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ちひろBLUESこと熊谷千尋のブログです。

古町演芸場で劇団美松「明和義人伝」を観劇、そして古町で明和義人祭を初めて見てきました!

2024-08-24 22:20:29 | Weblog


8/24(土)、毎年古町で開催している明和義人祭が今年も開催。
それに合わせ、古町演芸場では劇団美松がその歴史を「明和義人伝」として上演しました。

個人的に最近は色々な新潟のお祭りに行くのが好きなので、明和義人祭にも初めて行ってみました。
こんな僕みたいな明和義人祭初心者でも、まず最初にこのお芝居を観ればどういう歴史で生まれたお祭りかを理解できるので、同じ古町の明和義人祭と古町演芸場のすごくいいコラボレーションだと思いました。

そもそも明和義人祭とは、江戸時代、明和4~5年(1767~1768年)に、飢饉や凶作が続いた時代に長岡藩からの重税に対し不満が高まる新潟港で、あくまで話し合いで解決しようと藩に直訴し奮闘するも打ち首で亡くなってしまった涌井藤四郎らの想いを現代に伝えるというお祭りです。
理不尽な重税に反対した新潟港の人々は一揆を起こすのですが、藩によって反撃され多くの死傷者が出てしまったという話で、特に権力が市民に銃を向ける場面など、まるで現代のパレスチナ問題を思い出させます。

それでも、暴力ではなくあくまで話し合いを大切にと新潟港の人達を説得して回った涌井藤四郎の想いは、現代にも通じるものだと思いました。
しかし涌井藤四郎は、岩船屋佐次兵衛と共に責任を取り打ち首になってしまう…明和義人祭は、そんな彼らが生きた歴史を忘れずに、追悼する祭りなのです。

そんな歴史が古町にあることを知らなかったし、それを同じ古町にある古町演芸場で劇団美松が上演するのも、古町の文化の奥深さを感じました。
劇団美松は、明和義人祭に合わせて今回の演目をなんと無量で特別上演したのです。

歴史上の出来事をほぼセットもない舞台の上で会話と演出だけで表現するのは純粋に演劇として完成度が高いなあとも思いました。
また、前に「瞼の母」を観劇した時は(個人的に人生初の大衆演劇)、涙あり笑いありアクションありのエンターテインメントのお芝居でしたが、こういう歴史ものという重厚なお芝居もしっかり演じていて、流石だなと思いましたね。

それに、こうしてお芝居になることによって、今まで知らなかった歴史を身近に感じることもできるのも、芸術や芸能の可能性を感じます。
色んな意味で得るものが多く、観劇できて良かったです。お疲れ様でした。









古町演芸場を出ると、明和義人祭はちょうどお神輿の時間。
5番町を出発し、涌井藤四郎、岩船屋佐次兵衛らの魂が祀られている2番町の口之神社までを大勢の人達によって運ばれていきました。













明和義人祭、涌井藤四郎と岩船屋佐次兵衛らの魂が祀られている口之神社は、古町2番町の愛宕神社内にあります。
その前の道路にて、古町芸妓の皆さんによる奉納の舞が行われました。

地方(じかた)さんの三味線と唄に合わせて、まずは4人で団扇を使った舞、そのあと6人で扇子を使った舞、最後は10人全員で四つ竹という楽器(名前調べた)を使った舞を披露。
お座敷遊びに縁のない僕のような人間にとって古町芸妓さんが見られるのは貴重な機会!

明和義人伝を古町芸妓さん達も盛り上げる、古町という町の活気を感じました。
本当に暑い中、お疲れ様でした!









その後、古町5番町で伝統芸能の神楽舞が行われました。
太鼓の音に合わせて大黒様が舞うことで、お菓子が清められ神菓となるとのこと。







そのあとは明和神菓まきといって、巫女さんによって運ばれたお菓子を集まった人達にまいて、無病息災、家内安全を願います。
すると大勢の人達が一斉に群がりはじめた!

中には袋を持参して大量のお菓子を狙うガチ勢までいるではないか!
こんなに熱い祭りだったとは!







さらに、明和義人行列が古町5番町から2番町の口之神社まで練り歩きます。
「明和義人祭」という旗を持った人達を先頭に、





神社の神職の人達、





巫女さん達、





「岩船屋佐次兵衛」「涌井藤四郎」「お雪」と書かれた提灯を持った3人と、それぞれの格好をした3人、





古町芸妓さん人達、





笛や鐘や太鼓の演奏隊、





お稚児さん達、





そして明和義人という提灯を持った人達と巫女さん達、その後ろに浴衣を着た大勢の人達が続きました。





ところで明和義人祭、古町の伝統行事であると同時に、NSGの会長が愛宕神社の宮司という関係で、全体的にNSGの専門学校の学生達によるお祭りといった雰囲気もありました。
明和義人行列でも、後半は若者たちが若者達が「お祭りマンボ」に合わせて踊りながら進んでいきました。







一番最後を大勢の若者たちが担いだお神輿が進んでいきます。
またお神輿が登場!やっぱりお祭りではみんなお神輿好き!







そして、永島流一門の皆さんによる樽きぬたの演奏。
樽きぬたは、もともと漁師が嵐で遭難した時に龍神様に助けを求めるために祈りながら船底を叩き続けたことが始まりとされるそうです。









クライマックスの「蜑(あま)の手振り」には、NSGの専門学生だけでなく色々な学校や若者達が古町5番町を埋め尽くすほど大集合し、すごい盛り上がり!
しかも決まった踊りはなく、「1234、2234、3234、そいや!」のリズムに合わせさえすればあとは自由なので、チームごとにそれぞれが考えたの踊りが咲き乱れる!

明和義人祭、最後はこんなに自由過ぎる祭りだったとは!
いやー、新潟にはまだまだ僕の知らない祭りがたくさんあるぜ…
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