「世の中、ちょっとやぶにらみ」

本音とたてまえ使い分け、視点をかえてにらんでみれば、違った世界が見えてくる・・・かな?    yattaro-

「行く年来る年」

2012年12月31日 | つれづれ噺

        
          日本一を誇る、知恩院大鐘楼(ネット拝借)

間もなく暮れようとするこの一年。大ざっぱに振り返ってみたい。

全体的には結構積極的な足跡を残せた一年であったような。
その反面、あの部分はもう少しだったな~とか、この部分はもうちょっと前向きに取り組むべきだったのかな・・・とか。振り返ってみるとどうしてもマイナス部分が大きく見える。
期待をかけて頂いたのに、やむなく期待に応えられなかった悔いも残っている。

それらを差し引いても、今こうしてNHK紅白を横目で見ながらじっくり思い返してみると「まあまあよくやったよ・・・」と言えそうである。
と思いつつ気持ちがあっちへ行ったりこっちへ行ったり、時計の振り子のように揺れ動くというのが、正直な今の心境である。

中学校古稀同窓会も成功裏に終えた。みんなで盛り上がった。
その他にも数え切れないほど心に残る諸々があった。
それらの一つ一つを、間もなく始まる新しい年のエネルギーに換えて、また一歩一歩進んで行くことにしよう。
行く年来る年、除夜の鐘が聞こえてくる。

  煩悩の上限なのか百八つ     万柳 竹とんぼ

今年も多くの方々にご訪問頂きました拙ブログ。
心から感謝申しあげます。皆様どうぞ佳き年をお迎え下さい。
来る年もまた、時々ご訪問頂いて応援方よろしくお願い申しあげます。

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「手作り」

2012年12月30日 | 季節の移ろい・出来事

 
    手作りしめ縄(注連縄)が玄関を飾る。     ちょっと自慢げにアップして・・・。

一夜飾りは忌み嫌うと言われることから、今日午前中に玄関にしめ縄を飾った。
これまでもずーっとこういったお飾りごとは、暮れの30日に間違いなくやってきた。なのに何故今年に限ってことさら話題にするのか。ちょっとした訳がある。

昨年に引き続き、今年も三地区の小学校や公民館活動で行われる、しめ飾り教室のカメラマンやお手伝いをしてきた。昔取った杵柄、実技指導もしてきた。
そんないきさつから、我が家のしめ縄を買うことに抵抗をおぼえた。ヨシッ!自分で作ろう!!ワラもウラジロももらってきている。ということで手作りしめ縄に挑戦。
こちらは、小学生並みのものとは訳が違う。親父がその昔商売にしていたプロのしめ縄作りの腕を見てきただけに、中途半端には出来ない。と思って、やり方そのものは真似をしたのだが、実際に出来上がったのはご覧の通り、自慢にも何にもならない代物ではあるが、兎に角を久しぶりにこの手でこしらえた手作りしめ縄を玄関に飾った。

小学生などの体験教室では、しめ縄を飾る由来、縄は左縄、ウラジロは、ユズリハは、ダイダイは・・・などなど一通りのウンチクを説明することになる。
そして最後に一夜飾りはしないのよ・・・という結論に達する。

そこで、ついでながら「何故一夜飾りを忌み嫌うのか」ちょっとだけ知ったかぶりを。
「お正月の歳神様をお迎えするのに、たった一夜の飾りでは誠意に欠ける」とか、「葬式の時の『一夜飾り』になる為それに通ずるから避けた方がよい」という説などいろいろ言われてきた。が、本当の意味は「新しい年の歳神様が三十一日の早朝に、その家に来られるのだから、三十一日の昼間や夜に飾ったのでは、歳神様のお迎えに間に合わない。せっかく訪れた歳神様が、門松もしめ飾りもない家には『この家には、神を迎える意志はないのだな』と家の前まで来ていてもそこから家の中へは入らずに、Uターンしてお帰りになってしまう」ということらしい。神様にもそれぞれ言い分はあるというものだ。まあ真偽のほどは、信ずる者こそ救われる。と言うことにしておこう。
兎にも角にも今年に限っては、手作り尊重、自家製のしめ飾りを堂々と玄関に掲げた。

「手作り」という意味では、今年はすごく大きな成果を上げた、と我ながら感激する事柄がいくつかある。一つは、10人のメンバーが情熱を傾けて取り組んだ岩国検定テキストブック『いわくに通になろう』を創刊させたこと。そのテキストを元に、第2回岩国検定試験を無事やり終えたことも、大きな大きな「手作り」の二つ目であると自負している。

更に今ひとつ言わせて頂くなら、古稀を迎えた記念に、これまで書き貯めてきたエッセイやブログの一部をまとめて、まさに手作りのエッセイ集「我が人生 今が旬」を自負出版した。それらのどれを取り上げても、自分一人の手で作り上げられたものはない。全てにおいて、友であり仲間である人達の手を借り、共に携えてこのような晴れがましい成果を生み出したと言える。
かけがえのない友、素晴らしい仲間に恵まれたお陰で、自分には無い大きな力を得て素敵な1年を過ごさせてもらった。ひたすら感謝。

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「さざんか一輪」

2012年12月29日 | 季節の移ろい・出来事

       
                やっと一輪、花開いたさざんか

今日も朝からよく働いた。目まぐるしい、とはこういうことを言うのだろう。
あれにこれに、これにあれに・・・。途中コーヒータイムも忘れてしまったような。

メインは恒例の窓ガラス磨き、それに伴う網戸洗浄。
窓という窓の網戸を外し、高圧洗浄機でエアー圧による噴霧洗浄。
みるみるうちにきれいになる。黒いヨダレを垂らしながら、真っ白い網戸が蘇る。

洗浄その物は大した労力ではない。ところがだ、二階に上がったり降りたり、脚立に上がったり降りたりする回数は半端ではない。そちらの労力を考えると、生半可なウォーキングなどの比ではない。よくぞやり抜いた、と誰も褒めてくれそうにないので、ここは自分で言って自分で納得しておこう。
窓ガラスだって、専用窓ガラス拭きでキュッキュッと音がするほど磨くのだ。

何故それほどまでにするのか・・・??それを聞いて下さるか。
単なる普段のおさぼりに対するせめてもの罪滅ぼし。面目を施すため精一杯のパフォーマンスなのでありまするぞ。それにしては、風呂に入ると足腰がギシギシ鳴るほどだ。

ふと目をやると、庭のさざんかにたった一輪の鮮やかな花が見られる。
サザンカの開花といい、この手による窓ガラス磨きといい、実は「間もなく年越し」という季節の移ろいの象徴的な行動なのである。12月29日。あと2日で年が変わる。

残り少ない今年という大きな一年への感謝の念が、沸々と湧き上がってくる。
そして新しい年を迎えたとき、さざんかは幾つの花を咲かせているのだろう。
梅は一輪ずつ春を呼ぶという。それからいくとさざんかはどんな未来を呼ぶのだろう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「鏡餅」

2012年12月28日 | 家族・孫話

     

毎年、大晦日を前にした暮れの28日には餅をつく。
今年も、親子3軒分+アルファのお餅つき。といっても、石臼も杵もペッタンペッタンの音もない、汗もかかない静かな静かなお餅つき。機械がウィーンと唸るだけ。

それでも2年前までは、孫の喜ぶ顔がはじけ、小さないさかいをを織り交ぜながら、大小何本もの手が交錯する賑やかな餅つき。年末の一大イベントであった。
部屋中に白い粉が飛び散り、後始末に手間を取られる大仕事でもあった。

昨年から、孫兄弟はスキー合宿に取られ、小さないさかいもない、汚れた部屋の後始末も要らない、大人の餅つきであった。
ところが、今年はまた格別なメンバーが加わった楽しい楽しい餅つきとなった。
倅夫婦がやってきて、若い嫁さんの歓声を聞きながらの餅揉みとなった。

我が家の一員となって初めて迎える年末行事。夫婦として別世帯で迎える初めてのお正月。何もかも初めて尽くしの嫁さんが喜々として立ち居振る舞う。
如何にも人生の先輩気取りで、これはね、あれはね、などとウンチクを述べたりしながら、お鏡餅ひと重ねに、ウラジロ・ユズリハ・半紙まで、お飾り一式を持って帰らせた。
年明けには、帯祝いの宮参りも予定されている身重。お鏡餅を丸める倅の手にも力が入っていたように見えた。直系内孫の誕生となる。
なにかしら大きな安堵感が鼻をくすぐる年末である。

太古の昔から満月の夜は「ハレ」の日としてエネルギーを授かると思われてきたらしい。この満月のことを「望月(もちづき)」とも言うように、月の丸い形の物をお供えするのが良いとされ、望月と同じ音の「餅」を供えするようになった。さらに、神様が宿ると言われる鏡も丸い形をしており、お供えする丸いお餅を「鏡餅」と呼ぶのは、こういった神話に基づいた意識の伝承がある。と、ものの本に書いてある。

今を大事に、丈夫な赤ちゃん誕生と、母体の無事を祈るのは少し気が早いのかな。
初詣のお賽銭をはずもう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「長くて短い冬休み」

2012年12月25日 | 家族・孫話

          
               出発前夜、特に緊張もない様子で。

可愛い子には旅をさせ・・・とは今まで何度となく聞いてきた言葉である。
いざ実践となると、親としては心配が先に立ってなかなか踏ん切りが付きにくいと思ってきた。が、婿殿は我が子にしっかりと旅をさせる道を選んだ。二人の息子、私にとってかけがえのない孫を信頼し、こよなく愛しているのだろう。

明日早朝、それぞれの道に向かって出発する。
小学6年生の兄ちゃんは、北海道夕張市にある、スキー強化合宿に参加。プロスキーヤーの指導を仰ぐことになった。帰ってくるのは1月8日というから丸々2週間、スキー三昧の日を送る。のみならず、遠く親元を離れ、一人で洗濯から身のまわりの一切を切り盛りしなければならない。この生活を無事に乗り越えたら、どんなに大きく成長するのだろうか、期待は膨らむ。その上でスキーの上達が見られるならこれに越したことはない。
お父さんの付き添いは明日の午前中、広島空港を飛び立つまで。
後は、他人が千歳空港に出迎え、全て他人の中で生活する6年生。ガンバレよ~~。

4年生の弟カー君は、兄ちゃんを見送ったその足でお父さんに連れられ、鳥取県大山町川床という温泉旅館に行く。そこで小学校高学年スキー強化合宿に参加する。
こちらは4泊5日で年内に帰ってくるが、お父さんは連れて行ったらすぐに帰るので、期間こそ短いが彼もまるで一人の生活することになる。帰ってからの色んな講釈が楽しみである。それにしても、兄ちゃんはともかく、カー君は無性に気に掛かる。だけど土産話が楽しみ。やはりフレーフレー4年生。

暦の関係で今年は冬休みが早くから始まったのだから、普段より長い冬休みになるはずだった。なのにそんなわけで、冬休みの宿題は今日までに済ませなければならなくなった兄ちゃんは大変だったようだ。書き初めももう済ませたということだった。
こうして小学校最後の冬休みを、思い出に残る兄ちゃん。少し頼りないが、なんとか自分の意志を通すカー君。それぞれ応援せずにはいられない。

応援と言えば、二人にだけでなく、ジジババとしては婿殿への応援もせねばならんだろうと、なけなしのカンパを申し出た。
残念ながらない袖は振れないので、振れる程度でがまんしてもらった。それでも「助かります」と言われると、ちょっと小っ恥ずかしいが、仕方がない。宝くじの発表に期待しよう。

二人がどんな成長を見せ、どんな土産話をしてくれるのか、とっても楽しみな新年となりそうだ。もう幾つ寝るとお正月~~

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「毎年のことながら」

2012年12月24日 | 季節の移ろい・出来事


               

毎年のことながら、「ご苦労さんだねー」と感心しながら目の保養をさせて頂いている。
我が家から200mも歩いたところにある2軒の家で、家の屋根からベランダ、庭木やポールを立ててまで、Xmasイルミネーションが華やかに夜空を焦がしている。

我が家の3人の孫の成長に合わせるかのように、年々華やかさを増している。
そうは言っても、今や成長した兄ちゃんもカー君も、一度見たら何度も見に行こうとは誘わないが、三男坊悠雅君は、ちょうど目を見張るお年頃。その道を通るたびに、クルマを停めて、しばらく眺めさせないと機嫌が悪くなる。

この頃では、電球も仕掛けも全て性能アップしていて、非常に簡単にセッティング出来るのだそうな。しかも思ったより安価で、明るいのでひと目を引く効果大だという。

電気代が・・・とか無駄なエネルギー消費・・・とか、ややこしい話はこの際控えよう。
原発100%OFFとなり、自然エネルギー移行で電気代が3割アップしたときには、目の保養など呑気なことは言っていられなくなるのだろう。
それまでは、ガチガチの浄土真宗ではあるが、キリスト教のお祭り「降誕を記念する祭日」として、クリスマスを楽しみ、華やかなイルミネーションを楽しもう。

それにしても、この頃はイルミネーションを見に出かけるための見学ツアーが組まれている。3日に上げず、旅行会社からお誘いメールが入ってくる。
そんな余裕もないよな~とブツブツ言いながら、一応はどこでどんなイベントをやっているのか、旅費は如何ほどか、などをチェックしてしまう。

そんな暇があったら、少しでも早く眠る方が身体のためになる。などと八つ当たり的理屈をこねながら、ご近所のイルミネーションを無料で楽しませてもらっている。
それにしても今日は寒かった。日が差す中で一日中雪が舞った。ホワイトクリスマスイヴだね、などと迂闊に言うなかれ。東北・北越や北海道では、身体を張った雪下ろしとの闘いが繰り広げられているのだ。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「生き字引」

2012年12月23日 | つれづれ噺

        

師走も押し迫った今日、遠方のお葬式に参列した。
母校の学園で、附属中学校校長、高校校長を歴任された恩師のお一人が亡くなられた。高校時代には直接指導を仰ぐことはなかったが、卒業して同窓会など、学園との長いつながりの中で色々教えを請うたり、アドバイスを頂いた、人生の師である。

先だっては今一人の超ベテランの先生で、高校時代も卒業してからも個人的に大変お世話になった恩師が亡くなられている。
同窓会関連はもとより、学園の評議員であり理事として学園を支え、その発展をつぶさに見てこられた生き証人である。つまり、経験を積み、よく物事を知っている人、先例や規則に精通していて、その人に聞けばすぐわかるというような人。ウォーキングディクショナリー。まさしく「生き字引」と言われたお二人であった。

高校を卒業して半世紀以上、可愛がって頂いた二人の恩師を、相次いで失うことは、月並みながら、何とも侘しい思いがする。
個人的にもそうであるが、学園にとっても、広辞苑や古語辞典、百科大事典などを一気に失ったような、言うなれば生き字引を失ったような損失であろう。

ここにも不思議を感じることが一つある。
今日葬儀に参列した恩師は87歳。9月はじめに亡くなられたのは90歳。
お年も近く、お二人切磋琢磨して学園を盛り上げてこられた。そのお一方が亡くなられたら、その3ヶ月後にはもうお一方も後を追うように亡くなられるこの不思議。

ご高齢なのだから相次いで亡くなられても不思議などではない、と言ってしまえばそれまでだが、単にそれだけのことなのだろうか。ここが何となく引っかかる。
仲良し夫婦が、一方が逝くと間もなくもう一方も亡くなる話を何度か聞いた。
それに似た話と考えられてならない。それほどお二人とも学園の発展を願って、同じような意気で力を出し切られたのだろうか。もしそうであるとするなら、改めて私の周りは、素晴らしい人たちで囲まれているということになる。さて肝心な私は・・・??

コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「最後の年忘れ」

2012年12月21日 | 宴会・会食

     

11月半ば頃から忘年会と称するお酒の会が何度かある。
声がかかったものについては、よほどの理由か体調不良でない限り断ることを知らない。
いやそうではない、少々の体調不良は「アルコール消毒でよくなるかも」などと颯爽とお出かけ。

師走20日にして、今年予定した忘年会の一通りを終えた。さて何回でしょう??
などとクイズにもならない馬鹿な話はどっちでもよろしい。
むしろ、この忘年会などという飲み会にいったいいくらの会費を使ったか??
これも別にクイズにするつもりはないが、はてさてと一応考えてみる。

ほんの少しではあるが平均株価が希望の数値に近づく気配を見せるのは、ひょっとしてこの忘年会という消費が、わずかながら景気の下支えをしたのか・・・などと。
なにを言うちょるか、いったいどれほどのお足をばらまいたというのか。
お出かけは高齢者優待100バスを利用。帰りは電車のある内に「お先に」と、並み居るタクシーのそばをすり抜けて駅に向かってひた走り、小銭で最寄りの駅まで帰る。後はアッシー君のお世話に。

これが現在の、我が身の丈に合ったフツーの生活様式である。別段つつましさを求めてケチっているわけでは決してない。
同様に、仲間とつるんで遊ぶのに、会費は極力抑えるが、だからといって内容まで貧しくなるわけではない。むしろ食べる量は少なくていいし、お酒だって浴びるほど飲む者は少なくなった。つまり、会費は抑えても飲んで歌って騒いで発散する心地よさに何ら変わりのあるべきか・・・。それにしても飲食街の停滞ぶり、活気の無さは目お覆うほどである。

現役華やかりし頃の、袖を引っ張られたあの活気が懐かしい。お札がモテモテだったのに「オレって意外にモテるんかな~」などと、手垢にまみれた夢を見た。
昨夜の安っぽいハイボールのせいかもね。

馬鹿なことを言っていないで、今日は冬至。残すところ10日の今年を、人並みに慌ただしそうに、家やクルマの掃除に精を出そう。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「尻に火が付いて」

2012年12月19日 | 季節の移ろい・出来事

          

あれよあれよという間に師走も半ばを過ぎた。いつの間にやら下旬を迎えようとしているではないか。例年の如く、年賀状はお早めにお出し下さい・・・というこの時季ならではの声が聞こえる。焦るんだな~~

何となくフィーリングの合う郵便配達員さんから、年賀葉書を購入してから一体何日たったのか。その間何をしていたのか、さっさとやればいいじゃないか。
・・・とまあ怒りなさんなご同輩。ただボーっと手をこまねいていたわけではない。色々やること、やらなきゃいけないこともあったのだ。などと、もったい付けて弁解しているが。

何があったかって??そりゃぁもう、あれでしょ、これでしょ、それにこれとあれと、忘年会でお酒も飲まなきゃいけないし、歌だって歌わなきゃならんかったわけよ。
それはともかく、忙しい12月ではあった。後回しに出来ることを後回しにしていたら、早い話が尻に火が付いて、慌てて全力疾走しているようなお粗末。

でもまあ、カチカチ山のタヌキのように、明らかに悪事を働いたわけではない。
だから、背中の薪に兎さんから火を点けられるほどの事でもないと思うのだが、気分的には尻の火に追いかけられているようなここ数日ではあった。

苦しいときのパソコン頼み。早い話が、表の宛名書きも、裏面の挨拶文も全てパソコンにおんぶに抱っこ。そうはいっても一言の音信だけは手書きで添える。
以前のような全てが手書きの時代であったら、とても元旦配達には間に合わない。それがパソコンならなんとか間に合わせてくれる。

パソコン年賀状、色々ご意見もあるようだが、パソコン賀状は誠意に欠ける、などと決めつけないでね。価値観色々。たとえパソコン賀状でも、出さない不義理よりは遥かに価値のあることであり、パソコン賀状に誠意を込める人だってここにもいる。
但し、最近の傾向では、単なるお義理で何十年も続く「義理賀状」を辞めて「今年で賀状発信を最後とさせて頂きます」という縁切り挨拶状が流行っているらしい。

この件については、またいつかゆっくり考えてみたい。
兎に角今は、元旦に届くように、全力投球あるのみ。待っちょってね~~

コメント (8)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「変わらぬ手作業」

2012年12月17日 | ニュース・世相


       市内全域の投票箱が集められて                  
              
                       市選管より開票作業前、諸注意

        投票箱開封前、緊張の一瞬
               
                          集計開始、器用な手さばき  

師走のど真ん中、明日の日本、明日の国政の行方を占う衆議院議員選挙が行われた。 
投票所の一角に、仕切で囲うように設けられた報道関係者席。すぐ隣にお巡りさん。
全てマニュアル通り、勝手な行動は許されない。
指定された時間通りに席に着き、選管発表の公式データを待つ。

今回2度目の、国政選挙開票速報連絡員。
最初に手元に届けられる有権者数・投票者数・投票率などの「確定投票状況」を、集票センターに電話で報告し、了解を得ると一気に落ち着きが出てくる。後は、順次発表される速報データを正確かつ丁寧に報告を繰り返す。

普通に数値を読み上げるだけの簡単な作業のように思うのだが、速報データが回ってくると何故か、喉が渇くような緊張感に襲われる。
それもそのはず、こちらの発信データがたちまち電波に乗って全国を駆け巡るのである。しかも、候補者の顔は目の前に浮かんでくる。慎重を期さなければ、と。

会場のテーブルには、山と積まれたオレンジ色の小選挙区投票用紙。
係員が1枚1枚丁寧に名前順に振り分ける。こればかりは旧態依然完全な手作業である。人間の目と、指先の感触で名前の読み違いや重なりというミスを排除していく大変な作業である。その緊張が延々3時間は続く。

ことほど左様に綿密な手作業が行われ、時間を掛けて票数の最終結果が出される。
ところが、夜8時の投票〆切と時を同じくしてOO候補当選確実というニュースがテレビで流れる。バンザイの歓声が上がっている。まだ一票も開票はしていないのに。
この空しさはなんじゃろう。

そんなこんなを経て、結果はご覧の通り。あまりにも一方的な勝者と敗者に別れた。
これはこれで、勝者の奢りや我が儘、数による横暴がないよう見守らなければ。
それでも何でも、この閉塞感からはいち早く脱却したいと思っている。

コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

横幅を広げる

一行の文字数を増やしたい