備忘録として

タイトルのまま

なめとこ山の熊

2009-06-06 07:43:03 | 賢治

 宮沢賢治の「なめとこ山の熊」のことは、梅原猛の『百人一語』や山折哲雄の『デクノボウになりたい』の星野道夫の話を読むまで知らなかった。評論ばかり読んでいて、原作(一次資料)を見もしないで他人の論に寄りかかった評論家に堕していることを反省し、賢治の童話集を読んでいる。

驚いたことは母親とやっと一歳になるかならないような子熊と二匹、ちょうど人が額に手をあてて遠くをながめるといったふうに、淡い六日の月光の中を向うの谷をしげしげ見つめているのに会った。
 小十郎はまるでその二匹の熊のからだから後光が射すように思えて、釘づけになったように立ちどまって、そっちを見つめていた。すると小熊が甘えるように言ったのだ。
「どうしても雪だよ、おっかさん。谷のこっち側だけ白くなっているんだもの。どうしても雪だよ。おっかさん。」すると母親の熊はまだしげしげ見つめていたがやっと言った。
「雪でないよ、あすこへだけ降るはずがないんだもの。」
 子熊はまた言った。
「だから溶けないで残ったのでしょう。」
「いいえ、おっかさんはあざみの芽を見にきのうあすこを通ったばかりです。」
 小十郎もじっとそっちを見た。
 月の光が青じろく山の斜面を滑っていた。そこがちょうど銀の鎧のように光っているのだった。
 しばらくたって子熊が言った。
「雪でなけぁ霜だねえ。きっとそうだ。」ほんとうに今夜は霜が降るぞ、お月さまの近くで胃(コキエ)もあんなに青くふるえているし、第一お月さまのいろだってまるで氷のようだ、小十郎がひとりで思った。
「おかあさまはわかったよ、あれねえ、ひきざくらの花。」
「なぁんだ、ひきざくらの花だい。僕知ってるよ。」
「いいえ、お前まだ見たことありません。」
「知ってるよ、僕この前とって来たもの。」
「いいえ、あれひきざくらでありません、お前とって来たのきささげの花でしょう。」
「そうだろうか。」子熊はとぼけたように答えました。
 小十郎はなぜかもう胸がいっぱいになって、もう一ぺん向うの谷の白い雪のような花と余念なく月光をあびて立っている母子の熊をちらっと見て、それから音をたてないように、こっそりこっそり戻りはじめた。風があっちへ行くな行くなと思いながら、小十郎はそろそろと後退(あとじさ)りした。
 くろもじの木の匂(におい)が月のあかりといっしょにすうっとさした。

 母子熊の情景が鮮やかに目に浮かぶ。文章が写真や絵画を凌ぐことを実感できるシーンだ。

胃(コキエ)とは、二十八宿による牡羊座の近くにある小さな三ツ星。和名「コキエ=穀家(こくいえ)」といって、天の五穀をつかさどる宿

ひきざくら、くろもじ、などの花は、以下のWebページ”イーハトーブ・ガーデン”に詳しい。
http://nenemu8921.exblog.jp/tags/%E3%81%B2%E3%81%8D%E3%81%96%E3%81%8F%E3%82%89/



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