備忘録として

タイトルのまま

ビジタリアン大祭

2009-06-22 23:30:40 | 賢治

 カナダのニューファンドランド島の小さな村で開かれた菜食主義者の世界大会の話である。菜食主義者には二種類あって、ひとつは動物に対し同情的であるため肉食を避ける人々、もうひとつは病気予防のために肉食を避ける人々である。もしたくさんの命の為に、どうしても一つの命が入用な時は、仕方無いから食べてもよい。
 ”そのかわりもしその一人が自分になった場合でも敢て避けないとこう言うのです。”
ベジタリアン反対派は、①植物性食糧が不足するようになり人類滅亡を招く、②動物が可哀そうだと言うが動物心理学的に豚は死というような高等観念など持っていない、③生物分類学的に動物と植物に境がないので植物に意識がないとは言えない、④比較解剖学上人類は雑食(混食)に適するようにできている、⑤海岸で死んだ魚から魚粕をつくりキャベツや麦の肥料にしている、などとベジタリアンを非難するのです。大会会場に招待された反対派の意見に対し、ベジタリアンたちは個々に反論します。反対者は全員ベジタリアンに改宗してしまうのです。

 シンガポールの知り合いにチベット仏教の信者で、できるだけ動物を食べないようにしているという同情派のベジテリアンがいた。でもチベット仏教には菜食主義的な教義はないらしい。
シンガポールの知り合いのヒンズー教徒は、教義の殺生戒のため、ベジテリアンだった。インド料理屋に招待して、カバブやチキンマサラやフィッシュカリーを注文してくれるのだが自分は決して食べなかった。いっしょに行ったコロンボのヒンズー寺院で祠の周りをいっしょに(たぶん)7回左回りした。お寺の宿坊では精進料理が出される。松島の精進料理屋の精進料理は高価で豪華だった。精進料理が僧侶の禁欲などの修行のために始まったとしたら、一種の冒涜だ。

賢治はもちろん菜食主義者で、共生・共死を受け入れている。

 「よだかの星」のよだかは、”かぶとむしや、たくさんの羽虫が毎晩僕に殺される。僕が今度は鷹に殺される。”ことがつらくて、我が身を焼き尽くし星になる。

 「注文の多い料理店」では、食事をしようとレストランに入った狩人が、実は自分たちが動物の餌になることに気づき逃げ出す話だ。

 「なめとこ山の熊」の小十郎は、熊を殺すことが職業の狩人だが、熊に殺されることを受け入れる。

人類が食物連鎖の環の中にいることは、山折哲雄の「デクノボウになりたい」で、詳しく論じられている。


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