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shining's ブログ 「音楽と旅と珈琲と」

音楽大好き男の徒然なる日記

日本人なら忘れるな、12月14日は…/「俵星玄蕃」(1964) by 三波春夫

2016-12-14 | 音楽


                                     作詞:北村桃児
                                  (三波自身のペンネーム)
                                     作曲:長津義司

槍は錆びても 此の名は錆びぬ
男玄蕃の 心意気
赤穂浪士の かげとなり
尽す誠は 槍一筋に
香る誉れの 元禄桜

姿そば屋に やつしてまでも
忍ぶ杉野よ せつなかろ
今宵名残に 見ておけよ
俵崩の 極意の一と手
これが餞(はなむ)け 男の心

涙をためて振り返る
そば屋の姿を呼びとめて
せめて名前を聞かせろよと
口まで出たがそうじゃない
云わぬが花よ人生は
逢うて別れる運命とか
思い直して俵星
独りしみじみ呑みながら
時を過ごした真夜中に
心隅田の川風を
流れてひびく勇ましさ
一打ち二打ち三流れ
あれは確かに確かにあれは
山鹿流儀の陣太鼓

「時に元禄十五年十二月十四日、
江戸の夜風をふるわせて、響くは山鹿流儀の陣太鼓、
しかも一打ち二打ち三流れ、思わずハッと立ち上がり、
耳を澄ませて太鼓を数え「おう、正しく赤穂浪士の討ち入りじゃ」
助太刀するは此の時ぞ、もしやその中にひるま別れたあのそば屋が
居りあわせぬか、名前はなんと今一度、
逢うて別れが告げたいものと、
けいこ襦袢に身を固めて、段小倉の袴、股立ち高く取り上げし、
白綾たたんで後ろ鉢巻眼のつる如く、なげしにかかるは先祖伝来、
俵弾正鍛えたる九尺の手槍を右の手に、
切戸を開けて一足表に出せば、
天は幽暗地は凱々たる白雪を蹴立てて行手は松阪町…」


「吉良の屋敷に来てみれば、今、討ち入りは真最中、
総大将の内蔵之助。
見つけて駆け寄る俵星が、天下無双のこの槍で、
お助太刀をば致そうぞ、
云われた時に大石は深き御恩はこの通り、厚く御礼を申します。
されども此処は此のままに、
槍を納めて御引上げ下さるならば有り難し、
かかる折りも一人の浪士が雪をけたてて
サク、サク、サク、サク、サク、サクー、
『先生』『おうッ、そば屋か』
いや、いや、いや、いや、襟に書かれた名前こそ、
まことは杉野の十兵次殿、わしが教えたあの極意、
命惜しむな名おこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞよ、
さらばさらばと右左。赤穂浪士に邪魔する奴は何人たりとも
通さんぞ、橋のたもとで石突き突いて、槍の玄蕃は仁王立ち…」

打てや響けや 山鹿の太鼓
月も夜空に 冴え渡る
夢と聞きつつ 両国の
橋のたもとで 雪ふみしめた
槍に玄蕃の 涙が光る
                                  各種ベスト盤に収録
(ウィキペディア解説より)
「忠臣蔵」旧暦:元禄15年12月14日(1703年1月30日)(元禄赤穂事件)にからんだ架空の人物である俵星玄蕃を主人公とした曲。
三波春夫は歌手になる前は浪曲師であったが、戦前に全盛期を終えた浪曲の良いところを残したいと願い、
長い浪曲をコンパクトにまとめて短く楽しんで貰おうと「長編歌謡浪曲」というジャンルを確立し、
多数の作品を自ら作詞・作曲してリリースしたが、「俵星玄蕃」はその代表作。
歌謡曲の部分、浪曲では啖呵と名付けられているセリフの部分、浪曲のフシの部分、といった構成で成り立っている。

もうこれは“神業”。
日本人でも国宝級のお方でした。

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