「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「悪年坊主」

2010年10月30日 | 趣味・・エッセイ
秋の味覚の王者といえばやはりマツタケか。
今年は、今までそれらしい話しがなかったので「不作なのだろう」と勝手に決め、里の山で取れるマツタケは半ば諦めていた。
それが、思いもかけないほどの豊作だという電話で、カミサンの実家に走った。

1本100グラム前後の開き(マツタケの傘が開いている)4本を、無造作に古新聞に包んで頂いて帰った。
時期的に1ヶ月遅れである。よくも出来たものだ。

「マツタケはの、『悪年坊主』と言うて、米が豊作の年は不作。米が不作の年はマツタケが豊作。じゃから、百姓にとってはマツタケの豊作はあまり有り難く思われんのじゃ」 とその昔、お舅さんから聞かされたことがある。

冷夏で雨の多い年は、秋口に多くマツタケは発生するがその分、米の成長が悪い。夏が暑く8月中旬から9月末頃の降水量が少ない年は、米は豊作だがマツタケ収量が減少するとされてきた。
但し、今年のように記録的猛暑にも関わらず秋の降水量が十分多かったことで、時期は遅れたがマツタケが歴史的豊作になる年が出現するに及んで、夏の猛暑自体は地中温度にあまり影響を与えないために豊作・不作にあまり関係しないと考えられている。(ネット拝借)

幸い今年は、米の出来映え、作況指数もさほど悪くはないとのこと。
遅れて届いた秋の味覚を、悪年坊主とばかり厄介ものに思わず、有り難く美味しく頂こう。
幸い明日は大勢集まってくる。吸い物の一つも味合ってもらおう。
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「手塩にかけて」

2010年10月29日 | 季節の移ろい・出来事
今年の夏は熱かった・雨が降らなかった・・・と耳にタコができるほどしつこく言ってきた。
そんな異常気象だからこそ、念には念を入れて水遣りをし、自然の雨ではないのだから肥やしは控えめに等々。
普通通りの夏には気を遣わなかったことにさえ、細心の注意を払って見事に実を付かせたピラカンサス。

我が家の鉢植えピラカンサスは、黄色の実一色である。
買ってきたときはそうではなかった。赤と黄色のツートンカラーが調和して見事な色映えであった。ところが、今年のような異常気象でない普通の夏に、おろそかな扱いをしたら、赤い実の木だけが枯れ、黄色は残った。

そんな反省も込めて、ガンガン日照りと雨不足のこの夏、精出して見守り、時には日陰に避難させたりもした。
その甲斐あって、5月には木全体が覆われるほど咲いた花の大半が実を結んで今を迎えている。

なんでもない普通の夏だったら、水遣りも肥やしの量もさほど神経使わないのに、異常な夏だったからこそ、手を加え神経を使って無事に元気な秋を迎え、小鳥たちの喜ぶ餌を実らせるとは、いささか皮肉をおぼえる。

やっぱり話しは元に戻るが、今年は異常な年だった。
秋が終わりそうになった頃、秋の最高の味覚マッタケが出始めた、とカミサンの実家から連絡があった。えっ?今頃に?そろそろ冬支度に入る頃にやっとマッタケが。

クマもイノシシも、冬眠に入る時期が近いことを知っている。
危険を冒しても餌を求めて人里に出なければならない、共存を妨げるほどの異常気象だったということだ。
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「くちびる寒し・・・」

2010年10月28日 | ニュース・世相
真っ白い花が風に揺れている。
なんの花だろう?覗き込んでパチリ。「秋明菊」と教えてもらった。
優しいピンク色もある。鮮やかな赤は別名、キブネギク(貴船菊)とも呼ばれているとか。
名前にキクが付くがキクの仲間ではなくアネモネの仲間だそうだ。ついでながら・・・。

晩秋を象徴する芭蕉の句に、「 物言えば 唇寒し 秋に風 」というのがある。
人の悪口を言えば、 自分自身が後味の悪い思いをするということ。
また、よけいなことを言うと、そのために災いを招く という、戒めと反省を促す、俳句というより格言として受け止めている。

厚顔無恥な政治家とは気軽でいいな~と思うことがある。
言いたいことを言い放っておいて「あれは言い過ぎでした」「配慮に欠けていました」と、大して重くもなさそうな頭を下げれば取り敢えずその場は繕える。
国会の重要な議論の場である予算委員会の冒頭で「官房長官の特別要請に応じて発言を求めます」と委員長。
何を言うのかと思えば「先般の答弁において不適切かつ配慮に欠ける発言があったことを陳謝いたします。今後このようなことがないよう十分気を付けます」シャーシャーとおっしゃる。
以前にもこの官房長官から同じような陳謝発言を聞いたような気がする。

我々の世界では、一旦口に出してしまったら取り返しが付かない。だから慎重に発言するし言葉も選ぶ。それは「物言えば唇寒し秋の風」を心得ているから。
一国の政治を預かる重要ポストにある国務大臣の無責任発言は、それ自体が我が国家の恥ずべき姿である。それでもなんのお咎めもなく大臣席に座っていられる。
但し、今回は「侮辱罪」で告訴という措置に発展しそうである。
今一度、芭蕉の句を読ませたい。官房長官に。
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「もみじ踏み分け」

2010年10月27日 | 季節の移ろい・出来事
     
        “ 奥山に もみじ踏み分け 鳴く鹿の
                       声聞くときぞ 秋は悲しき ”

こちら中国地方では、山肌を染める紅葉にはまだ少し時が要りそう。
10月も終わりが近づき、一気に肌寒さをおぼえると、行く秋が愛おしくさえ思える。
特に今年は、ホンの短かい秋だっただけに、その感が強い。

和歌も俳句も、一様に秋はもの悲しい季節の象徴になっている感がある。
中でも雅名を「紅葉鳥(もみじどり)」と呼ばれる鹿は、秋が深まると連れ合いを求めて悲しい声で鳴くそうな。

ただ個人的には、春先から撒き始めたタネが大きく実を結ぶ「岩国検定受験者募集」の秋であった。現在のところ満足の域ではないが、確かな実りを見せている。
今ひとつは、念願の坂本龍馬の足跡を、この足で辿った最高の秋でもある。
    
今日の日本列島、この秋一番の冷え込みとか。
旭川では平地で降る雪が行き交う人を白くお化粧していた。
あれほど暑さに閉口した秋口の残暑から、一足飛びの冬の寒さ。これほどの変わりようにはついて行きにくくなる。体調管理、追い付けるかな・・・?

一方で台風14号発生。進路に当たる奄美大島地方は、未曾有の豪雨被害の復旧もままならない今、新たな被害が心配される。
なんとか、これ以上の大きな災害とならないよう祈るばかりである。
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「夢、実現この足で」

2010年10月25日 | 旅行・レジャー
NHK大河ドラマ「龍馬伝」 数回を残すのみとなった。
我が青春を彩った「坂本龍馬」の生き方。及ばずながら、ただひたすら心酔した。
単純に、龍馬の波瀾の足跡を少しでもたどってみたい。お墓に手を合わせたい。そんな貯め込んだ想いが、今回の龍馬伝で爆発した。
一つの夢を、ついにこの足で現実のものにした。京都を訪れた。血が騒いだ!!

京都といえば、何は置いても行くべきところ「本願寺さん」へ先ずはお参り。
「京都に行くときはお数珠を忘れないように・・・」というアドバイスを受けた。
京都駅のガラスに映るおローソクの京都タワーを横目に、烏丸(からすま)通りを北へ歩く。東本願寺・次いで西本願寺。そして、五木小説「親鸞」で憧れた、若き親鸞が比叡のお山から100日参籠を続けたという「六角堂」参拝。

                  
いよいよ目指す「龍馬を取り巻く物語の舞台」。先ずは多くの有為な幕末志士が散った三条小橋「池田屋」。現在では居酒屋風のお店というので、昼食を目指したが、残念、お昼は閉まっていた。
ホテルオークラ一帯が長州藩邸のあったところを横目に、佐久間象山・大村益次郎の碑に遭遇。「おけいはん電車」と呼ばれる京阪電車で「中書島(ちゅうしゅじま)」へ。

龍馬が襲われ、おりょうさんに救われた伏見の船宿「寺田屋」へ。気安くお登勢さんが出てきそうな、如何にもそれらしいたたずまい。部屋の柱には龍馬が発射したピストル弾痕。命がけで闘った刀傷が刻まれていた。指でなぞった。
                  
寺田屋を出て歩くのは「龍馬通り」。古びた喫茶店で一服。お店の壁に錦帯橋ライトアップの写真発見。店番のおばちゃんが相好を崩して、写真の経緯を説明された。思わぬ出会いに、ちょっと鼻を高く・・・。
京阪四条に戻り、京都南座を仰ぐ。いよいよ本命、龍馬の眠る護国神社を目指す。
            
龍馬と並ぶ中岡慎太郎。今もこの高台から、繁栄に涌く京の街を見下ろす二人のお墓に手を合わす。ここでようやく、胸につかえていたものが軽くなった思い。龍馬が土佐山内家の家老、福岡のお田鶴さんと密会したとされる三寧坂明保野亭もこの目で確かめた。遙かにそびえる霊山観音も間近に見た。すぐ近くにある「清水さん」は次回の楽しみに残し、朱塗り鮮やかな八坂神社に参拝。ダラダラ坂を下り四条大橋を渡る。鴨川の岸辺に、見事な等間隔を開けて座る無数のアベックを眺め、夕食予定の先斗町へ。
             
そして仕上げは、龍馬の海援隊京都事務所的な「材木商・酢屋」跡。龍馬の妻おりょうさんの若かりし頃の寓居跡。
最後に、龍馬・慎太郎が襲われ、絶命したとされる「近江屋」の石碑と看板を、この目に焼きつけて、龍馬の足跡をたどった京の旅にひとまず終止符。
勝手な思い込みの京の旅の顛末。長々とお付き合いに心から感謝。

今までに、思い立った観光地を数々訪ねた。しかし、今回ほど思い入れが多く、胸躍る旅も少ない。司馬遼太郎「竜馬がいく」が生涯参考書であるように、忘れ得ない旅であり、何かにつけて思い出すに違いない。思い出したらまた書いてみたい。
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「復習を・・・」

2010年10月22日 | つれづれ噺
 

犬も歩けば棒に当たる。  ジジも歩けば「復習」に当たる。

これまで、必要な要件以外あまり顔を出したことのない市役所本庁。
差し迫った用件発生としても、一階の戸籍や保険年金など、生活直結の窓口でおおよそ事足りる。
上階の教育委員会などにほとんど縁がなかった。
ところがここ最近、そちらへの用件が急に多くなってきた。

窓口も色々ある。職員の応対もさまざまである。
どこに行って何を相談しても、お願いをしても、一様に丁寧な扱いを受ける。
が、肝心な用件の内容を吟味するとなるととたんに、役所側のトーンは下がる。場合によってはこちらのトーンは更に高くなることもある。

お役所仕事の内容はともかくとして、教育委員会・生涯学習課などに行くと、以外に参考になる資料が置かれている。
自分の子どもを育てる頃には見向きもせず、全てカミサン任せあった「子どものための地域情報誌」などに思わず手が出る。目を通せばなるほどいいことが書いてある。

家庭教育5つのポイント
 1.基本的生活習慣を身につける  2.ルールを守りマナーを身につける
 3.家族のふれあいを大切にする  4.家庭での学習を身につける
 5.地域でいろいろな体験活動をする   このように書いてある。

孫は可愛い。が、甘やかすばかりでは能がない。
たまたま手に入れた資料ではあるが、男3人の孫教育の参考にしてみよう。嫌われないように・・・。
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「大好きなもの」

2010年10月21日 | 家族・孫話
食の細い孫のカー君。
おしゃべりが入り始めると食べるのも時間がかかる。
「カー君はドンくさいのかね~?なかなか食べ終わらんじゃ」と水を向ける。
「オレはね、ドンくさいんじゃないんよ、ばあちゃんの作ったものがおいしいからゆっくり食べるんよ」と立派げな小理屈をのたまう。

そんなカー君が何を思い出したのか「ばあちゃんのコロッケが食べたい」と急に電話で注文を寄越す。
仕方なし、二家族分40個あまりを手間ひまかけてこしらえる。じいちゃんは見ているだけ。

その半分を大皿に盛って届けると、匂いをかいだだけで「ヤッター!ばあちゃんのコロッケだ」と喜ぶ。
「オレのために作ってくれたんじゃろ、ばあちゃんありがと、おいしいね」
「やっぱりね、ミンチが入っとる。ばあちゃん、ミンチ入れるの大変なん?」
どこかで誰からか聞きかじった話が耳に残っていたのだろう、ミンチの話までする。

コロッケが食べたかったのか、どこかで聞いたミンチの話を確かめたかったのか、どっちが主役か定かではない。確かなのは、手作りコロッケはお母さんに頼むよりばあちゃんの方が確実だということを知っていることだ。

外で仕入れてくる耳学問にもちゃんと答えを出してやらないといけない。面倒くさがらずに全てを聞いてやろうとすると、色んな小理屈を述べる小学2年生。
話は尽きない。 退屈などしているヒマはない。

     ( 写真: カー君のために作ったホカホカのコロッケの山 )
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「秋深し・・・」

2010年10月20日 | 季節の移ろい・出来事
  ♪ ♪ 静かな 静かな 里の秋
                     お背戸に 木の実の 落ちる夜は ・・・ ・・・ ♪
                         ( 斉藤信夫  「里の秋」 )

  ♪ ♪ 更けゆく秋の夜 旅の空の
                       わびしき思いに ひとりなやむ ・・・ ・・・ ♪
                         ( 犬童球渓  「旅愁」 )

季節は晩秋、頭に浮かぶ童謡・唱歌も少し暗さが伴う。
浮き立つ春とはおもむきが違う。
違って当たり前。違うから、秋には秋の風情があり、春には春の情緒がある。

静かな秋の夕暮れ、木の実の落ちる音に耳を傾ける・・・。
それほどのシットリな落ち着きもないが、ふと暦を見れば13夜。
あいにくの曇り空、今宵は月も出ぬそうな・・・などと言わずに、見せておくれよお月さん。

      胸に棲む 人と汲む酒 十三夜       山田弘子

これほど粋な芸当も出来はしないが、せめてこんな想いをさかずきに浮かべて、イッパイかたむけてみたいものだ。
更けゆく秋の夜、酒は静かに呑むべかりけり・・・。







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「檜が枯れた」

2010年10月18日 | つれづれ噺
東側に隣接する300坪もあろうかという雑種地。
7・8年前までは、たまに地主さん夫婦がやって来て耕耘機を転がし、雑草がはびこらないよう気を付けていた。
その後ご主人が急に亡くなったという話しを聞いた。
そのうち奥さんの方も全く顔を出されなくなった。ついに認知症も発症したらしく、どなたかの肝煎りで高齢者擁護施設に入られたということだった。
子供さんもいないひとりぼっちのお年寄り。いい具合に施設に入られたからよかったと喜んでいる。

まだ二人ともお元気な10年くらい前、3本の檜の苗を植えられた。
順調にに育ち、高さは6メートルに達し、幹の大きさも直径10センチは優にある。
そのうちの2本がこの夏の暑さと雨不足に負けたのか、枯れてきている。
いっとき、水遣りもしたが間に合わなかった。
それほど今年の異常気象は有形無形大きな被害をもたらした。

この雑種地は厚い岩盤で出来ており、如何に木の根っこといえども地中深くに根を張ることもならず、浅い地表を横に這うことで樹形を保っている。
水不足は致命傷と言うことなのだろう。それにしても、地主に見放され、灼熱地獄と水不足、枯れて当然と言ってしまえばそれまでだが、何としても惜しい気がする。
その昔「大きくなったら一本物の檜の縁下駄を通す家を建てる」という夢を描いたこの身には、目の前で枯れ行く檜を見るのは忍びない。でもこれが自然淘汰のなせる業なのか。それにしても10年の成長が、一夏にして帳消しになってしまう自然の無常さ。
せめて人間の世界ではこんな無駄なことをしないよう心したい。
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「ホッコリと」

2010年10月17日 | つれづれ噺

起きがけに窓を開け放つ。未だ掘っていないサツマイモの葉っぱに露が光る。
寒露というには少し早い気がする今年の秋の陽射し。
そうは言いながらも朝夕の冷え込みは、暑かった夏、猛暑酷暑に悩まされた日々が、何となく懐かしくさえ感じられるようになった。
無理もない、10月半ば、今年も2ヶ月半を残すのみとなった。
色々やらなきゃならないこともある。やりたいことも色々ある。

『寝床に付くときに、翌朝起きることを楽しみにしている人は幸福である』
とある人が言った。
明日はあれをああやって、これはこうして・・・と思えることは幸福なことだと思い知らされる。

そんな中に、ほっこり気持ちが和む感動に出会えることなどあれば、さらに幸福感は大きくなるに違いない。
そんな感動は、求めて得られるものではないかも知れない。しかし求めなければなおさら、先方から近づいてはくれない。

出会った感動が、気持ちを豊かにし、腹の底から力が湧いてくるエネルギーに変わるなら、これほど素晴らしいことはない。
そこに感謝の念を忘れず、感動と向かい合うことが出来るなら、翌朝の目覚めを楽しみに眠りにつくことが出来るのだろう。

いくら頑張っても、人の一生夢幻の如くなりだ。 楽しく生きるに越したことはない。
何かと物思う秋ではある。

 (写真 : 手のひらに乗る、ほっこり幸せ。この世に一つしかない手作りお地蔵様)
 

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