柳美里の今日のできごと

福島県南相馬市小高区で、
「フルハウス」「Rain Theatre」を営む
小説家・柳美里の動揺する確信の日々

訃報

2020年01月16日 08時38分00秒 | 日記
実はね、
一昨日、由紀夫に海を見せてやった、
南相馬市鹿島区八沢地区の観音像の前で、
扶桑社の田中陽子さんからのメールが届いた。

坪内祐三さんの訃報だった。

由紀夫の骨壺を抱いたまま凍りついた。

いまはもうない、『en-taxi』(エンタクシー)は、福田和也さん、坪内祐三さん、リリー・フランキーさん、わたしの4人の責任編集で、扶桑社編集者の壹岐真也さんと田中陽子さんと共に、2003年に創刊した季刊誌だ。

編集会議のために4人で集まって、六本木や新宿や銀座で、食べ、呑み、話しまくった夜が懐かしい。
福田和也さんが美食美酒に拘り抜いた人だったから、編集会議は超高い店ばかりだった。
あ、でも、4人の顔合わせの日は六本木のラ・ゴーラだったし、ほとんど入り浸っていたな、ラ・ゴーラに。で、閉店後に澤口知之シェフを待って、銀座に呑みに行くというコース。

澤口さん、瞬間湯沸器とか無頼派シェフとか言われてたけど(わたしもそんな感じの作家に思われてた)、いつも心の機微に触れる繊細な料理を出してくれた。特に、東由多加が死んだ後や、サイン会中止事件の日は、メニューを開こうとすると、「今日は、澤口さんが、」と言われて、澤口さんは出てこなかったけど、食べながら、励ましや労りを超えたわたしの痛苦への共震みたいなものを受け取った。だから、ひとりでも行けた唯一のレストランだった。
編集者との打ち合わせとか、本が出た打ち上げとか、わたしの誕生日会とかもラ・ゴーラだったな。
(偶然店内で遭った田中康夫には、翌週の週刊誌連載に、料理は素晴らしいけど、柳美里が通っている客筋の悪い店とか書かれたけど。その場では、田中康夫の方から名刺を渡してきた癖に)

盟友、福田和也と澤口さんの関係は、また違ったと思うけどね。

澤口さんは、2017年9月18日に59歳でこの世を去ってしまった。


わたしは、19号でエンタクシーの編集同人を降りたけれど、巷で言われているような坪内さんとの確執ではなかった。

編集同人降板から2年後の2009年12月16日、上野公園の「鰻割烹 伊豆栄 梅川亭」で「談志噺を聴く会」が催された。
席亭は嵐山光三郎さんだった。

みんな、立川談志という落語会を畏怖して前のほうに座りたがらず、前3列だけ空く、という奇妙な事態になって、嵐山さんが直前に、だれか前に座ってください、とおっしゃったので、講談社の藤田康雄さんとわたしが最前列の真ん中に座った。

家元の友人知人のみの80人くらい、鰻屋二階の座敷で「金玉医者」と「芝浜」を聴いた。

終演後に鰻を食べる段になって、坪内さんの姿を見つけてうれしくなって、わたしは坪内さんの向かいの席に座ったっけ。

思い出は書き切れない。

お通夜にも告別式にも、参列する。

坪内さん、どうして、死んじゃったかな……



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