武蔵國日記(むさしのくににっき)

土佐日記にあやかって、「女もすなる日記といふものを、中年男もしてみむとてするなり」

Masadaの誓いとウクライナ

2022-04-06 10:08:27 | 人間観察
ロシアのウクライナへ侵攻が開始されて1ヶ月以上が経った。

当初、キーウ陥落が懸念されたほど、ロシアの攻め込みが激烈であったが、
最近はウクライナ側の押し返しが優勢との報道が散見される。
戦時の報道は、互いに自分を優位に伝えるので若干の割引きが必要なのだが、
市街地のあちこちで多くの市民の血が流され、そして亡くなっていることは事実だろう。
さらには無抵抗の市民が虐殺されたと思われる証拠も次々と見付かっている。

開戦当初、日本の「知識人」とされるコメンテーターが、
「血が流されるぐらいならば、降伏して生命を守る方が大切である。」と、
正論めいたコメントを寄せていたが、筆者はそれには全く賛意を持てなかった。

領土を取りに来ている侵略者に降伏することは、自国を失うことになるのだ。
そして一旦領土が失われたならば、自国を取り戻すための戦力はおろか通貨さえ持てなくなるのだ。
つまりは、流浪の民として子々孫々に至るまで、帰る家を失うことである。

筆者はかつて、イスラエルのMasada砦を訪れたことがある。
死海に面した荒凉たる砂漠のなか、崖の上にMasada砦があった。
紀元66〜73年のユダヤ戦争にてMasada砦が陥落した後、ユダヤの人々は1900年間流浪の民となった。

領土を失うことは、主権を失うことであり、そして自分の立ち位置を失うことである。

現在、マサダは現代ユダヤ人にとり、民族の聖地となっている。
イスラエル国防軍将校団の入隊宣誓式はマサダで行われ、
士官学校卒業生は山頂で「マサダは二度と陥落せず」と唱和し、民族滅亡の悲劇を再び繰り返さないことを誓う。
(Wikipedia マサダの項より)

筆者は国家主義者でもなければ、いわゆる極右でもない。
しかし、自分の家(国家)を自分で守ることは大切であると考えている。

どこからか正義の味方が現れて、家を守ってくれるなどあり得ない話だし、
家を失った途端に他国の人々からは、継子の厄介者扱いを受けることは歴史が示している。

ウクライナの人々は、それを知っているのである。

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