夢幻に遊ぶYujin Koyamaの絵画と小説の世界を紹介します!

意外な人間の姿、風景に、きっと出会えるでしょう。フランスを中心に活躍する小山右人の世界を、とくとご堪能下さい!

素晴らしいお言葉を頂きました!

2019-03-07 22:09:58 | カルチャー
小説「声」につき、大先輩のある総合病院長先生から、よくまとまった素晴らしい御文をいただきました。ありがとうございます! 光栄の至りです。

《聞こえると見える》

声は、耳で聞こえる声(音声;音楽、言葉、会話)と耳で聞こえない声(心の内面;他人の眼差し、自分の想い)がある。
人の内面に潜む声は、時には声なき声として、言葉に表せないほど深く傷ついたとき、声にも発せられない感情に打ち沈むときに人を支配する。そして、読経のようにたえず腹に響いて臓腑に染み渡る。
声や言葉の病的状態としては、実存するような人の声が聞こえてきて支配されたり悩む「幻聴」があり、言葉を話せない「失語症」や声への恐怖から声がだせない「無言症」(造語)がある。
声の恐怖は、書かれた言葉も、録音された声も容易に消すことはできるが、大元の声は永遠に残るという強迫観念に基づいて生じる。
声なき声は特別なものでなく常に自分の心の内にある。それは、人生において自らが体得した教訓や教条であり、感銘や思い出として心に残っている人の声であったり、自分の内面にある自戒の声、励ましの声、怒りの声、喜びの声、誘惑の声であったりする。時には神の声、天の声だったりすることもある。

人が声を発するとき、その声に宿る力とはどのようなもので、どんな魔力や神性が潜んでいるのかは興味深い。

聴覚(聞く)によって人に入り込む音楽の響きやメロディーと、それによって呼び起こされる感情や衝動、空想は受け手(聴く者)の心や精神や知性によって異なってくる。視覚(見る)によって人に侵入する絵画の構図や色彩や明暗と、そこに潜む作者の想いや表現は、受け手(観る者)の感情や観念や想像、精神や経験によって様々である。それが芸術の本質であり、声・音楽であり色・絵画でもある。芸術は、自らが自然から得た衝撃や想い、感動や情熱を自らの手法で表現し、聞く人、見る者に何らかのメッセージを宇宙の躍動として与えることができるものでありたい。
絵画の魅力は、見る人に語りかけるもの、想像を掻き立てるもの、衝撃を与えるもの、感動を覚えるもの、心にインパクトを与えるものであって、風、空気、霊気、神性、宇宙、生命を感じさせるものである。
絵画の見えるものは、色、陰、光、闇、線、揺らぎ、歪、などであり、見えないものは、奥行き、厚み、温・冷、湿・乾、動・静、濁・清、鋭・鈍、風、空気、悲・喜、怒・安、恐怖・安らぎ、癒し、躍動、活力、意欲、落胆、希望などである。見えないものが観えるのが絵画の味わいであり、見えないものを観せるのが絵画の本質である。
(H・F 先生)