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服部半藏正成 (武将,伊賀忍者の指導者)の忌日

2006-11-04 | 人物
1596年の今日(11月4日)は、 服部半藏正成 (武将,伊賀忍者の指導者)の忌日。 <数え55歳>
服部 正成(はっとり まさなり(「まさしげ」とも)、は、戦国時代から安土桃山時代の三河国の武将。通称は半蔵(はんぞう)で、服部半蔵の名でよく知られている。服部正成は、服部保長の5男として三河国に生まれたが、生家の服部家は伊賀国土豪(いわゆる伊賀者)の有力家系であった服部氏の一門だが、父の保長は故あって三河国に移住し松平氏に仕えた家である。
父保長の嫡男として服部家の家督を継ぎ、徳川家康に仕えて遠江国掛川城攻略、姉川の戦い三方ヶ原の戦いなどで戦功を重ねた。
正成は「槍半蔵」と呼ばれた渡辺半蔵守綱と並び称される槍の名人で、その戦いぶりから「鬼半蔵」とあだ名されたほどで、徳川家譜代家臣の中でも、徳川十六神将のひとりに数えられた歴とした武将であり、歴代の当主は石見守(いわみのかみ)という官名の名乗りも持ち、服部石見守とも称したという。
伊賀国 (いがのくに) は、現在の三重県西部の上野盆地一帯に当たり、北は近江国(滋賀県)に接し、北西は山城国(京都府南部)に、西は大和国(奈良県)に、東は伊勢国(三重県東部)に接している。
忍者という存在の発祥は良くわからないが、日本国内各地に分かれ、いくつかの集団を形成していたようだが、その中でも甲賀(現在の滋賀県南東部)や伊賀を本拠としていた忍者集団が有名である。これらの場所には多数の忍者屋敷があり、日々の訓練が行われていたと考えられる。甲賀と伊賀は、鎌倉時代にはその領地の大半が荘園であったため守護地頭による支配を受けなかったが、戦国時代になり荘園が崩壊すると、地侍が数十の勢力に分かれ群雄割拠した。各地侍が勢力を保つため情報収集戦とゲリラ戦が日夜行われ、ここから「忍術」が自然発生したのではないかと考えられているそうだ。
山を一つ隔てた場所に存在する忍者群でも甲賀流伊賀流の異なる点は、甲賀忍者が1人の主君に忠義を尽くすのに対し、伊賀忍者は金銭による契約以上の関わりを雇い主との間に持たない点であるとされる。伊賀国では、「伊賀惣国一揆」と呼ばれる合議制の自治共同体を形成、実力者である藤林・百地・服部の上忍三家が他の地侍を支配下に、最終的に合議制を敷いて、戦国大名に支配されない地域を形成していた。外部からの侵略に対しては結束して戦い、1579(天正7)年、織田信長が伊賀国を支配するために送り込んだ築城奉行・滝川雄利を追放、さらにはその報復として攻め込んできた織田信雄の軍も彼らは壊滅させている。これが、第一次天正伊賀の乱である。この結果に激怒した織田信長は、2年後の1581(天正9)年には自らおよそ4万の兵を率いて伊賀に攻め込んだ。これが第二次天正伊賀の乱である。驚いた伊賀の人々は、すぐさま総力を挙げて信長と戦うことを決意する。だがかねて協力体勢にあったはずの甲賀忍者の一人・多羅尾光俊の手引きにより伊賀忍者からさらに二人の離反者が発生し、織田方の蒲生氏郷の道案内をおこなった。これにより伊賀の人々が立て籠もった城は次々と落ち、最後の砦・柏原城が落ちた時点をもって天正伊賀の乱は終わりを告げた。
乱後、生き残った伊賀忍者は徹底的に探し出され、処刑されたが、捜索の手から逃れた忍者達は全国に散り、百地丹波(伊賀忍術の祖とされる忍者)以下100名が紀州の根来へと落ち延びたという。やがて本能寺の変が起こる。
この本能寺の変の直後に家康がわずかな供だけを連れて堺に滞在していた際、正成は、伊賀出身の人脈を生かして伊賀者を味方につけ、家康を伊賀を抜けて三河へと無事送り届ける「伊賀越え」を成功させたと言われている。
こうした活動が評価されたためか、家康が天正伊賀の乱で離散した伊賀者を召抱えて伊賀組同心を編成すると正成はその支配を命ぜられた。家康が江戸城に入封すると半蔵は江戸城西の門の警備を任せられ、彼の警備した門は半蔵門の名で呼ばれるようになる。
このように、伊賀同心を支配したことから一般には徳川家に仕える忍者の首領とみられることが多く、服部一族が伊賀の上忍三家の1つでもあるから、半蔵自身も忍者であったかのように言われることがあるが、歴史上の服部半蔵は伊賀者の統率者であっても自身の忍者としての性格は薄く、むしろ普通の戦働きでならした侍であった。
しかし、フィクションの世界で伊賀忍者、あるいは伊賀忍軍の首領として登場する服部半蔵はこうした正成のイメージがモデルになっており、そう信じ込んでいる人が多いのではないか。
白土三平の漫画「サスケ」では、主人公・サスケに敵対する公儀隠密の首領として服部半蔵が登場する。又、1980年代前半に放送された、アクション時代劇シリーズ「服部半蔵・影の軍団」では、服部半蔵家の改易後、服部半蔵を名乗る頭領とその配下の伊賀忍軍が影の世界で活躍していたという設定で、半蔵が主人公として登場している。
大体徳川方の忍者の頭領ということで、服部半蔵は敵役やダーティーな役柄で登場する事が多いよね~。もっと、実像に近い型でドラマ化してもらっても良いと思うが・・・やはり、其れでは面白くないかな・・(^0^)。
(画像の忍者武芸帳。1967年監督:大島渚。シネマ/邦画本編で見れるよ。)
参考:
服部正成 - Wikipedia
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%8D%E9%83%A8%E6%AD%A3%E6%88%90
甲賀忍者と伊賀忍者
http://www.m-network.com/sengoku/ninja/ninja01.html
伊賀流忍者
http://www.iganinja.jp/japanese/menu.html
戦国忍者考・伊賀惣国一揆と天正伊賀の乱
http://www.m-network.com/sengoku/ninja/ninja03.html
白土三平ファンページ
http://homepage1.nifty.com/kumori-hibi/sirato01/sirato01.html
忍者武芸帳(1967) - goo 映画
http://movie.goo.ne.jp/movies/PMVWKPD22116/index.html
甲賀流忍術屋敷 公式ホームページ
http://www.kouka-ninjya.com/column/column_rekisi_iga.html
忍者武芸帳1967年監督:大島渚。シネマ/邦画本編ここで見れるよ。↓
http://www.showtime.jp/info/cinema/07011/

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