「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「宴のあとは」

2012年01月31日 | 季節の移ろい・出来事

       

正月気分に浮かれ、新年会に遊び、お祝いの宴に浮かれた1月が往く。
ただ遊び呆けるばかりではなく、その合間合間に段取るべきことはちゃんと段取り、準備のいる作業は着実にその手筈を整えてきた。と思っている。

それにしてもあっという間の1月ではある。
今更言うまでもないが、1月の古名は睦月である。
正月は、知人が互いに行き来して睦び合う月というわけで睦月と呼ばれる。と、ものの本にある。その通り信じるとして、色んな睦びあうことも多かった。

いよいよ今年前半の大仕事に向けて、足を地に付け、ちょっと腰を落とし、態勢を整える2月に突入していく。力むなよ、慌てるなよ、人の心の動きを見逃すなよ・・・と言い聞かせつつ、ジワ~っと前進していかなければ。
と覚悟を決めたところへ電話が鳴る。「〇〇君が亡くなったよ」という同級生の訃報連絡。この4月の中学校同窓会仲間の一人である。

残念!また常連仲間が一人減った。3年前の同窓会から確実に二人は逝った。
何故急ぐ?そんなに慌てるなよ・・・と言ってやりたい。でも聞いてはくれないのだろう。
宴の後で耳にする友の訃報はあまりにも切ない。

睦月から如月(きさらぎ)への節目。今一度我が身の健康度をチェックしなさいという暗示だろうか。

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「平均すれば40.5」

2012年01月30日 | 家族・孫話

満11歳の孫兄ちゃん。古稀を迎えたじいちゃん。
二人合わせて81歳。平均すれば40.5歳の合同誕生祝い。賑やかに終えた。

間もなく5年生も終わろうという本日主役の兄ちゃん。食欲たるや半端ではない。しかもなかなかのグルメ。高級志向とゲテモノ志向が入り混じっている。
大人の酒のさかなのつもりの「なまこ」などは、三人前くらいペロリ。猪鍋(ししなべ)も食べるは食べるは。握り寿司に至っては、えり好みも激しい。
「一番食べたいものは何?」「ばあちゃんの作る茶碗蒸し」何度聞いてもそう答える。特製の大型茶碗蒸し、中身も盛りだくさん。お変わりする勢いで平らげる。

この旺盛な食欲が、あの俊敏さ、あのスタミナの原動力になっているのだろう。2月には大きなスキー競技会が待っている。しっかり食ってしっかり闘って欲しいものだ。

本日の準主役はじいちゃんのはずなのだが、我が家で開くパーティではどうしても子守役が回ってくる。特に三男坊は「カンパーイ」の掛け声も、じいちゃんの膝から発しなければ会が始まらないと思っている様子。
お陰でビールはどこに入ったやら、おいしい筈の料理も食ったのやらどうやら・・・わけ分からぬうちにひっちゃかめっちゃかに時は流れる。これがまたいい。
じいちゃんには格別のプレゼントがある。お友達の奥様手製のバースデーケーキが添えられている。ここにも忘れてはならない感謝がある。

三男坊は兄ちゃんははっきり兄ちゃんと認めて逆らうことはない。
ところが3年生の次男坊は自分と同等か下に見ている風がある。ゲーム機も次男君のものを、泣き喚いてでも横取りする。次男坊も半べそで応じるが所詮泣く子には勝てない。
ゲームで分からなくなったら、聞きに行くのは兄ちゃんではなく次男坊のところへ。こんな駆け引きを横目で見ながら、ほろ酔いの夜はふける。

いよいよ本格的な70歳の始動である。

 

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「感謝に始まる古稀初日」

2012年01月28日 | つれづれ噺

     

思いもかけない元同僚からお声かけを頂いた。
「目出度く元気に古稀を迎えた祝杯を挙げよう・・・」という有り難い言葉。
何は置いてもそそくさと出かけた。

主賓も何もない普通の飲み会を想像して出かけた。が、そこには花束が用意され、特注のシャンパンも準備されていた。
和食が専門のお店であったため、人数分のシャンパングラスがないということで、急遽ワイングラスでカンパーイ!!楽しいハプニングも(笑)
こんな嬉しそうな顔をするのか、と我ながら恥ずかしいほどに相好を崩している。そこには、集まってくれた人々への感謝はもとよりであるが、グラスを持ち上げた手が思わず震えるほどの大きな感謝の念が頭をよぎった。

大きな節目となる70歳初日。このような感謝の気持ちでスタート出来たことは、ラッキーと言える。もちろん多方面から色んなお言葉を頂いた。
「これからもしっかり元気で生きて行けよ・・・」という激励と受け止め、先ずは古稀を祝う中学校同窓会、高校クラス会を無事に乗り切るよう全力投球である。

我が家での祝賀パーティは、30日の孫兄ちゃん11歳の誕生日に合わされている。ジジにとって今更誕生祝いでもないかもしれないが、幸いなことに二日違いで孫兄ちゃんが生まれたことで、ジジの誕生日も毎年ついでながら祝ってもらっている(笑)

そして特筆すべきは、先日市役所から頂いた「敬老優待乗車券」なるものを、初利用するバスに乗って駅前まで出かけた。
ちょっとかっこよくおしゃれして、若づくりしている自分が優待乗車券を提示して、これまで420円だったところを100円しか払わない現実にちょっと苦笑い・・・。
そんなこんな素敵なスタートとなった今日一日に、今一度感謝を。

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「来し方に先ずは一献」

2012年01月27日 | つれづれ噺

     

いよいよ60歳代最後の日。いろんな想いが浮かんでは消え、消えては浮かぶ。
何はともあれ、来し方に万感の想いを込めて先ず一献。
大きな患いもなく、今日まで世間と深いかかわりを持ちながら生きてきた自分に一献。
そして、陰に日向に支えてくれた糟糠の味噌桶に一献。
さらには、あの方にこの方に、またこの方にあのお方に・・・差し上げたい一献は続く。

単なる一つの通過点と言ってしまえばそれまでのことかもしれない今日という日。
そんな簡単な一言では済まされない「何かがある」という想いは強い。
よくは分らないがこれまで生きてきたこと、生かされてきたことへの、言葉や文字では表せない大きな大きな不可思議な力を感じずにはいられない。

たかだかこの10年を振り返っても、それこそ生涯に一度しか巡り合えない歓びの頂点や、悲しみのどん底も味わった。交友の広がりも桁はずれに大きくなった。そんなことを思い合わせながら69年という長きを振り返るとき、気が遠くなるほどの諸々が積み重なっていることを思い知る。

改めて思う。人生って面白いものだということを。
ひたすら感謝の念を胸に秘め、自らの気持ちの中で大いなる祝杯を挙げた。

とっても甘く、時にホロ苦く、時に甘酸っぱく・・・色んな味のする今夜の大吟醸。
明日からの活力になってくれるに違いない。

 

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「束の間の喜び」

2012年01月26日 | つれづれ噺

        
        今回届いた「負担割合の判定方法」(実にわかりずらい)

先だっての「敬老優待乗車証」に続いて「国民健康保険高齢受給者証」なるものが届けられた。どちらも敬老とか高齢とか書かれた証明書を頂くと、「あなたはお年寄りですよ」と改めて念押しされているような圧迫感さえおぼえる。もっと伸び伸び生きたいと思うのに。

こういった優遇措置に対しては、腹の底では有り難いと感謝しながらも何となく抵抗の一つもしてみたくなる。所詮「蟷螂の斧」だと分っていてもだ。
古稀を迎えようと、定年退職から10年を経過しようと、こちらの気持ちとしては大きく変わらず、まだまだ若いよ・・・と思っている、というか思っていたいのかな。

今回の高齢受給者証は、医療費の自己負担が1割という、それはそれは有り難い、とっても大きなメリットのある証明書なのだ。こいつぁ春から縁起がいいわい・・・とほくそ笑んだのも束の間。実際に1割負担で診療を受けられるのは3月31日までの期間限定。たった2ヶ月間しかない。4月1日からは2割負担となる。

高齢者医療負担を1割にはしたものの、増え続ける高齢者に耐えられなくなり、2割負担に上げる制度移行に伴う4年間の凍結期間が、この3月31日で終わるということ。
間が悪いとしか言いようがない。

だからといって、1割負担の間に病気になっておこうというわけにも行かない健康体。結局そんな恩恵を受けないまま2割負担になることは間違いなさそう。
でもまあ考えてみれば3割負担だろうと1割だろうと、ここ数年、歯医者と定期健診以外は病院に通っていない。1割負担の喜びは束の間であったが、健康であることの喜びをもっともっと長く持ち続けていくとしよう。

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「そんなに甘くは・・・」

2012年01月25日 | 晴耕雨読

      

正月前には、白菜・長大根・丸大根・蕪・みずな・タクアン・子芋など、取れたての野菜を大量に持って帰らせる同級生がいてくれる。
「あれはあるか?これはいらんか・・・?」色々気を遣ってくれる様は、まるで親元に行って遠慮なく無心して帰る娘に似ているな・・・と苦笑する。

お陰でおいしい手作りのお節料理が作られる。心から感謝している。
でもね、もらうばかりでは気の毒でならない。野菜作りを得意とする同級生がそばにいるのだから、彼に教わりながら自分でもやってみよう、と思い立ったのがジャガイモづくり。これは何とか、春ジャガ・秋ジャガともに十分な収穫にこぎつけた。

ヨーシッそれなら・・・と勝手な自信を持って蕪と丸大根作りに初挑戦。
畑づくりも入念に、種まき時期もたがえずやってみた。間引きの時期も間隔も言われる通り、素直に聞いた。蕪はやや小ぶりながら、なんとか美味しく酢の物に出来た。

残念!丸大根は、待っても待ってもなかなか大きくならない。
ごく浅い所に岩盤が横たわる畑ゆえ、長大根はダメだろうとハナからあきらめた。だが「丸大根は出来るじゃろう」という彼の言葉を信じたが、結果はそんなに甘くなかった。彼が作る半分くらいの太さにしか成長しない。なんでや・・・。

何も間違ってはいないが、畑の土質や地肥えなどが作物には大きく影響する。「合っていないのかもしれん」という彼の言葉で今年はあきらめた。でもまた来年も挑戦だ。
畑づくり、そんなに甘くない。出来た丸大根も、スンナリ成長しなかったせいか、辛い辛い、舌を刺すような大根辛さ。丸大根の味も、丸大根作りも甘くはない、ということだ。 

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「思案ろっぽう」

2012年01月24日 | おせっかい

      
        さてどうする・・・? 腹は決まっているが・・・!

この冬一番の冷え込み。窓の結露がしたたり落ちるほどになっていた。
そんな身も心も頭も凍りそうなこの時期に、降ってわいたような難題がひとつ出来!

昨年9月に発足した、中学校古稀同窓会準備委員会。幹事団総勢15人。
日時・会費など決定。会場も交渉の末、こちらの言い分をすべて通してもらった。
同じ建物の中で1次会と2次会を合わせて、5時間を過ごしてもらおうというスケジュール。もちろん1次会・2次会の会場を別にして雰囲気を変える。大半の人が2次会までゆっくり楽しんでくれる。

このような計画の下に日時を決定して、間もなく案内状発送の手筈も整えている。
そこへ、我々の中学校から多くの人が進学した高校が、同じ4月、我々より1週間早く、高校古稀同窓会を開くということになったらしい。
関東に住む同級生の某君から「中学校の同窓会の日にちを変更して高校の2日後にはならないか、そうすれば高校・中学両方の同窓会に出席できるから」という相談があった。

さーどうする。思案ろっぽう!彼の言うことも理解できないわけではない。が、おいそれと日程を変更出来るほど甘くはない。それは高校だって同じことだろう。高校が日程変更出来ないものを中学校に求められてもね~。ついでに言うなら、地元に住む多くの人が、日程が近過ぎると片方しか出席しないリスクも生じる。

遠方を立てれば地元が立たず、地元を立てれば遠方が立たず。まあ気の毒としか言いようがないが、ここは一番、本人に納得してもらって、我々は当初の計画通り進めるしかない。ここでぶれたら幹事なんてやってられなくなる、のかな。

そこで余談ながら「思案ろっぽう」とは。カードの数合わせで9が勝ちとなる「カブ」という遊びをご存じと思う。2枚のカードで6が出たとき、3枚目のカードを取るか取らないか、思案、勝負勘が必要となる。その思案し決断を迫られることを「思案ろっぽう」という。確かに今回のことも思案は迫られたが大きく迷うほどではなかった。
人それぞれ、思いや言い分はあるものである。

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「選挙戦」

2012年01月22日 | ニュース・世相

        

現職の任期満了に伴う市長選挙が行われる。今日はその出陣(発)式。
市内3カ所で、それぞれの支援者に囲まれて、決意を表明し、応援者の高らかな声援に見送られ街頭に飛び出して行ったであろうと想像する。むこう1週間賑やかになる。

今回の市長選。争点は幾つかある。が、4年前と全く同じ主張と同じ論点で是か非か、イエスかノーかが問いかけられるのだろうか。

いずれにしても、選挙の公約は守るべきだし、守れもしない選挙のための絵にかいた餅は聞き飽きている。候補者には少なくとも中身のある論戦、市民のための政策を、それも実現可能なものにしぼって、選挙民の前にさらけ出して欲しいものである。

目に見える選挙戦は始まったばかり、多くを語るは不謹慎であろう。
先ずはじっくり見極め、考えることにしよう。

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「歴史の空気を満喫」

2012年01月21日 | 趣味・・エッセイ

         
           萩、松陰神社大鳥居と本殿

曇り空ながらあまり寒くない空気をいいことに、久しぶりのドライブを思いついた。
何はともあれ出かけよう。「どこに行こう・・・」
かれこれ4年ぶりとなる津和野の街と太鼓谷稲荷が頭に浮かんだ。よし決めた!

静かな津和野の街をゆっくり散策してもまだ昼を少し下がった時間。さてどうしよう。
そうだ、萩をゆっくり歩きたい。カーナビに道案内をゆだね、津和野からおよそ1時間。観光客もまばらな松陰神社へ一目散。なにはともあれ松陰神社に手を合わせる。

親切な観光ボランティアのおじさんに「5分ばかり聞いてください」と、松陰にまつわる話を教わった。終わったら18分かかっていた。
「松陰の幼名は何故寅二郎と名付けられたか、それは二番目の子で寅年生まれだから。その当時は太郎・二郎・三郎と順に名前を付けていた。その上に生まれの干支を付ける風習があったから・・・」などなど。

そのわきに、松陰の刑執行の日が決められた折、獄中から両親に宛てた手紙に記された一首が、自らの想いを込めた辞世の歌として後世に伝えられている、という説明も。
“ 親おもふ心にまさる親心けふの音ずれ何ときくらん ”
 
実際には “ 身はたとひ武蔵の野辺に朽ちぬとも留めおかまし大和魂 ”というのが処刑直前の辞世の歌とされているのですが・・・との注釈も付け加えられた。

ついでに言うなら、松陰が黒船乗船の罪で幕府に補獲され萩に送還された。
生家に幽閉されたのち、処刑が決まりいよいよ江戸に送られる途上、山口県と広島県の境となる小瀬川を渡るときに歌われたのが “ 夢路にもかへらぬ関を打ち越えて今をかぎりと渡る小瀬川 ”である。歌碑も現地に残されている。(ちょっと知ったかぶり)

このように、「明治維新の胎動の地」と銘打たれた長州萩松陰神社、じっくり見学するに値するひとときを過ごした冬の一日。美味しい空気を吸った想いがする。

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「スズメのお宿は・・・」

2012年01月20日 | 季節の移ろい・出来事

        
         一昨年2月26日に撮影したスズメのアベック

南天やピラカンサスの熟した実。クロガネモチを赤く染める豊富な実。
これらを、ヒヨドリもメジロもツグミも食べに来ない今年の冬。
枝もたわわに・・・という表現通り、食べごろの実がもぶれ付いている。でも鳥はこない。

今年に限ってはスズメも姿を見せない。もちろんチュンチュン寄り添うアベックが、愛をささやく影もない。東側出窓の下のアルミサッシは、日当たりのよいデートスポットである。
にもかかわらず、今年は未だスズメの声も聞かない、姿はもちろん見せてくれない。

ちょうど2年前に撮った写真を改めて載せるはめになった。それもそのはず、今年は写真に撮ろうなどと思っても、全くそれらしい被写体が現れない。
麓にさえこのように豊富に実っているのだから、山の奥でも当然食糧豊富。危険を冒してまで人里に出るには及ばない、というほど餌があるのならそれはそれで大いに結構。

果たしてそうなのだろうか。ここ2・3年の猛暑酷暑に次ぐ厳寒酷寒によって、小鳥たちが子孫繁栄に失敗して、生命の脈略、血縁の保持を保てなかったのではないか、と気がかりになりはじめた。

それほどに住みにくい地球になってきたのか、それとも、危険を予知する潜在的な勘によってどこか遠くへ転居してしまったのか。なにかしら不気味な予感。
そんなこたーないよ・・・。と、誰か大きな声で、説得力のある説明をしてほしいものだ。ありったけの羽毛をふくらませ、丸まって日向ぼっこするスズメの愛おしさ。季節の風物詩でもある。

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