11月28日午後から、南三陸町の防災センター跡地を訪ねました。ここは、最後まで住民に避難を呼びかける放送をしていた女性の町職員はじめ、何人かの方が殉職したことで、何度も放送や新聞でも映されたところです。現場には、他の建物跡地と同様、お弔いのお花やお線香を手向けるところが設けられていました。南三陸町の町長さんは、あの震災を忘れない為のメモリアル的なものとして、この跡地を残そうとはじめ表明しました。が、住民の方からは、この跡が残るのは、苦痛に耐えないという声が多く、撤去する方針に転換しました。その場に行くと、まだ、生々しい雰囲気があたりに残っている感じがしました。
一同合掌したことは言うまでもありません。
また、海岸近くの鳥居がなくなっている場所も案内していただきました。こんもりした小島の上にある社殿に繋がる階段は、
地震で大きくづれ、とても登れない状態でした。
かつての写真です。立派な鳥居がそびえ、毎年の出初式には陸と神社のある小島を繋ぐ桟橋で消防車が放水するのが習いだったそうです。(南三陸町のアリーナに移転している町役場に、震災以前の写真がありました。)
鳥居の対岸には、私達が泊まったホテルが見えました。このホテルも、2階まで水につかったそうですが、改修され営業を再開していました。海のすぐそばの素晴らしいロケーションのホテルでした。海にせり出すような大浴場や露天風呂。いろいろな方が泊まっていました。泊まること・売店で買い物すること、それが従業員の方の雇用の継続につながり、復興に繋がる・・・そんな思いで宿泊させていただきました。
最後に寄ったのり屋さんです。近くに床屋さんもありましたが、お店は、皆プレハブしか許されません。それでも、店をやることが自営の方にとっては生きる道です。コンビニやお米やさんなど、少しづつポツンポツンとお店がありました。少しでも早くお店が増えることを願って南三陸町を後にしました。
一同合掌したことは言うまでもありません。
また、海岸近くの鳥居がなくなっている場所も案内していただきました。こんもりした小島の上にある社殿に繋がる階段は、
地震で大きくづれ、とても登れない状態でした。
かつての写真です。立派な鳥居がそびえ、毎年の出初式には陸と神社のある小島を繋ぐ桟橋で消防車が放水するのが習いだったそうです。(南三陸町のアリーナに移転している町役場に、震災以前の写真がありました。)
鳥居の対岸には、私達が泊まったホテルが見えました。このホテルも、2階まで水につかったそうですが、改修され営業を再開していました。海のすぐそばの素晴らしいロケーションのホテルでした。海にせり出すような大浴場や露天風呂。いろいろな方が泊まっていました。泊まること・売店で買い物すること、それが従業員の方の雇用の継続につながり、復興に繋がる・・・そんな思いで宿泊させていただきました。
最後に寄ったのり屋さんです。近くに床屋さんもありましたが、お店は、皆プレハブしか許されません。それでも、店をやることが自営の方にとっては生きる道です。コンビニやお米やさんなど、少しづつポツンポツンとお店がありました。少しでも早くお店が増えることを願って南三陸町を後にしました。