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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

若い夢は、空に浮かんだシャボン玉のようなもの

2006年04月14日 16時32分12秒 | 私のこと(日記)
北山修さん、また、あなたの詩を拝借して、すみません。

ほんとうに、そうですね。
ふりかえれば、若い夢とは、そのようなものなのですが、
でも、シャボン玉は虹のいろ。

虹の解体(これは、ドーキンスのまねになってしまうか)では
ないですが、虹はいくら光線の屈折度の角度などで、正体が解明されても、
虹を見た驚き、美しさ、感動、憧れは、忘れがたきものです。

虹は、やはり、天にかかった7色の橋 夢の橋 幻の橋

空にうかんだシャボン玉も 7色の玉 幻の玉

北山さんの20歳代のばあすでいこんさとの「さらば 恋人」を聴きながら、
若いころの、空にうかんだ、シャボン玉を味わっています。

しかし、『レヴィ・ストロース講義』平凡社を、前半だけパラパラとめくると、日本人とフランス人の自我のありようは、正反対のものだと書いてある。
前者は、ふるさとにかえっていく求心型。後者は、硬い自我からしゅっぱつしていく遠心型とか....mumumu もっとよく考えてから、こういったことは話さねば。

若い頃の夢は、空に浮かんだシャボン玉ではなく、荒野のなかで生涯守る幸福への信頼、と言いたい。
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