内海先生のFB投稿より
子どもと子供
昔から言われている話ではありますがいまだに知らない人が多いようですね。言霊がどうとか言う人に限ってこんな簡単なこともやってないのだから、まったく恥ずかしい限りですが、人間の存在が恥ずかしいのだから仕方ないのかもしれません。この話題はようするに子どもと子供の表記の違いであり、教育や福祉の世界では暗黙の了解としてよく言われてきたことです。
文字が示す意味そのものでもあります。 いわゆる子どもと違い子供の「供」の字は、お供であり供え物=生贄という意味であり、もともと当て字だという話です。だから子どもを見下し差別的かつ支配的な考えなので、使わないほうがいいということになります。もちろん反対の意見はあるのですが、その場合教育現場とかより上層部の政治やメディアから出ていることが多く、政治から出ているということは深く考察しなければいけません。
文部科学省は2013年だったかにも表明しましたが、「子供」表記の統一を訴えています。公用文中の「子ども」の表記を「子供」に統一したのは、原発放射能問題とも実は深く結びついています。官僚が何人が多くて何の系列を引いている人たち、またはどの血を引いている人たちが多いかは、真剣に調べてみてください。それを知っている人は子供は使いませんし、究極的にいえば子どもではなくこどもと書くべきという人さえいます。
ちなみに産経新聞は、「コドモは『子供』と書くべきだ」というコラムを載せているそうだが、ちゃんと政治と新聞の実情を知っていれば、彼らがそう主張するのは当たり前のことだろうとわかります(とはいえ産経新聞でも子ども表記は存在する)。ちなみに子供は子+供であり供は複数形であり、万葉集から始まっているので大丈夫と言うアホな話もはびこっていますが、その時代の人民や子どもの扱いについて考えられなければ答えは出ません。
まあ、別に無理に強要するものでもないでしょうが、こういう話が普通に業界でも議論されていることくらいは、知っておいた方がいいでしょう。私は人類を心の底から軽蔑しているので、汚いといわれる言葉を使うのは大好きですが、子どもに関しては自分の中での唯一のモチベーションなので、気付く限り子どもかこどもと書くようにしています。