「アフガン情勢に関する緊急メッセージ3」
カブール国際空港に殺到する人たち。
空路、インドに到着して「世界はアフガニスタンを見捨てた。残った友だちは殺される」と泣き出した女性、
カブール市内のマスード広場の塔にはめ込まれていたマスードの写真も消されました。そうした報道に心を痛めていた時に、
ガニ大統領が車4台に積んだ現金をヘリに載せて飛び立ったというニュースがありました。
アフガニスタン政府はこんなにひどかったのか。それならタリバンが勝つのが当たり前だよね」という声も聞こえてきました。
そんな時、こんなニュースが飛び込んできました。
この間、消息がつかめなかったマスードの息子アフマドがカブールからパンシールに飛ぶ動画が配信されたのです。
いくつかのTwitterで「自分たちの自由を守るため、そして女性、宗教マイノリティ、民族マイノリティのためのフリーゾーンを作る」と宣言したことが報じられています。
最初は「無謀すぎる。大丈夫かな。負けて捕まっら処刑されてしまう」と心配しました。
<パンシールに向かうアフマド。@CBNEWSのtwitter投稿より。動画はこちら>
<イランの女性監督のツイッターから>
しかし、彼が命を失う危険よりも選び取ったものについて考えました。
現在、日本を含め、世界の人々が難民になって逃れるアフガニスタン人、自分の国すら守れない人々、腐敗した政府を変えられなかった人たちというイメージが出来上がりつつあります。
そうした中で「戦果を交える」のではなく、「自分たちの自由、価値観、少数者を守る聖域」にすると宣言したことは、
「武力を持ったタリバン、そして何もできない世界」に期待するのではなく、「いばらの道でも、自分たちの意思で進んでいく」という宣言でもあると思います。
もちろん、パンシールには私たちが支援している「山の学校」もあります。
もしタリバンが攻め入ってきて戦闘になったら、子どもたちはどうなるのだろう」と思うと、胸が苦しくなります。
しかし、パンシールはタリバンの全国支配を許さなかったマスードの故郷であり、
彼が斃れた後も反タリバンの拠点でした。タリバンが全国を平定したら過酷な弾圧が待ち受けているのは明らかで、自分たちの娘や家族、信条を守ろうと人々が気持ちを固めたことは想像できます。
すでに山の学校のヤシン先生はじめ、多くの婦女子がカブールに来ているのも家族を安全なところに逃したいという地域の人々の気持ちの表れでしょう。
アフマドがパンシールに灯した動きが小さな火で終わるのか、全国から迫害を恐れる女性や、これからの弾圧が目に見えているハザラの人々が集結して、
タリバンに声を上げる大きなものになるのかはわかりません。
でも、アフマドが「諦めるのではなく希望を持つところから始まる」と話していたマスードの気持ちを汲んだことは明らかです。
タリバンが来て父の廟が破壊されるもたまらなかったかもしれません。
彼ばかりでなく地域の人たちにとっても共にあったマスードが跡形もなく破壊されるのは自らの精神が魂と粉々にされるような気持ちなのではないでしょうか。
それをタリバンが武力で鎮圧するのか、話し合いを申し込んで人々の声を聞くのか。その対処の仕方でタリバンの本当の姿が見えてきます。
国民の声を聞くことも選挙も認めていないタリバン。彼らは20年前もいまも、武力こそが最強だと思っています。
1997年、オマール師率いるタリバンが国土の9割を制圧し、パンシールに閉じ困ったマスードに衛星電話をかけてきました、「
投降すれば、命も助けるし、それなりの地位も与える」という内容でした。
マスードは「まず、選挙をしよう。その国民の声に私は従う」と言って、投降しないことを告げました。
その後、マスードは戦士たちと失地を回復していくのですが、2001年、アルカイダの自爆テロに斃れました。
そんな彼の姿を見続けるうちに、「戦いには武器や勇気だけでなく、自分の確固たる思想があって続けることができる」と思うようになりました。
1988年、ソ連軍の絨毯爆撃で焼かれた故郷を見るマスードに「好きだったクルミの木も焼けてしまったね」と声をかけると、「また植えればいいさ」と微笑みました。
今回の宣言には、自分の家や畑が焼かれることも覚悟している思いがすけて見えます。
命懸けとも言える今回の聖域宣言。それを黙殺するのではなく、タリバンが攻撃をかけないように世界は声をあげ、動くべきだと思います。
私はタリバンの悪いところしか知りませんが、タリバンの中には外国に留学した人も外国勢力を受け入れることに否定的な人物もいると聞いています。
指導者オマール師が亡くなってから、内部の権力闘争を経て、有力指導者の合議制で物事が決まるようになったとも聞いています。
願わくば、少しでもリベラル人たちが主導権を握り、戦いではなく話し合いでこの国の未来を決める方向に進んで欲しいと願っています。
イスラムでも「人々の声を聞く」ことはとても大切なこととされています。マスードが掲げた「世界と仲良くできる国家つくり」がいつか実現することを心から希求します。
いずれにしても、これからの数ヶ月でタリバンの本質が明らかになり、これからの未来を占うことができます。
このメッセージを読んだ方々には、世界のメディアが報じなくなっても、この国の行方に関心を払い続けて欲しいと思っています。
8月17日 長倉洋海
カブール国際空港に殺到する人たち。
空路、インドに到着して「世界はアフガニスタンを見捨てた。残った友だちは殺される」と泣き出した女性、
カブール市内のマスード広場の塔にはめ込まれていたマスードの写真も消されました。そうした報道に心を痛めていた時に、
ガニ大統領が車4台に積んだ現金をヘリに載せて飛び立ったというニュースがありました。
アフガニスタン政府はこんなにひどかったのか。それならタリバンが勝つのが当たり前だよね」という声も聞こえてきました。
そんな時、こんなニュースが飛び込んできました。
この間、消息がつかめなかったマスードの息子アフマドがカブールからパンシールに飛ぶ動画が配信されたのです。
いくつかのTwitterで「自分たちの自由を守るため、そして女性、宗教マイノリティ、民族マイノリティのためのフリーゾーンを作る」と宣言したことが報じられています。
最初は「無謀すぎる。大丈夫かな。負けて捕まっら処刑されてしまう」と心配しました。
<パンシールに向かうアフマド。@CBNEWSのtwitter投稿より。動画はこちら>
<イランの女性監督のツイッターから>
しかし、彼が命を失う危険よりも選び取ったものについて考えました。
現在、日本を含め、世界の人々が難民になって逃れるアフガニスタン人、自分の国すら守れない人々、腐敗した政府を変えられなかった人たちというイメージが出来上がりつつあります。
そうした中で「戦果を交える」のではなく、「自分たちの自由、価値観、少数者を守る聖域」にすると宣言したことは、
「武力を持ったタリバン、そして何もできない世界」に期待するのではなく、「いばらの道でも、自分たちの意思で進んでいく」という宣言でもあると思います。
もちろん、パンシールには私たちが支援している「山の学校」もあります。
もしタリバンが攻め入ってきて戦闘になったら、子どもたちはどうなるのだろう」と思うと、胸が苦しくなります。
しかし、パンシールはタリバンの全国支配を許さなかったマスードの故郷であり、
彼が斃れた後も反タリバンの拠点でした。タリバンが全国を平定したら過酷な弾圧が待ち受けているのは明らかで、自分たちの娘や家族、信条を守ろうと人々が気持ちを固めたことは想像できます。
すでに山の学校のヤシン先生はじめ、多くの婦女子がカブールに来ているのも家族を安全なところに逃したいという地域の人々の気持ちの表れでしょう。
アフマドがパンシールに灯した動きが小さな火で終わるのか、全国から迫害を恐れる女性や、これからの弾圧が目に見えているハザラの人々が集結して、
タリバンに声を上げる大きなものになるのかはわかりません。
でも、アフマドが「諦めるのではなく希望を持つところから始まる」と話していたマスードの気持ちを汲んだことは明らかです。
タリバンが来て父の廟が破壊されるもたまらなかったかもしれません。
彼ばかりでなく地域の人たちにとっても共にあったマスードが跡形もなく破壊されるのは自らの精神が魂と粉々にされるような気持ちなのではないでしょうか。
それをタリバンが武力で鎮圧するのか、話し合いを申し込んで人々の声を聞くのか。その対処の仕方でタリバンの本当の姿が見えてきます。
国民の声を聞くことも選挙も認めていないタリバン。彼らは20年前もいまも、武力こそが最強だと思っています。
1997年、オマール師率いるタリバンが国土の9割を制圧し、パンシールに閉じ困ったマスードに衛星電話をかけてきました、「
投降すれば、命も助けるし、それなりの地位も与える」という内容でした。
マスードは「まず、選挙をしよう。その国民の声に私は従う」と言って、投降しないことを告げました。
その後、マスードは戦士たちと失地を回復していくのですが、2001年、アルカイダの自爆テロに斃れました。
そんな彼の姿を見続けるうちに、「戦いには武器や勇気だけでなく、自分の確固たる思想があって続けることができる」と思うようになりました。
1988年、ソ連軍の絨毯爆撃で焼かれた故郷を見るマスードに「好きだったクルミの木も焼けてしまったね」と声をかけると、「また植えればいいさ」と微笑みました。
今回の宣言には、自分の家や畑が焼かれることも覚悟している思いがすけて見えます。
命懸けとも言える今回の聖域宣言。それを黙殺するのではなく、タリバンが攻撃をかけないように世界は声をあげ、動くべきだと思います。
私はタリバンの悪いところしか知りませんが、タリバンの中には外国に留学した人も外国勢力を受け入れることに否定的な人物もいると聞いています。
指導者オマール師が亡くなってから、内部の権力闘争を経て、有力指導者の合議制で物事が決まるようになったとも聞いています。
願わくば、少しでもリベラル人たちが主導権を握り、戦いではなく話し合いでこの国の未来を決める方向に進んで欲しいと願っています。
イスラムでも「人々の声を聞く」ことはとても大切なこととされています。マスードが掲げた「世界と仲良くできる国家つくり」がいつか実現することを心から希求します。
いずれにしても、これからの数ヶ月でタリバンの本質が明らかになり、これからの未来を占うことができます。
このメッセージを読んだ方々には、世界のメディアが報じなくなっても、この国の行方に関心を払い続けて欲しいと思っています。
8月17日 長倉洋海