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とおいひのうた いまというひのうた

自分が感じてきたことを、順不同で、ああでもない、こうでもないと、かきつらねていきたいと思っている。

アメリカはイラク戦争に勝利しているのか?

2008年04月01日 21時01分58秒 | 地理・歴史・外国(時事問題も含む)
アメリカはイラク戦争に勝利しているのか?
アラン・グレシュ(Alain Gresh)
ル・モンド・ディプロマティーク編集部
訳・土田修
 イラクの米軍は反乱鎮圧にあたって、人類学者を活用するなど新たな戦術を採用し、いくばくかの成功を収めている。11月に行われる大統領選の共和党候補、ジョン・マケインの口から、米国は戦争に勝利しつつあるとの言葉が出るほどだ。しかし、こうした威勢のよさは、米軍のイラク駐留を恒久化させようとするジョージ・W・ブッシュ大統領が、巧妙に張ってみせる煙幕にほかならない。[フランス語版編集部]

原文

 「敵はいまだに危険であり、まだ多くの仕事が残っている。しかし、米軍とイラク軍の動員(surge[1])によって、1年前にはわれわれのほとんど誰もが想像しえなかったような結果がもたらされた(拍手喝采)。1年前にわれわれが集まった際、暴力を封じるのは不可能だと多くの者が言っていた。1年後の今、大規模なテロ攻撃は減り、民間人の犠牲者も、宗派間の殺戮も減った。(中略)1年前にわれわれが集まった際、アル・カイダはイラク各地にたくさんの拠点を持っており、アル・カイダの指導者らは米軍に、イラクからの安全な逃げ道を指し示してみせた。今日、イラクからの安全な逃げ道を探しているのはアル・カイダの方だ」

 ジョージ・W・ブッシュ大統領は2008年1月28日に議会を前に、任期中最後のものとなる一般教書演説で、5年前にイラクで開始した戦争の現況をこう説明した。肩をすくめて聞き流したくもなる長広舌だった。この政権は世論をだまし、事実を改竄し、データの一部を隠蔽してきたのだから。最近の調査によると、米国にとってのイラクの危険性をめぐり、ブッシュと6人の側近は、9・11から戦争初期までの間に935回も嘘をついていた(2)。

 しかし、メディアに加え、民主党も含めた一部の政治家の同調と反響を呼んだ、ホワイトハウスの主の今回の声明は、どうやら確かなデータに基づいているようだ。

 米国発のあるリポートによると(3)、イラクにおける犠牲者の数は、イラクの民間人については、最大となった2006年11月には3000人を数えたが、2007年12月には700人に減った。連合軍の兵士については、2006年末には月100人、2007年5月には130人だったのに対し、2007年末には20人前後に減っている。自動車爆弾や自爆テロなど大規模攻撃による犠牲者は、2007年6月の130人から2007年12月の40人にまで減った。宗派間対立(大半はスンニ派とシーア派)の犠牲者は、2006年12月には2200人に上ったが、2007年11月には200人前後に減少している。こうした成功を受け、ブッシュ政権は毎月5000人規模の段階的撤退を実施すると宣言した。撤退は部分的に始まっており、米軍はピーク時の17万人から今夏には13万人にまで縮小する見込みだ。

 2006年末、在イラク米軍は危うい状況にあるように見えた。11月の連邦議会選挙での民主党の勝利が示すように、早期の撤退を求める世論のプレッシャーも強かった。元国務長官ジェイムズ・ベイカーと元下院外交委員長のリー・ハミルトンを座長とする超党派のイラク研究グループは、政府の政策に極めて厳しい判断を下した。同グループは、米軍の段階的撤退、シリアおよびイランとの対話の開始、パレスチナ問題の考慮、といった方針転換を提唱した。

 しかし、ブッシュ大統領は頑として譲歩を拒んだ。ブッシュは別の道、つまり、右派の米公共政策研究所(AEI)が推奨した道に突き進んだ。ネオコンの論客のフレデリック・ケイガンと退役大将のジャック・キーンが書いた「勝利を選択する:イラクで成功するための計画」は、上記グループとは反対に、治安回復の方策として、追加派兵とバグダッド周辺への集中展開を推奨していた。

 これは、ブッシュが一般教書演説で言い張っているように、正しい選択だったのだろうか。3万人の増派がバグダッドの治安を向上させたことは間違いない。スンニ派地区とシーア派地区を隔て、宗派間の軋轢を緩和するために築かれた壁や、増大したチェックポイント(バグダッド市内と周辺の道路に置かれたコンクリートブロックは10万個を数える)は、テロの件数を大いに減少させた。比較は論証とは異なるが、兵力増強により1957年にアルジェの戦いで勝利しつつ、戦争には負けたフランス軍の前例を引くことは可能だろう。

 イラクで暴力が減少しているのには、他に二つの要因がある。一つ目は、2007年8月にムクタダ・サドル師が一方的に停戦を通告したことだ(4)。彼の率いるマフディ軍は、イラクの民兵組織の中で最も強力で、シーア派の貧困層を代弁するものだ。マフディ軍を突き動かしているのは民族主義であり、イラン指導層への警戒心であり、米軍駐留への抜きがたい敵対心である。サドル師と米国の目標が相容れない以上、今回の停戦が長続きする保証はない。

 攻撃の減少に決定的に寄与したのは、もう一つの要因である。2007年春頃から加速した、スンニ派社会と米国の接近だ。そこには二つの側面がある。一つは占領軍が金をばらまいて地元部族をなびかせたこと、もう一つは反米抵抗勢力と協定を交わしたことだ。この反米抵抗勢力は、サフワ(覚醒)という呼び方もあり、米政府からは「関心の高い地元住民」という不思議な呼称で呼ばれているもので、数万人(恐らく6万人)の武装要員を抱えている。

権力の細分化
 彼らが米国と結んだ動機はさまざまだ。まず第一に、アル・カイダと、その過激主義や、極端に厳格な「イスラム国家」の押し付けへの拒絶である。アル・カイダの「世界的な」野望は、彼らの共有するところのものではない。第二に、米国との戦術的な同盟は、「シーア派の脅威」に対するカウンターバランスになる。第三に、地元部族の指導者たちは金につられた。彼らの「変心」が何をもたらしたかは、ジャーナリストのパトリック・コバーンのリポートに明らかだ。「2004年11月に米海兵隊によって攻め落とされて以来、多数の建物が廃墟となっていた」ファルージャの町は、「6カ月前と比べて平穏になった。町を支配していたアル・カイダの戦闘員は立ち去るか、息を潜めるようになった」という(5)。
 この奇妙な同盟は強固なものではありえない。というのも、米国と結んだ抵抗勢力は、米国の構想に対しても、米軍駐留の恒常化に対しても、依然として反感を抱いているからだ。また、スンニ派武装勢力は、シーア派諸政党に牛耳られた中央政府とも対立している。バグダッドや他のスンニ派地域で、米国と「同盟」を結んだ民兵と、シーア派が多数を占める警察(および国軍)との衝突が激化しているのも、そうした対立の表れだ(6)。

 米国の成功を「役立てる」中央政権は存在しない。米国とスンニ派民兵との協定は、権力の細分化を招いている。バグダッドを含む多くの地域で「宗教浄化」が急速に進み、その一方でアル・カイダが弱体化し、スンニ派武装勢力が米国と結び、壁の建設による分断が実現したことで、宗派間の衝突は減少した。だが、スンニ派とシーア派の分離は、広域的あるいは地域的な安定化をもたらしはしなかった。

 シーア派、スンニ派、クルド人という三つの大きな「コミュニティ」はいずれも一枚岩ではない。クルド人地域は「自治権」を維持しているものの、クルド民主党(KDP)の支配地域と、クルド愛国同盟(PUK)の主導地域に分かれており、さらに両党の権力は、クルド人のイスラム主義勢力の台頭によって揺さぶられている。イラク南部では、マフディ軍と、アブドル・アジズ・ハキム師のイラク・イスラム最高評議会とが、激しく争い合っている。イラク各地を見れば、「秩序」維持にあたる民兵が、やりたい放題で住民を踏みつけにしている。中央政府の権限は、米海兵隊に守られた巨大な要塞たるバグダッドの「グリーンゾーン」にしか及んでいない。

 米国はスンニ派の政治的再統合を求めてイラク政府に圧力をかけた。その結果、イラク議会は2008年1月と2月に三つの法案を採択した。最初は、「バアス党員排斥」政策見直しのための法案だ(この政策は、2003年のイラク「解放」直後に着任した米国総督ポール・ブレマーが強行したものだが、米国は現在では有害無益とみなしている)。二つ目は、十数万人の投獄者(ほとんどがスンニ派)の一部に恩赦を与える法案で、三つ目は、地方行政の権限を定め、2008年10月1日に選挙を実施する法案だ。この第三の法案が実施されれば、スンニ派が多数を占めているか、スンニ派とシーア派が混在している地域で、(2005年1月の選挙をボイコットした)スンニ派の役割が回復されることになる。

 だが、この法律を実施するのは難しい。政治勢力間の対立は激しく、法の支配は弱いからだ。例えば、スンニ派のタリク・ハシミ副大統領は「バアス党員排斥」政策見直し法案への署名を拒否した。この法案は、表向きの目的とは反対に、国家の中枢からの旧バアス党員排斥をさらに強めることになるからだ。

 イラクで勝利を収めつつあるのは誰か。いずれにせよ、イラク人ではない。この戦争の人的な代償は恐らく推計不可能だ。米兵の戦死者の数(2008年2月20日現在3967人)は正確に知られているのに、イラク人犠牲者数の把握がまともに試みられもしていないのは示唆的だ。推定するほかないが、それがすさまじい規模であることは衆目の一致するところだ。

 英国企業オピニオン・リサーチ・ビジネス(ORB)が2414人の成人イラク人に面談してまとめた最近のリポートでは、家族の中に少なくとも1人の死者がいるという回答者が20%に上った。このリポートでは、2003年3月19日から2007年夏までの間に、戦争を直接・間接の原因とする死者が100万人に達すると見積もっている。2007年10月に医学雑誌ランセットに発表されたジョン・ホプキンズ大学の研究調査は、死者65万人という数字をあげ、世界保健機関(WHO)は2008年1月9日の声明で、開戦から2006年6月までにイラク人15万1000人が犠牲になったと発表した。

 治安の悪化と並行して、日常生活も悪化している。原油の生産は開戦前の水準を回復できず、電気は一日に何時間も止まり、70%のイラク人は水道を利用できずにいる。病院では必要品が不足しており、医者の多くは国外へ流出した。難民や国内避難民は400万人近くを数える。1980年代のアフガン戦争以来、この地域最大の惨事である。

つかの間の安息
 こうしたイラク国民の苦しみに誰が耳を貸そうというのか。ニューヨーク・レビュー・オブ・ブックス誌でマイケル・マッシングが伝えるところによれば、米国メディアグループのマクラッチーがバグダッド支局を開設、「インサイド・イラク」というブログを立ち上げて、米国メディアがあまり関心を示さないバグダッド市民の日常生活を伝えている(7)。米兵の死者の減少に伴い、米国メディアによる戦争報道は減っているのが実情だ。それが戦争に「勝利した」という意識をさらに強めている。テレビが放映しなければ、何も起きていないも同然なのだから。
 マクラッチーのバグダッド支局長、レイラ・ファデルはこう説明する。「米国人は米兵が正義のために戦っていると思っています。イラク人はそう受け取ってはいません。彼らの目に映っているのは、自国の利益を守るためにやって来て、道路の車線を無視し、好き勝手に交通を止める者たちです。こちらが撃たれないためには近づきすぎない方が良い者たちなのです」。ブログ「インサイド・イラク」の書き手の一人は、米兵がある学校を立ち入り検査した際に、一人の子どもが石を投げ、米兵から殴られた様子について書いている。その子はなぜ石を投げたのか。「彼らが外国の兵隊だったからだ。われわれは占領下で生活しているのだ」。これは多くのイラク人が共有している気持ちだと、レイラ・ファデルは言う。「私が話をした相手はみなそう思っています。彼らは自分自身の国のことに何の権限も持っていないのです」

 米国によるイラク侵攻の数カ月後、ジャン=フランソワ・ルヴェルはこう書いている。「あらゆるアラブ諸国に見られるように、イラク人に排外感情が広がっている。それはすべての西洋人に向けられている。(中略)われわれの前にいるのは、自らを統治できず、そのくせ他人の世話になるのも望まないという民族だ(8)」。この絵に描いたような保守的右派(故人)は、イラク人が解放者たちを花束で迎えないことに憤慨していた。

 そうした事態に最初に驚いたのは米国の指導層だった。彼らはイラク人の国民感情が理解できなかった。イラク人がサダム・フセインに対する憎悪にもかかわらず、新たな形の植民地主義を拒絶する、英国の長い占領時代の辛い歴史と記憶からして拒絶する、ということが理解できなかった。2003年に、イラク人の声に耳を貸さなかったホワイトハウスは、現在は耳を傾けるつもりがあるのだろうか。不確かなことこのうえない。

 米国がここ数カ月に、限定的ながらもイラクで勝利を収めてきたことは、ブッシュ政権に撤退を求める米国世論のプレッシャーを緩和するとともに、国際的な批判を弱める方向にも働いた。だが、このつかの間の安息は、大統領に戦略の変化を促すどころか、正反対の結果をもたらした。

 国連がようやく開戦1年後の2004年に連合軍、実質的には米軍(9)に対して認めたイラク委任の期限が、2008年12月に迫っている。ホワイトハウスは国連委任の更新を望んでおらず、かわりに二国間協定の締結を図っている(イラク政府との交渉は夏までに終わる見込みである)。この協定の性格については、いささか混乱が見られる。上院は、これを批准する権限を主張している。ホワイトハウスはそれに対して、イラク防衛への米国の参加ないし恒久的な基地の建設を明記した協定ではないのだから、批准は必要ないと反論している。

 かてて加えて、2008年度予算で5150億ドルという未曾有の防衛予算に署名したとき、ある「付記」をブッシュ大統領自身が加えていた。大統領はイラクの軍事基地への恒久的な駐留に関する予算法上の制約に拘束されない、という趣旨のものだ(10)。他方で米国は、石油部門の民営化法案をイラク議会に通すのに難航しており、票決なしで民営化を実行させようとイラク政府にプレッシャーをかけている(11)。だが、1972年に実施されたイラク石油会社の国有化は、民族や宗派の別を超えて、全イラク人の大きな誇りの一つとなっている。

 結局のところ、ブッシュ大統領の主要な成功は、米国内の議論を変えたという点に尽きるだろう。2006年の時点では大失敗は避けられないように見えたのに、現在では勝利に嬉々とする者さえいるほどだ。彼は次期大統領の手を縛り、現行路線を踏襲させようとしている。しかし、それは出口のない袋小路でしかない。米軍のイラク駐留に反対するバラク・オバマ候補の躍進が示すのは、ブッシュの成功は内政面においてさえおぼつかないということだ。

(1) 「急増」とも仏訳できる。ここではイラクでの米兵増員のこと。
(2) Charles Lewis and Mark Reading-Smith, << False pretenses >>, The Center for Public Integrity, http://www.publicintegrity.org/WarCard/ また、ル・モンド・ディプロマティーク2006年9月号「『対テロ戦争』5年」特集も参照。
(3) Anthony Cordesman, << The evolving security situation in Iraq : The continuing need for strategic patience >>, Center for Strategic and International Studies, Washington, 21 January 2008.
(4) サドル師が停戦を選んだ理由は以下の論文で詳述されている。<< Iraq's civil war, the Sadrists and the surge >>, International Crisis Group, Bruxelles, 7 February 2008.
(5) Patrick Cockburn, << Return to Fallujah >>, http://www.counterpunch.org, 28 January 2008.
(6) << Awakening agonistes >>, Abu Aadwark (blog of Marc Lynch), http://abuaardvark.typepad.com/abuaardvark/
(7) Michael Massing, << As Iraqis see it >>, The New York Review of Books, 17 January 2008.
(8) Le Figaro, Paris, 8 September 2003.
(9) 連合軍の要員数は2003年の5万人弱から現在の1万人に推移している。
(10) See Ray McGovern, << The iniquities and inequalities of War >>, Couterpunch, 1 February 2008, http://www.counterpunch.org/mcgovern02012008.html
(11) See << Iraq pushes ahead with oil plans >>, Financial Times, London, 6 February 2008.


(ル・モンド・ディプロマティーク日本語・電子版2008年3月号)
All rights reserved, 2008, Le Monde diplomatique + Tsutchida Osamu + Saito Kagumi

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