備忘録として

タイトルのまま

神秘体験

2013-03-25 02:16:05 | 仏教

Life of Pi"の巻で、「宗教上の神秘体験が真実なのか虚構なのかということは、その宗教の信者の中では成立しないと思う。復活したキリストを見たと言えばそれは真実なのである。空海は生きていると言えば真言宗徒にとってはそれが真実なのである。ブッダは悟りを得る前に多くの神秘体験をする。個人が遭遇した神秘体験も同じで、それが真実か虚構かを他人が判定することなどできないと思う。例えば、”漂流中に全宇宙を見る神秘体験をした”という話と、”漂流中は飢餓と渇きで意識がもうろうとして何も覚えていない”という話はどちらも真実であって不思議はないし、個人的な体験をもとにしている以上それを証明する方法はない。科学的な裏付けや実証がなければそれは真実ではないとするなら、個人的体験の多くは真実でなくなってしまうだろう。」と書いた。このブログで過去に紹介した神秘体験を拾ってみた。

  1. 空海は24歳のとき室戸岬で口の中に明星が入る神秘体験をしたのをきっかけに空海と名乗り悟りを開いたとされる。
  2. 親鸞は京都の六角堂での修行中に救世観音に化身した聖徳太子に会いお告げを受け、専心念仏の道に入る。
  3. 黒沢明の「」、Christmas CarolMidnight in Parisなども神秘体験である。
  4. 西行は讃岐の白峰陵で崇徳院の怨霊に会う。白洲正子は西行と同じ場所で「白峯には「思いなしか、このあたりには陰鬱な空気が立ち込めており、木にも草にも、崇徳院の”御霊”が息づいているような気配がある。」と述べている。
  5. 香山リカの「スピリチュアルにはまる人、はまらない人」にいろいろな神秘体験が紹介されている。
  6. 心と物の融合を目指した南方熊楠の南方マンダラも夢想と現実の境界を超えた考え方である。
  7. 今読んでいる「イエズス会」のイグナチウス・ロヨラはモンマルトルの洞窟の中で黙想中にイエス・キリストの姿を見るという神秘体験をし、それがきっかけでキリストの苦しみをともにし宣教活動をする意思を固めた。イエズス会員は世界中で宣教を開始する。

人の神秘体験はいろいろと聞かされたが、残念ながら自分自身に神秘体験がない。神秘体験をするときは、何かの宗教に足を踏み入れているか、棺桶に片足を突っこんだときだと思う。


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