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記念日や行事・歴史・人物など気の向くままに書いているだけですので、内容についての批難、中傷だけはご容赦ください。

詩人・峠三吉 (『原爆詩集』) の忌日

2009-03-10 | 人物
今日・3月10日は、詩人・峠三吉 (『原爆詩集』) 1953年 の忌日。
ちちをかえせ ははをかえせ 
としよりをかえせ 
こどもをかえせ
わたしをかえせ わたしにつながる 
にんげんをかえせ
にんげんの にんげんのよのあるかぎり 
くずれぬへいわを 
へいわをかえせ
この詩は、峠三吉の生前唯一の詩集『原爆詩集』に、”一九四五年八月六日、広島に、九日、長崎に投下された原子爆弾によって命を奪われた人、また現在にいたるまで死の恐怖と苦痛にさいなまれつつある人、そして生きている限り憂悶と悲しみを消すよしもない人、さらに全世界の原子爆弾を憎悪する人々に捧ぐ。”と前置きして書かれているもので、正式な題名は、<序>であるが、詩の記述から一般的には<にんげんをかえせ>という題でも広く認知されている。峠の代表作であり、また原爆詩の名作の1つとされている。
(詩の詳細は、峠三吉『原爆詩集』青空文庫参照)。
三吉は大阪府豊能郡(現在の豊中市)に生まれ、生後まもなく家族とともに父の故郷広島市に転居。幼い頃から病弱で、気管支の病気に苦しめられしばしば喀血(かっけつ)していたという。文学好きな母親の影響をうけて育ち、広島商業学校(現在の広島県立広島商業高校)在学時から詩作に勤しむ。卒業後、発病(当時、肺結核と診断されたが、実際には、気管支拡張症だったようだ)し、入院と療養を繰り返すなかで、その思いを文学に求めるようになる。さらに1945年(昭和20年)8月6日、28歳の時、爆心地より3kmの広島市翠町(現在の南区翠町)で被爆。この時、直接の損傷は硝子の破片による負傷であったが、親戚や知人を探して原爆投下直後の広島市内をさ迷い歩き回ったため原爆症に罹った。この時見聞した惨状を詳細に記し、その体験が『原爆詩集』の原型となった。
敗戦後は、原爆症に苦しみながら広島青年文化連盟などの文化活動を指導する等、広島を拠点とする地域文化運動で中心的な役割を果たし、次第に平和運動の先頭に立つようになる。
1950(昭和25)年11月、肺葉摘出手術を受けるため西条の療養所(国立広島療養所、現:東広島医療センター)に入院。その頃、“朝鮮戦争が激化し”朝鮮戦争に再び原爆使用も辞せず”(トルーマン声明。1950年11月30日)といった世界史的に緊迫した状況、またその危険を予知した世界平和擁護大会によるストックホルムアピール(1950年3月19日)の原子兵器禁止に関する署名運動を背景とし、「広島市民からも意思表示がなされるべきだ」(日記)との思いで、翌1951(昭和26)年1月~3月に、療養所の一室で『原爆詩集』25編の内18編を書きあげた。この入院では、結果的に、手術は中止となり、同年4月下旬に退所しているが、入院中に、この時、愛妻和子が西条に見舞いに来てくれることを待ちわびながら絵日記とコラージュを1冊のスケッチブックに残している。以下参考に記載の「峠三吉文学資料展」(広島大学中央図書館)で、『原爆詩集』最終草稿 (2006年11月に発見,)「スケッチブック」 デジタルアーカイブで見れる。
GHQによるプレスコード(新聞雑誌などの言論規制と事前検閲)の影響で、『原爆詩集』は、当初、東京の大手出版社に持ち込まれたが、発刊をすべて断られ、やむを得ず、孔版印刷(ガリ版刷り)で、1951(昭和26)年9月に自費出版(500部)した。同詩集は、同年のベルリンでの世界青年学生平和祭に、日本の代表作品の一つとして送られ、世界的な反響を与えたという。そして、翌1952(昭和27)年になって、新たに5編の詩を追加して、 青木書店から出版(青木文庫)された。
峠三吉は、『原爆詩集』後の新たな詩集の発表その他、今後の活動を目差して、被爆から8年後の1953(昭和28)年3月10日、国立広島療養所に再入院して、持病の気管支拡張症根治のため臨んだ肺葉切除手術中に死去した。享年36歳の若さであった。
峠は、『原爆詩集』の刊行と、子どもたちの詩を集めたアンソロジー『原子雲の下より』(峠三吉・山代巴編 青木書店、1952年)の2冊により「原爆詩人」として知られるようになった。しかし、『原爆詩集』の“あとがき“には、広島療養所の一室で、
「私はこの稿をまとめてみながら、この事に対する詩をつくる者としての六年間の怠慢と、この詩集があまりに貧しく、この出来事の実感を伝えこの事実の実体をすべての人の胸に打ちひろげて歴史の進展における各個人の、民族の、祖国の、人類の、過去から未来への単なる記憶でない意味と重量をもたせることに役立つべくあまりに力よわいことを恥じた。」
 ・・・と書いてあるように、峠は、あの原爆の惨禍を体験し、日記などにその惨状を細かく記し、これらの記録を素材としているのであるが、何故か、それを実際に作品にして発表するまでには、6年もの月日を要している。
『原爆詩集』を発表する前のと言うより、原爆が投下される前・戦前の峠は、他の多くの日本人と同様に、あの戦争を「聖戦」と信じて「幹部候補生採用願」や「幹部候補生志願者学歴一覧表」などを提出し(病気療養中であり当然採用されなかった)、うじうじたる思いで少なくない戦争詩を残している(例えば、広島文学館の峠三吉東京資料、T0150, T0198 など)という。どんな詩か読んでみたいと思ったが、例によって、今や、反戦・反原爆の詩人となっている人のそのような詩をNETで見るのは難しいようだ。又、その様な戦争詩とは別に、激しい原爆詩を書いた峠とは思えないような象徴的な抒情詩も残している。そのような詩は、以下でも見れる。
峠三吉の新発見の詩編(未発表) 
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TogeNewPoems.html
戦前の彼は、長姉の影響でキリスト教の洗礼も受けており、彼を知る人に寄れば、音楽や絵画を愛し、家族を慈しみ、幼い子どもや花鳥風月にも心を寄せ、女性への追慕をうたう心穏やかなやさ男であったようだ。
だから、峠を研究している人の間では、彼は本来の優しい抒情の「質」では的確に原爆の惨劇をとらえることができず、しなやかな抒情性とリアリズムの手法を獲得するための自己変革の苦闘があったのだろうと推測されているようだ。
以下のMIDI「ひとつの花」(作詞:峠三吉作曲:田中ルミ子)もそうだ。詩が掲載されており、曲もいいので聞いてみては・・・。
「ひとつの花」hitotsunohana phpバージョン
http://utagoekissa.music.coocan.jp/utagoe.php?title=hitotsunohana&type=mp3
又、今は、「にんげんをかえせ」も曲がつけられいろんなバージョンで歌われているようだが、そんな中に、VOCALOID メイコのアメージンググレースの曲でうたっているものが紹介されていた。素敵な歌なので、これも一度聞いてみることをおすすめする。
「にんげんをかえせ」 【うた】VOCALOID メイコ
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/VOCALOIDningenwokaese.html
戦後も時が過ぎると過去の傷みを忘れる、あるいはあえて無視しようとする者たちが、政府のなかにも増えてきたようだ。そして、原爆で、あれだけの被害を被っているにもかかわらず、防衛のためには、『核』を保有すべきなどと言い出す輩も・・・。
私が未だ若かった昭和30年代には、歌声喫茶が大流行していて、良く、ロシア民謡やフォークソングなどと共に労働歌なども歌われていたが、その中に、「原爆許すまじ」(作詞:浅田石二 作曲:木下航二。MIDI⇒ここ )が多くの人に歌われていたが、こんな歌も忘れ去られている今、それに続く反原爆の歌として日本中に広がればいいよね~。
(画像は、平和資料館北側の緑地帯にある峠三吉詩碑。表には彼の詩が刻まれ、裏にはその英訳が刻まれている。)
峠三吉 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B3%A0%E4%B8%89%E5%90%89
朝鮮戦争 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E6%88%A6%E4%BA%89
青空文庫・作家別作品リスト:No.1053:峠 三吉
http://www.aozora.gr.jp/index_pages/person1053.html
峠三吉『原爆詩集』
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TOGE/TogePoems.html
峠三吉の新発見の詩編(未発表)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/database/TogeNewPoems.html
広島文学館
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/
「峠三吉文学資料展」(広島大学中央図書館)
http://home.hiroshima-u.ac.jp/bngkkn/hlm-society/TogeHirodai.html
プレスコード - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%97%E3%83%AC%E3%82%B9%E3%82%B3%E3%83%BC%E3%83%89
青木書店 – Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%9C%A8%E6%9B%B8%E5%BA%97
にんげんをかえせ
http://www.cdngk.net/
MIDI「にんげんをかえせ」作詞:峠三吉、作曲:杉本憲一
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/ningenwokaeseSUGIMOTO.html
戦争を知らない子供たち (楽曲) - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%A6%E4%BA%89%E3%82%92%E7%9F%A5%E3%82%89%E3%81%AA%E3%81%84%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%9F%E3%81%A1_(%E6%A5%BD%E6%9B%B2)
*ふくちゃんの音楽室
http://www.fukuchan.ac/music/music.html
*戦争を知らない子どもたちMIDI(作詞:北山 修 作曲:杉田二郎 )
http://utagoekissa.web.infoseek.co.jp/ningenwokaeseSUGIMOTO.html
*原爆許すまじMIDI(作詞:浅田石二 作曲:木下航二 )
http://www.fukuchan.ac/music/j-sengo1/genbaku.html

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