「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「霜月、往く」

2010年11月30日 | 季節の移ろい・出来事

        

         花言葉  「謙譲」 「困難に傷つけられない」  つわぶきの花

    “ 石蕗(つわぶき)の  日陰は寒し  猫の鼻 ”
                                        酒井抱一(さかいほういつ)   

枯れ葉を敷き詰めた庭の片隅。艶のある青い葉っぱで一角を占め、見事な黄金色を見せた石蕗(つわぶき)も その盛りを終えたいま。 霜が降り始める11月「霜月」が往こうとしている。

一年がかりの大仕事を終えた束の間の安らぎ。 お世話になった何カ所かへのお礼参上も終え一段落。 大きく深呼吸一つ。

暑いアツイとぼやいた夏をやり過ごし、ようやく迎えた秋も例年にない厳しい残暑。 それでいて10月・11月秋本番の充実ぶりといったら、これまでに例を見ないほどであった。

思い切って訪れた京都。坂本龍馬の足跡をたどる自由な散策。生涯の思い出として永久保存ものである。 そして終えたばかりの岩国検定。これも「初めの一歩」でありながら、永久保存版間違いなし。

途中には母の三回忌という、別な意味の胸熱くなる思いもあった。 あれもこれも全てにこの気持ち、この身体をぶつけてきたのだと思う。 そうして明日からの師走を迎える。

往ってしまう秋の印象があまりにも強いために、やって来る明日からの新たな月に何を期待しようか・・・などと一瞬戸惑う。が、思い違いをしてはいけないのだ。明日からは明日からの新しい陽が昇るのだ。 先ずは健康留意で、笑える日の多いことを期待しよう。

それにしては、二晩続きで医療センター救急外来の一室で、入院点滴を余儀なくされている幼い悠雅くん。気になるな~~

 


     

 

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「岩国検定報道」

2010年11月29日 | 岩国検定

      

名もなく貧しく清らかな、一市民の有志が集まって立ち上げた岩国検定。 第一回目の検定が実施の運びとなった。早速その状況を新聞各社に取り上げて頂いた。 ここでは中国新聞掲載記事をそっくりご覧いただくことにしました。

 

岩国市の歴史や自然、文化などの知識を確かめる第一回岩国検定が28日、同市の岩国短大であった。 市内外から19~90歳の94人が50問に挑み、80点以上の金賞は全体の約4割の37人だった。制限時間は1時間半。受験者は、錦帯橋鵜飼で鵜匠が鵜を操る手縄の素材は(答えヒノキ)▽錦川清流線の岩国側起点駅は(同川西駅)-など合併前の旧8市町村にかかわる問題を4者択一式で答えた。

1問2点で最高は98点の5人。5人を含む金賞の他、70点台の銀賞19人、60点台の銅賞17人で、認定書が送られる。最年長受験者の米村茂さん(90)=同市川西=は「まずまずの出来。岩国の魅力が広く伝わるといい」と話していた。

検定は、「岩国エッセイサロン」(沖義照代表)の会員を中心に市民有志12人が1月から準備して開催した。

             ( 以上、写真も添えて、11月29日、中国新聞朝刊掲載 )

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「初めの一歩」

2010年11月28日 | 岩国検定

            

           検定会場玄関           検定問題表紙

「初めの一歩」  夢にまでみたこの日がついにやって来た。 岩国検定実施当日。

現場での最終準備を控えて眠りの浅かった一昨夜。 メンバー一丸となってあれこれ周到な準備を。 「人事を尽くして天命を待つ」思いで、グッスリ眠った昨夜。 今朝の目覚めと共に飛び込む陽射し。 ヨーシッ!3割はことなれり!!後の7割はこれからだ!!

出がけに激励のメールも届く! やるっきゃない!! 11月終わりにしてはこれ以上ない暖かい太陽の恵み。 高台にある検定会場。遠く瀬戸の海を臨むロケーションも申し分なし。 来場者案内の看板設置からいよいよ活動開始。

受付の準備も手分けして整える。早くも一人二人と受験者が見える。 報道の記者もカメラを構え始める。 検定開始の時間が迫る。どの顔も緊張が走る。注意事項などの説明を始めようとするこちらにもその緊張が伝わってくる。「こりゃーいけん、ちょっと緊張をほぐさなければ・・・」と、一つ二つジョークを混ぜる。 いよいよ検定開始。

   

最終申込み者107人。実質受験者94人。最も遠来者は石川県白山市。 最若年19歳。 最年長90歳。 各地の検定マニアから、山口県・広島県、岩国近郊等々、まさしく老若男女入り交じって、岩国を知ってみよう、と思われた方々の熱気がほとばしる。

これまでの一年間の集積が形になって表れるこの日。全てが報われる瞬間を味わった。 こうして、「初めの一歩」は確かな足取りでスタートした。スタート出来た。

踏み出した初めの一歩が、今後につながる予感を禁じ得ない。 第一回岩国検定を無事終えた。 参加された方々、陰に陽にご協力頂いた方々に心からお贈りしたい。 “ ありがとう ” を。

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「人事を尽くして・・・」

2010年11月27日 | 岩国検定

      

いよいよ明日。泣いても笑ってもあした。 これまで手がけてきた大仕事のひと区切りの評価が下されるときである。

取り敢えずは準備万端整えたつもり。 あれもやったこれもやった、と思いたい。  でもなんか不安が残る。 ふっと振り返ってみたくなる。 でもやったよな~と思いたい。

「人事を尽くして天命を待つ」 本来ならこの言葉は、色々岩国のことをひもといて勉強し、その成果を試すため明日の岩国検定を受検する人に与えられるはずである。 が、今のyattaro-としては、受験するみなさんに、我々岩国検定実行委員会の活動成果を試される、言うなればこちらが「まな板の上の鯉」という心境になっている。

だからと言って、臆しているわけでもなんでもない。 こちらの意図したことがどの程度皆さんの気持ちの中に浸透しているのだろうか。この点については、結果が欲しいなと思う。

そして、お金を出してわざわざ受験して頂く人に粗相があってはならない。 これは「岩国検定」という冠を戴いて実施する者の宿命みたいなものだ、と思っている。 大袈裟な・・・というご意見もあるかも知れない。しかし、これまでの水面下の労苦が表に出るのが明日なのである。

万全の態勢で、万全なお迎えをして、気持ちよくお帰りいただく。そして次回につなげていく。このツボは外せない。

お天気も含めて、第一回岩国検定の実施が円滑たらんことを祈りたい。

(写真: 寒い朝の早起き、カメラを構え準備万端。いい陽が昇るのをひたすら待つ)

 

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「あの鼻を」

2010年11月26日 | つれづれ噺

        

柴燈護摩供養が催された、仁井寺山極楽寺の本堂に上がる108段の急階段の手前に、どっかりと1メートルもあろうかという天狗様が鎮座してござった。

普通天狗といえば赤ら顔の、闇夜に出会ったら何とも不気味な存在というのが通り相場のはずだ。それが、ここには白塗りのお化粧したような純白で、一段と鼻の高い天狗様であった。どうかすると、今までの常識を覆して、この真っ白天狗の方が闇夜では一層不気味に思える気がした。

天狗様には諸説ある。                                      修験者を天狗と呼ぶようになった…
鞍馬山で牛若丸に剣を教えた者が、天狗の面を付けて素性を隠したという伝承もある・・・

天狗が成立した背景には複数の流れがあるため、その種類や姿もさまざまである。      一般的な姿は修験者のいでたちで、その顔は赤く、鼻が高い。翼があり空中を飛翔するとされる。このうち、鼻の高いのを「大天狗」、鼻先が尖ったのは「小天狗」あるいは「烏天狗」という。

天狗は、慢心の権化とされ、鼻が高いのはその象徴である。これから転じて「天狗になる」と言えば自慢が高じて、鼻持ちならない様子を言う。彼等は総じて教えたがり魔なのだそうだ。

早い話が、天狗様は、現世では怖れられる存在ではあるが、どちらかというと負のイメージが強い。 アイツはこの頃天狗になっとる・・・。 いつかあの鼻っぱしらをへし折ってやりたい・・・などと。 気を付けよう、暗い夜道と天狗鼻。

 

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「柴燈護摩供養」

2010年11月24日 | つれづれ噺

         

                   

      火渡りをする兄ちゃん                  同じく カー君

クルマで1時間足らずの山の中に、歴史を辿れば奈良時代にさかのぼるという、由緒あるお寺がひっそりと建っている。 二井寺山、極楽寺という真言宗の古刹である。

一年に一度、11月23日に「柴燈護摩供養」(さいとうごまくよう)が行われるという友達の誘いを受け、小学4年と2年の孫と共に見学に出向いた。クルマを降りて急な坂道、急な階段を上ること30分。なんとかたどりついた。

護摩(ごま)とは「焚く」「焼く」を意味する。旧来の山伏姿による修験者が、柴(しば)で組まれた護摩壇を燃やし、  炉中に種々の供物を投げ入れ、火の神が煙とともにお供え物を天上に運び、天の恩寵にあずかろうとする素朴な信仰から生まれたものとされている。 燃えさかる火の中に、参詣者の願い事を書いた護摩木が次々投げ込まれ勢いよく炎は上がる。

その後、御仏のお力を借りて火の中を清浄の場として、自分の心の中にある煩悩や業に火をつけ焼き払い、身を清める祈りを込めて火渡りをする。

火を鎮めほとんど炭火状態にしたあと、一般参詣者のほとんどが火渡りをする。 いち早く兄ちゃんが行く。負けじとカー君も行く。そんな様子をカメラに納め、じいちゃんは最後の最後、皆さんの煩悩や業が残されているかも知れない、しんがりの火渡り。

帰りのクルマの中で、火渡り祭りの蘊蓄を聞かせるのだが、孫兄弟にはまだちょっと???無理もない、説明するじいちゃんによく分かっていないのだから。

それにしてもこれほど近くに、1200年以上の歴史を誇る名古刹が存在するとは。 歴史は尋ねる者にて明かされる。 ウーン、なるほど。 素敵な一日であった。

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「旬を求めて」

2010年11月22日 | 季節の移ろい・出来事

今日は朝からの冷たい雨。 多くの人の目を楽しませた紅葉も終わりを告げる。  昨日は10月下旬並みのポカポカ陽気。 今年最後のもみじ狩りには絶好のお日和で、 まれに見る大勢の人で賑わっていた。

日曜日の人出を避けて、月曜日にゆっくりと・・・などと悠長に構えていたら、たった一日の違いで危うく最後のもみじ狩りを逃すところであった。 

たった一日の違いさえこれほど大きく変わるご時世だから、この時期の10日間の色づきの違いを、岩国紅葉谷公園検証してみたくなった。 

  紅葉谷入り口  11月21日撮影

  同上  11月10日撮影

 紅葉谷広場 11月21日撮影

  同上  11月10日撮影

 奥側から入り口に向けて 11月21日撮影

  同上  11月10日撮影

「三日の桜、十日のもみじ」 という言葉あるかどうかしらないが、桜は三日で大きく変わる。もみじは十日もすればこれほど変わる。早すぎても、遅すぎても、時を逸しては切なさだけが残るのかな。

季節の移ろいはもちろんのこと、何事にも最高の時、すなわち「旬」の時がある。 これを逃さないよう、最高の時に最高の味わいを噛みしめたいものである。 

 

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「黄落(こうらく)」

2010年11月21日 | 季節の移ろい・出来事

 

  渓(たに)の流れに 散り浮くもみじ  

            波にゆられて 離れて寄って  

                   赤や黄色の 色様々に 水の上にも織る錦 

色づく山、流れを埋めるもみじやかえで。いずれ劣らぬ色自慢。 銀杏並木は枯れ葉を落とし、足元高く黄金色。 

木の葉や果実が黄色く色づいて落ちることを、黄色が落ちる「黄落」というのだそうだ。 晩秋のはかない情景を表す端的な言葉として重宝されている。 俳句や短歌の世界でも季節を言い表す言葉として使われている。

日本全国北から始まった紅葉。段々南へ下がっていき、その地方独特の艶やかさを誇った紅葉も、いよいよ名残を惜しむ頃となった。

同じ季節の変わり目でも、往く夏を惜しむ、あの暑かった夏が往くことに深い感慨を持つ、そんな人が多い。 なんとなく分かるような気もする。 が、朝に夕に目に入る山が全山紅葉し、やがて枯れ果てて行く様子は、これから厳しい冬を迎えるだけに、さびしさと厳しさの入り交じった季節の変わり目を、強く感じてしまう。

黄色が落ち、土に還り、やがて新たな緑が生まれる。  少しの寂しさが大きな期待に変わる。 

もの思う晩秋の空に、十五夜のお月様が優しく浮かぶ。 

 ( 写真 : 黄金色の絨毯、葉を落とした銀杏並木 )

 

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「地域の今を発信」

2010年11月18日 | 趣味・・エッセイ

 

各地で活動するタウンリポーターの、取材に懸ける思いを問われた。

思いつくまま・感じたままを書いてみた。   (2010.11.18 中国新聞掲載)

 

 

 長引く不況で企業や行政に停滞ムードが漂う中、市民活動が岩国の元気をけん引している。

 趣味やスポーツ、ボランティアなどを通して「誰かの役に立ちたい」「社会参加をしたい」「自分を高めたい」といった意欲的な住民団体が数多くある。 

 しかし、これらの活動に陽が当たる機会は少ない。地域に暮らす住民の視点で個々の活動を掘り起こし、紙面に掲載して広く世間に認知してもらう。

 それが励みとなり、活動の輪が広がるきっかけになればリポーターとしてこれほどうれしいことはない。 

 昨年12月、岩国小5年生による歌舞伎「勧進帳」を取材した。約1時間の舞台だったが、難解なせりふも全部覚え、弁慶や関守の富樫役を演じきったパワーに感動した。

 「プロが演じる舞台のDVDを見て練習したかいがあった」。大役を終えた児童は、あどけない表情の中にも誇らしい笑みを浮かべていた。 

 「最近、人情という言葉をあまり聞かなくなったが、やはり消えてはいけないものだ。歌舞伎体験を通じ、日本人の心に人情を取り戻したい」。指導する先生の熱い思いにもふれることができた。 

 取材の中で、主宰者や参加者から苦労話などを聞きながら交流ができるのも、リポーターの楽しみである。

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「ちょっと胸を張れる秋」

2010年11月17日 | 季節の移ろい・出来事

秋の花畑とかけて・・・カー君とお話しするジジの立場と解く。                                                         そのこころは・・・きくばかり。   お後がよろしいようで・・・ ・・・。

毎年恒例の菊花展。 今年も岩国城ロープウエィ山麓駅で行われた。 一度は必ず顔を出す。 一年間という長期間の継続的丹誠が込められた、芸術品を観賞する気分に浸れるからである。

早い話、私などには全く真似の出来ない「秋」を見せてもらえるのが嬉しい。                           盆養、盆栽、だるま作り、福助作り、懸崖など、大輪を一本・二本・三本と仕立て上げたり、種類豊富な小菊を組み合わせたり、様々なこしらえで楽しませてもらえる。 

そしてここにも、優雅な姿を横たえる錦帯橋がある。 真っ白い小菊五鉢を懸崖に横に伸ばし、それはそれは見事な出来映えの五連のアーチである。

苗床を作り、苗を植え、来る日も来る日も目をかけ手をかけ声をかけ、ようやく陽の目を見る菊花展。 ただ、この一年に限って言えば、我々もこれと似たようなことをしてきた思いがあって、一段と作り手の気持ちが伝わってくる。 

一年間の継続丹誠の芸術品。今年は少しだけ胸を張って眺めることが出来た。 

    ( 写真: 菊花展に飾られた白い小菊による懸崖「錦帯橋」 )

         

 

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