように満たされていたのに、急に不安になってしまった。急に怖くなってしまったのだ。
そして、わたしはなんと豆の木を降りるのです。
これではいけない気がして。

そして降りて思いました。また貧しい所に戻ってきてしまった、と。

ちょうどこのタイミングで、瞑想?だったか、その目を閉じている時間の終わりが告げられた。
たぶんその後も、動画は続いたのだけれどわたしは何も覚えていない。だって、わたしはすごいことに気づいてしまった。
わたしは、豊かであることが怖かった。
わたしは豊かでないことを自分で選んでいるんだと気づいてしまった。

この事実に衝撃を受けて当日は号泣し、泣きすぎなのかお腹が痛くてその後ベットに横になったことも覚えている。ずっと忘れずに残っている体験だった。

今日突然に、この事を大天使さまやアセンデッドマスター(この違いもいつか書こうと思います。)にいろいろ話してみた。そして、ひとつ気づいたことがある。

わたしの目標は、足りないところが満たされることだ、と思った。満たされている状態から、それを踏まえて、のような発想がない。

足りないところが、満たされることで成長したり、立派になったりしている気がしている。
だから、なんとなく足りなくてはならない。
完成してしまうとその後どうしたらいいのかわからない。
まだまだだ!みたいな感じをずっとやって満足している。
豊かになったときのあの不安や、恐怖は豊かさのその先を知らないわたしのこの世の終わり感だったのかもしれない。
だから、わたしは豆の木を降りた。
そうしたら、足りない世界に戻ってきたから足りるように頑張ればいい。そのやり方は知っているから。
知っている、は怖くない。
知らないは、怖いのだ。

できていないことを、がんばってできるようになるのは、なんだかとても古いやり方のような気がした。大人になってまでも、できないことを探していてできるようになるのではなく、今の自分を生かした?活かした?その先へすすみたいと感じた。