ぶらり一人旅と趣味の世界

気まぐれ日記
ぶらり一人旅。趣味の世界・・など公開!

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お気に入り 猫との出会い

平戸・佐世保・長崎

2012-10-09 | 旅行

 

 

10/05(金)
明日から3連休に 

明日、休みにして、3連休にさせてもらいます
週末、少し残って、患者さん一人処理。
→鶴橋駅・王将・チューハイ・餃子→大阪駅→阪急梅田バスターミナル→高速バス→

 

10/06(土)
1日目 

→長崎駅→モーニング→佐世保駅→バス→平戸桟橋バス停→→平戸オランダ商館倉庫・復元~ オランダ商館跡→オランダ塀→御部屋の坂→松浦資料博物館→六角井戸→平戸ザビエル記念教会→寺院と教会の見える風景→幸橋・オランダ橋→平戸城~亀山神社・公園→幸橋・オランダ橋→~チューハイ・揚げ天→平戸桟橋バス停→バス→佐世保駅→→ホテル 

 

平戸は2回目、今回は佐世保からバスで往復で泊まりませんでした。 

 

10/07(日)
2日目 天気よし 

朝食→→海上自衛隊佐世保基地~見学→佐世保駅→バス→西海パールシーリゾートバス停→九十九島遊覧船~中国人観光客横で雰囲気台無し~何しに来たんや・帰れ!
→水族館はパス~今回はケチケチ作戦
タコ揚げ・チューハイ→バス→佐世保駅→長崎駅→徘徊~駅前広場で龍踊りー満員で見えず、桟敷席でないと、ちゃんとは見れませんが、町を廻る時に少し見れます~龍踊りは2回ぐらい、なんとか
現在、町を徘徊~夜まで、稲佐山展望台も、バス一瞬乗り遅れてダメ、チャンポン食べて、ホテルへ
7時45分。
今日はくんち~1日目で、特にダメ。
朝からテレビ中継してましたが、その方が、よほどいいくらい。明日に期待します。 

 

佐世保は5-6回にはなります。今回はビジネスホテルで我慢。  

 

10/08(月)
3日目 

ガツガツ、割り込んで、見物するのいやなので、いつものパターンで、平和公園から~徘徊へ
→筑地電停→路面電車→松風町電停→平和公園→如己堂→浦上天主堂→原爆投下中心地→松風町電停→路面電車→眼鏡橋→→亀山神社中跡~龍馬ブーツ→眼鏡橋→路面電車→筑地電停→チャーシュー麺→湊町公園→活水女子学園→オランダ坂→東山手十三番館~アイスコーヒー→→中央公園~川船・観覧→諏訪町~龍踊り・観覧→路面電車→長崎駅前→バス→稲佐山バス停→→稲佐山展望台~夜景鑑賞・チューハイ→稲佐山バス停→バス→長崎駅前~CD購入→高速バス→ 

 

長崎クンチは3回連続。毎年、少しずつ出し物がかわるので・・・それぞれ楽しみが。毎年2/7-8-9と決まっているので、来年は月・火・水になり、無理でしょう。 

 

10/09(火)

→高速バス→梅田阪急バスターミナル(AM7:10)→そのまま出勤 


日記

2012-10-03 | 日記

2012-10-02
忙しく 

昨日は、月初の仕入れ入庫と、調剤の仕事で、ほとんど休む暇なし~昼飯はカップめんのみで済ませて、すぐ仕事。ほとんど、1日働いてました
関連会社の行事は、台風で中止になりましたが、10月に延期、でも、遅ればせながらの夏休みを入れて、3連休にしていた日曜日に当たり、最悪。3連休に旅行中止にして、計画作り直すことに。
夏休みといっても、形だけで、普段から、オールナイト、夜の会議、日曜日や土曜日の会議・研修会などで、他の職員に比べて、余分に働き、休みも少なく~
ですから、夏休みといっても形だけなんですが、堂々と休めるというだけなんですが。
他の職員が、僕に対して、私が出勤しますから、休みもっと取って下さい~そんなの言う人など、いません。自分の権利は主張しますが

10/3(水)

10/20-22の三連休は中止で予定の立て直し。

10/6-8・・・平戸・佐世保・長崎

10/20・・・松江

10/21・・・行事参加

10/28、11/4、11/6・・・日帰りツアー申し込み

11/3・・・高校同窓会

11/9・・・竹本孝之・ライブ

11/11・・・遠藤響子・ライブ 

11/17-19・・・三連休にして・・・鹿児島・熊本?・・・会議・研修・・入らなければ。

11/23・・・吉備路サイクリング

11/24-26・・・大宰府・柳川

12/15-16・・・静岡・浜松?

12/22-24・・・福井・金沢

1/1-3・・・下関・山口・津和野・萩

 

一応・・・でも、仕事・会議など入れば中止にしないといけませんが。 とりあえず、宿は確保。

一人旅は、。早め早めに予約しないと、直前などはまず無理・断られますので。

来年の長崎ランタンフェスタはこの情勢だとやめようかと? 

 

月初の書類は終了。

明日は歓送迎会の予定。 

 

 

 


中国の拡張主義!

2012-10-01 | 反中国



今の中国の行動は、第二次世界大戦前のドイツにも少し似て見れ恐ろしくさえ・・・?

第二次世界大戦の原因の一つとして、イギリス・フランスが、ドイツの領土拡張・侵略に譲歩したこと・・・チェコのズデーデン地方・オーストリアの併合など・・・・。

ある程度、譲歩すればそれで収まるとい思い・妥協したこと・・・・ヒットラーを甘く見て、つけあがらせたこと・・・・・・

 

今の中国も、もし、日本が尖閣列島で、譲歩して中国の要求を受け入れでもしたら・・・・中国の領土拡張はとどまるところをしらず・・・! 

 

韓国は、多少、対日のトーンが下がったようですが。いずれは、韓国も北朝鮮をめぐって中国と対立することになるわけですから。中国の拡張主義はあまり好感していないはず。 

 

 

10/23

中国が「尖閣は日本の領土」と認めていた証拠の公文書を公開- NEWSポストセブン(2012年10月23日07時00分)

 中国が尖閣諸島の周辺海域で威嚇・挑発行為を繰り返している。漁船や漁業監視船のみならず、ついに10月16日には中国海軍の駆逐艦が尖閣諸島の南方200kmの海域を通過。「尖閣は中国の領土だから、その周辺で何をしてもいい」というのが彼の国の言い分だが、もちろん完全な詭弁だ。

 中国側の傍若無人な振る舞いと日本政府の広報不足のせいで、日本人の中にも「日本と中国の双方が領有権を主張していて、どちらの領土かはっきりしない島」という程度の認識を持つ人も出てきてしまった感があるが、尖閣諸島は歴史的、国際法的に明らかに日本領土だ。その動かぬ証拠が数多くある。

 掲載した1枚の「感謝状」もその一つだ。漢文で書かれたこの書状には中華民国9年(1920年、大正9年)5月20日の日付が記され、送り主には「中華民国駐長崎領事 馮冕」とある。領事の公印も押されており、中国側のれっきとした公文書だ。報道写真家の山本皓一氏が書状について解説する。

「1919年に福建省から漁に出た中国の漁民31人が嵐で遭難し、彼らを当時尖閣に住んでいた日本人の島民や八重山郡石垣村の住民らが救助しました。遭難した中国の漁民を無事本国へと送り返したことについて、中国側が感謝状を贈呈したのです。注目すべきはこの感謝状の中で、漁民が遭難して流れ着いた場所を『日本帝国沖縄縣八重山郡尖閣列島』と表記していることです」

 要は中国側の公文書に「日本の尖閣諸島」と書いてあるのだ。山本氏は石垣市役所の文書課に残された膨大な歴史資料の中から、この感謝状に記された遭難事件の存在を裏付ける公電なども発見している。「歴史的に中国の領土である」という主張を覆す、動かぬ証拠だと言えよう。

「領土は、その場所で暮らす人間の営みの歴史によって画定されるものです。魚釣島に人が住み始めたのは1884年のことで、その後には鰹節工場などが建設され、多い時には99戸、248人が住み着きました。1940年に沖縄海域の戦況が悪化して以降、無人島となったわけですが、それまで経済的な営みを日本人が続けてきたことは多くの資料から明らかなのです」(山本氏)

 そもそも中国側は、尖閣の周辺海域で石油・天然ガスの埋蔵の可能性が指摘される1960年代後半まで、領有権を主張したことは一度もなかった。資源欲しさに歴史を“捏造”したため、丁寧に検証を続ければこの感謝状のような矛盾が数多く見つけられるのだ。

 新聞やテレビなどの大メディアは、検証を怠っているのか相手国へ“配慮”しているのか、こうした「事実」をほとんど報じない。韓国が不法に実効支配を続ける島根県の竹島についても同様だ。

 10月12日に発売され、大きな反響を呼んでいる『日本人が知っておくべき竹島・尖閣の真相』(小学館刊、SAPIO編集部・編、定価980円)には、前出の山本氏をはじめとするジャーナリストや専門家が歴史資料、古い地図、写真や証言などを丹念に紐解いたレポートを寄稿。尖閣諸島や竹島についての中国・韓国の主張がデタラメであることを明らかにしている。

※週刊ポスト2012年11月2日号