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M7,9の大地震・津波(東南海地震)が発生した日

2005-12-07 | 歴史
1944(昭和19)年の今日(12月7日)、東海地方でM7,9の大地震・津波(東南海地震)が発生した。
熊野灘沖に発生した地震の規模は、マグニチュード7.9の大地震であった。地震の揺れと津波によって愛知、三重、静岡を中心に大きな被害が出た。死者・不明1223人、家屋の全壊17599戸、流失家屋3000戸に及んだが、そのときの新聞は当局の指示で2段の見出し付きで「被害は軽減」とそっけなく報じただけとか・・・(週刊20世紀・朝日クロニカルより)真実の程はどうかしらぬが、1944(昭和19)年12月と言えば、太平洋戦争の終戦の8ヶ月前のことである。華々しい戦果で始まった太平洋戦争も、この年になると、敗戦続きで、玉砕に次ぐ玉砕の悲報が届き、3月には国民生活非常措置が発表されていた。既に民需品の生産は停止されており、ストックもそこをつき、どこの家庭も、文字通りぎりぎりの最低水準の生活をしていた時代である。東京・名古屋の大都市圏などは疎開も始まっていた。この疎開という措置は、都会に住む将来の人的資源である児童を空襲の戦火から守るということでもあったが、本音は、空襲地の防空活動の足てまといを排除しておくこと、人的被害を少なくし、都市住民の戦意低下を防止するためだったとも言われている。このような状況の下での大災害である。当時の国の状況からすると、災害への対処どころではなかったのかもしれない。この当時から食料事情は最低で、米などの主食も配給制、1944年のコメ(水陸稲)の収穫量は878万トンで1933(昭和8)年の8割、(翌1945年には587万トンと激減)。1944年の大阪市民の栄養摂取量は配給で1403カロリー、実際の摂取量は1842カロリーでその差は他の代替品で補っていた。新聞では4月頃から「野草を食べよう」のキャンペーンを展開していたという。路傍や野原に生えて食べられる草はこれを、和え物したり、塩漬けにしたり、味噌汁の具にしたり、煮物、雑炊に混ぜるなどして、食べよう・・と丁寧に、ついでに、ヒガンバナ、アマトリカブトなど毒草もあるから注意を・・」と親切?に教えていたと言うのである。そんな時代の災害である。
私は、神戸っ子であり、あの1995(平成7)年1月の阪神・淡路大震災に遭遇した。このときは約6400人もの死者を出し、都市型地震の怖さをみせつけられた。この平成の豊かな時代でもあれだけの大震災が起こると、食べるものも飲み物もなくなり、パニックが起こった。だから、終戦前のどん底の経済状態の中での震災の悲惨さは、想像に難くない。
阪神・淡路大地震をふまえて、政府では地震防災対策特別措置法を1995(平成7)年7月に制定、地震から国民の生命や財産を守るため、必要な法整備を行うとともに、地震の予知研究・調査、避難路の確保、消防施設の整備、津波の被害の防止など、地震防災対策の強化に取り組んできている。しかし、具体的には地震予知も実用段階までに達しておらず、都市防災に関しても、被害の予想は立てられているものの、その対策となるとほとんど手がついていないのが現状である。
日本では古代から現代にいたるまで、数多くの巨大地震に見舞われてきた。すでに『日本書紀』には、白鳳時代の天武天皇12(684)年に、東海・南海地方に巨大地震が発生したことが記述されているという。江戸時代になると記録も数多く残されるようになり、1707年10月28日(宝永4年10月4日) 。畿7道 に「宝永地震(死者2万人余、倒壊家屋6万戸余、土佐を中心に大津波が襲った。わが国最大級の地震)」が発生している(M8.45)。 日本では、歴史的な大地震に見舞われた記録は枚挙にいとまがなく、その中で、今、東南海地震は、何時起きてもおかしくない時期に来ていると警告されている。1605年2月3日(慶長9年12月16日) の「慶長の東海・南海地震」(M7.9)、その102年後の先に述べた1707年の「宝永地震」さらに147年後の1854年(安政元年11月4)日の「安政地震」はいずれもM 8.4以上の大地震が発生している。それからすでに今年で、151年が経過しているのである。
阪神・淡路大震災後も地震による被害は世界各地で起こっている。昨年末にはスマトラ沖地震、そして、今年、10月には、パキスタンのイスラマバード市北東約90キロメートル地点を震源とする大規模な地震が発生し、死者、負傷者共に数万人以上に上っているといわれている。今、地球規模で、大地震が発生する時期になっているのだろう。
このような時期に、千葉県市川市の姉歯建設設計事務所が、首都圏のマンションなどの強度に関する書類を偽造していたとするニュースが11月22日に報じられた。姉歯建設設計事務所が構造計算に係わった建造物は22日報じられたところで、22都府県に計194物件あったとし、これらの物件を調べたところでは、震度5にも耐えられない建物が多くあるといわれている。しかも、それらの中には、耐震基準を満たしていない欠陥建築(東京都江東区のマンション「グランドステージ住吉」11階建て、67戸)が、全国住宅建設産業協会連合会の「優秀事業賞」を受賞し、他の物件の規範となるべき優良な物件として評価されていたというのである。朝日新聞によると、同連合会は、住宅建設や不動産関係事業関連の中堅企業1千社余りが加盟する社団法人であるが、担当者は「加盟社の励みとするのが目的で、他の物件より、優秀であることを示すものではない(耐震強度の偽造についてはコメントできない)」ななどと言っているという。戦後の日本人には今や、モラルなど期待できないのかも知れないが、報道されている関係者の責任の擦り合いや、無責任な白々しい態度を見ていると、日本も、戦後60年ほどの間に本当に、情けない国になってしまったものだ。もし、震度5以上の地震が発生したら、どれくらいの建物が崩壊し、どれだけの死者や犠牲者が出るのだろう。こんな恐ろしいことをしていても、建築基準法などの違反では、業者の免許取り消しなどはあったとしても、それ以外の罪では、罰金50万以下の刑ににしか処せられないというのである。関係者の白々しい顔や態度を見ていると・・・罰金30万以下なら、悪いことをしない方が損をする・・と言っているように見える。あ~、やだやだ。日本も、いやな国になってしまったな~。その後の調べで、問題のある建物や被害者の数はどんどん拡大している。その被害者に対する政府支援は阪神大震災のときなどとは違って、意外に早く発表され且つ、かなり手厚い支援である。これは、穿った見方をすれば、その底辺には、今回の問題については、政府・国土交通省に、許認可問題他、色々と、負い目があるからだろうと推定される。兎に角、困っている人に支援をするのは良いが、そのことで、第一義的には構造に欠陥のあるマンションを販売した建築主等にあることを忘れず、徹底的に責任追及をしてもらいたいものである。国土交通省は姉歯秀次建築士を構造計算書偽造の建築基準法違反で告発した。国会への証人喚問も含めて関係者の責任の追求を徹底的にしてもらいたいものだ。
(画像は、神戸震災後の1月21日の写真)
参考:
地震情報リンク集【HIR-NET提供】
http://www.hir-net.com/link/quake/
防災システム研究所・ホームページ
http://www.bo-sai.co.jp/index.html
気象庁HP東海地震について
http://www.seisvol.kishou.go.jp/eq/tokai/index.html
東南海地震(石垣島気象台HP)
~ 東海地震予知の契機となった地震! ~
http://www.okinawa-jma.go.jp/ishigaki/school/200410/tounankai.html
阪神・淡路大震災
http://www.bo-sai.co.jp/sub6.html

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2 コメント

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よーさん、こんばんは (^。^) (リリピィ )
2005-12-07 19:22:14
ブログ、今日のところ、拝見させていただきました。

すごいですね~!

HPもあれだけすごいのに。。。!

地震、過去のは知りませんでした。

そう言うのがあったんですね。

姉歯の事件、それにとどまらないのでは、とも思います。

神戸の震災でも、マンションが倒壊したけど、本当にきちんとしたものだったのか???などと話したりしています。

ともかく、きちんと調べて、救済もしてほしいですね。

では、(*^ー^)ノ~~☆:.・*.マ.:タ.:ネ.:ー・*.:(^ー^*)ノ~~☆

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姉歯の事件 (よーさん)
2005-12-08 17:43:46
リリピィさん、書き込みありがとう!

姉歯の事件徹底的に調べないと置けないですよね。本当にもう、悪魔に魂を売った人間だね。
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