
« Aujourd’hui, maman est morte. Ou peut-être hier, je ne sais pas. » est l'incipit du roman L’Étranger (1942) d'Albert Camus (wikipediaより)
私の母が息をひきとりました。《今日、母が死んだ。あるいは昨日だったかもしらん、私は知らぬ》ではなく、5月25日でした。6日前のこと。
カミユの『異邦人』の有名な冒頭の文章であるが、私はこれだけでこの本を読みたくなくなって、壁になげつけたままなので、読んでいない。
母を亡くした今、皮肉にも、読んでみようかなという気がしているが、どうしてなのか?je ne sais pas(知らん)
13年間ほど歩けなかったので、三途riverをうまく渡れたら、向こう岸では軽やかに自由に歩いていって欲しい。
老人ホームのペースト状の食事は本当にまずかった。私は吐きそうで食べられなかった。
向こう岸では食事がおいしいといいね。
カミユなんて蹴飛ばして、ここは、やっぱり《まど・みちお》さんに〆てもらうことにした。
ふたあつ
ふたあつ、ふたあつ、
なんでしょうか。
おめめが、一、二、
ふたつでしょ。
おみみも、ほら、ね、
ふたつでしょ。
ふたあつ、ふたあつ、、
まだ、あって。
おててが、一、二、
ふたつでしょ。
あんよも、ほら、ね、
ふたつでしょ。
まだ、まだ、いいもの、なんでしょか。
まあるい、あれよ、
かあさんの、
おっぱい、ほら、ね、
ふたつでしょ。
私は母が亡くなった時は悲しいような これで体の不調から
解放されてホッとしたような気分になりました。
冒頭を読んであれ! カミュだ と懐かしい思いがしました。
20代の頃何回も読みました。 葬列のところなどこちらまで
暑くなって・・・ムルソーだったか!?
確か本の初めの方に 母上の死を悼みます のような
送られてきた手紙の中にあったような。
あちらではお母様 美味しいものをたくさん召し上がって
いらっしゃることでしょう。
宗教はあまりのめりこむタイプではありませんが、仏教(?)の大きな河を渡るイメージとか49日間はまだ霊魂は軒下にたたずんでいるというイメージは好きです。落ち着くんですね。ふしぎです。