ウラとオモテの日記

私が見た裏と表の話を紹介する。今話題のニュースよりもあまり取り上げることの少ないニュースに注目します。

はれのひに旅立ち

2024年04月30日 21時08分26秒 | ニュースあれこれ

 桂由美さんというと、ブライダルファッションを広めた功労者です。その彼女がお亡くなりになりました。94歳でした。訃報を受けてドン小西さんがLive News イット!に出演したとスポニチが伝えました。小西さんは3月に桂さんと会ったばかりだったそうで、
「元気でいらして、桂さんは意外と淡々としてらっしゃるから、いつも同じ表情なんですけど、ちょうど1月前ですよ?ステージにきちっと上がられて、観客の前でピチッとスピーチをやられていましたよ、いつも通り」
と、その時の様子を振り返ったそうです。桂さんはいつもターバンを巻いていました。夫からは
「黒柳徹子さんのように、ひと目で分かる特徴を」
と言われ、ターバンをファッションに取り入れるようになったそうです。小西さんは
「本人もおっしゃってましたけど、お洋服とターバンの数は同じ数持ってるとおっしゃってましたよ」
と、桂さんのターバンへのこだわりを明かしたそうです。テレビにも積極的に出ていて、そこでもターバンが関係していました。
「賢い方だから、テレビというのは、(映像が)抜くところは限られているじゃないですか?デザイナーはモデルじゃないから、全身を映してもしょうがないので、テレビの画面に自分が抜かれた時に、見る側の印象にどう残るのか、きちっと計算なされてましたね」
と裏話を明かしていたそうです。
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20240430-0244.html
またIKKOさんはインスタグラムの中で
「先生から対談を指名して頂き出演したNHK Eテレ『SWITCHインタビュー 桂由美×IKKO』(2015年)その際、先生がおっしゃっていた生涯忘れられないお言葉です。日本のブライダルドレスの歴史=桂由美先生 情熱とは、まさに先生にぴったりのお言葉で、数々の伝説は語り草です。30代、私がまた裏方のヘアメイクだった頃、雑誌のブライダル特集ページで、先生のドレスも担当させていただき そのドレスの美しさに感動したことを今でも忘れません。それからもドレスをたくさん見させていただきたくさんの審美眼を教えていただきました。そして、40代、私が表の仕事をするようになって、SWITCHの対談で、先生からご指名いただきお話できたことは 目指すべき道を示してくれたようで、忘れられない1日となりました。また日本の宝を失ってしまいましたが、先生、たくさんの女性の夢・憧れを形にして、叶えてくれて、本当にありがとうございました。『情熱は人を動かす!』この言葉を胸に刻んで、噛み締め精進してまいります」
とつづりました。Eテレで共演した縁からか、その思いをインスタで発信しました。いろんな人たちがその影響を与えて、ファッション界をけん引していることを考えたら、いい人生だったのではないでしょうか。今年は彼女を描いたドラマも放送したばかりだったので、本当にそれを見届けての旅立ちだったのではと思いました。また追悼番組として放送することでしょう。お悔やみ申し上げます。
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/entertainment/sponichi-spngoo-20240430-0257.html
https://news.goo.ne.jp/article/mbc/region/mbc-1145990.html(鹿児島県鹿屋市には彼女が認めたかのやばら園という聖地があり、訪問する予定だったそうです)

 夏場所の番付が発表されました。「時」がしこ名に付くのは時津風部屋から来ています。その新入幕には時疾風関が果たし、同時に結婚発表したとスポニチが伝えました。記事では番付を手にして
「やっぱりうれしいですね。(しこ名が)太く大きくなると。実感が湧きました」
と話しました。新婦とは地元・長崎から九州場所に訪れていた時に出会いました。ほどなく交際を始め、昨年末のクリスマスイブの時にプロポーズしました。春場所後に婚姻届けを提出する予定だったそうで、春場所は東十両筆頭で臨み、千秋楽で勝ち越しを決めました。
「意識はしないようにしていたけれど、勝ち越して新入幕になったタイミングで良かった。ずっと支えてもらったので、ここで上がれたのも奥さんのおかげだと思う」。新入幕を懸けた大一番を前にしても「いつも通りやれば大丈夫」
と背中を押されていたそうです。時疾風関は宮城県の出身で、97年春場所の五城楼(現・浜風親方)以来27年ぶりだそうです。時疾風関は
「2桁勝って、技能賞を取りたい」
と意気込んでいました。本名は冨栄さんというそうで、昨年名古屋場所は幕下優勝を果たしました。結婚も同時に発表するとは、本当にいいこと続きですね。幕内は厳しい戦いが待っていますが、ぜひ目標の技能賞、そして上位を目指してください。
https://news.goo.ne.jp/article/sponichi/sports/sponichi-spngoo-20240430-0223.html
https://news.yahoo.co.jp/articles/2a5f2c82cfecaa7ba8d46844d9c9c3cbf11ef1a4(翔大夢(しょうたいむ)というしこ名が誕生しました。名付け親は今は亡き寺尾さんでした)

 イチローさんと並んだ韓国のアイドルのことをTHE ANSWERから紹介します。日本時間の今日、本拠地ブレーブス戦の始球式に登板したのは、韓国の7人組人気アイドルグループ「ENHYPEN」のヒスン、ジェイ、ニキさんの3人でした。マリナーズのユニホームをまとい、イチローさんとも対面を果たしたようです。X上の日本ファンも
「子供の頃の推しと今の推しが並んでる……」「夢みたい」「世界(宇宙)の大谷翔平選手が尊敬するお方がニキと同じフレーム内にいる奇跡」
などと騒然とした様子だったようで、イチローさんのファンとして知られるニキさんは背番号「51」のユニフォームを着用、
「ニキくん良かったね」「ニキ嬉しそう~!」
などの声もあったそうです。男性だったんですね、このグループは。ウラオモで韓国芸能事務所のお家騒動を取り上げてから、いろんなアイドルグループが体験な思いをしていそうな気もします。風評被害が出ていないのかなと心配しています。イチローさんとの共演を果たして、アメリカでの認知度は高くなったようです。ぜひ今度は日本にも来て、新庄さんあたりと対面してほしいな。
https://news.infoseek.co.jp/article/theanswer_414531/?tpgnr=sports
https://news.goo.ne.jp/article/fullcount/sports/fullcount-1549728.html(ドジャースがダイヤモンドバックスに対して44打席で三振ゼロでの勝利を記録しました)

 昨年両親を自殺ほう助をしたとして執行猶予が付いた市川猿之助さんの近況が週刊女性に掲載していました。4月中旬、バケットハットをかぶって色つきメガネとマスク姿で、自転車に乗って自宅から出かけていく姿を見かけたそうです。しっかりとハンドルを握った自転車の前カゴには“新パートナー”がひょっこりと顔を出していたそうです。近隣住民という人は
「最近になって子犬を飼い始めたようです。一緒に外出しているのを見かけますよ」
と語ります。ご存じの通り、両親との一家心中を起こし、執行猶予が付いた後も自宅に戻って生活を送っているそうです。
「2023年11月に執行猶予つきの判決が言い渡されましたが、その際に“生かされた自分に、これから何ができるか考えていきます”と語っていました。ペットを飼い始めたのも、生き物の世話をすることで、自分も生きているという実感を得ようとしているのかもしれません」
とスポーツ紙記者だという人物は証言しています。松竹関係者は
「先代の三代目猿之助である市川猿翁さんが体調を崩した2003年ごろ、猿翁さんは飼い犬を手放さざるをえなくなり、保健所で処分するという話も出たのですが、それを猿之助さんが必死に止めたことがありました。彼は澤瀉屋の後継者として大事に育てられた“箱入り息子”。幼少期から身の回りのことは澤瀉屋の門弟たちからのサポートを受けていました。そんな人生を歩んできたからこそ、自分がペットの世話をするといった“他者を支える喜び”を求めているのでは」
と話していました。現在は生活費と賠償金に充てるため、所有していた浮世絵や仏像などの骨董品の売却を続けているそうです。有罪で前科となってしまった以上、生活にも制限しているんだな、むなしく暮らしているんだなというのは分かります。意外とペットの世話をしていたというのはその後のいいエピソードだと思います。ぜひその思いを大切にして、歌舞伎に邁進してください。
https://news.goo.ne.jp/article/jprime/entertainment/jprime-31729.html

 かつてマネーの虎という番組で一般視聴者の夢をお金で融資して応援してきました。それが今はYouTubeにて令和の虎CHANNELとして復活しました。東スポによると、その収録中に火災が発生しました。この回では移動式から揚げ店の事業をプレゼンした志願者が登場、その味を確かめてほしいとスタジオの片隅で、家庭用コンロでから揚げを作り始めたそうです。虎であるFCチャンネルの林尚弘さんやユーチューバーのヒカルさんが舌鼓を打ち、番組は進行していたが、その間に控室に移されていた鍋から火の手が上がったようです。
「やべえ」「早く消火器かけろ」「出た方がいい」
とスタジオは煙に包まれ、撮影は中断、避難したヒカルさんは
「緊急で動画を回しています。撮影中に火事が起きました」
とリポートしたそうです。その後別収録で林さんは
「僕が主宰する『FC版Tiger Funding』でみなさんにご迷惑をおかけして、大変申し訳ありませんでした」
岩井良明さんは
「FC版も含めて令和の虎をやっている私にも責任がございます」
とわびたそうです。スタジオでさえも火気厳禁と書いていながら、炎上するのは当然です。応募するのはいいけど、外でロケするわけにはいかなかったのかな。なお岩井さんはポーカー事件や竹之内社長の降板騒動などでこのチャンネルが存続危機に陥ったことを振り返り、
「本当の炎上が起こってしまった。半分ギャグみたいに言っているが、まさかこんなことになるとは。令和の虎にとって、2月は鬼門。罰則規定が想像している以上なもので本当にそこまで違約金を払わないといけないのか」
と話し、現在も話し合いを進めているそうです。いろんな人が融資したいという希望はあるはずなので、ぜひその人のためにも続けてほしいものです。
https://news.goo.ne.jp/article/tokyosports/entertainment/tokyosports-300780.html

 次はファイナンシャルフィールドより、クレジットカードです。電子マネーが発達する中で、お金を出す機会は減っています。キャッシュネスでもいいですが、いまだに現金オンリーなお店も多いはずです。この記事では小規模店舗がクレジットカード決済に非対応の理由や、レジでの支払い手段について解説します。小さい規模の店がクレジットカード決済を推奨しない理由としては
●決済システム導入に費用がかかる
●加盟店手数料が取られる
前者はレジシステムとは別に費用がかかるそうで、クレジット決済のためには端末の導入費用や運用費用を用意しないといけないそうです。初期費用で売り上げが減少し、余計な支出だと言われています。後者は店はカード会社や決済代行会社と契約を結ぶ必要があり、店は決済システムを使うための使用量や、加盟店としての手数料を払うそうで、売上のいくらかが減ってしまうため、個人商店などでは敬遠されやすいそうです。カード会社が代金未回収となるリスクに備えて、小規模の事業者ほど手数料が高くなっています。目安として大手チェーン店は1%程度ですが、個人商店は3~5%程度だそうです。
 小さなお店で支払う時も現金払いする必要はなく、JCB加盟店規約には
「加盟店は、有効なカードを提示した会員に対し信用販売を拒絶し、または現金払いや他社の発行するクレジットカードその他の決済手段の利用を求めてはならないものとします。」
と書いています。「1000円以上から受付」「5000円以上の購入でカード利用可能」といった制限設定は、加盟店規約の違反となるそうです。紙幣もなければクレジット払いをすればいいと言えますが、お店の人としてもそれが一番の理想といえそうです。お釣りが必要だと大変ですからね。キャッシュレスの時代だからこそ、考えてもよいのでは。
https://news.infoseek.co.jp/article/financialfield_289435/?tpgnr=life

 キッズウオーの主題歌して一世風靡したZONEも解散して20年近くが経ちましたが、2011年の再結成の時にはMIZUHOさんはいなかったとエンカウントが伝え、取材に答えました。当時のことを振り返り、
「いまだに多くの方からは、『キッズ・ウォー』の主題歌がデビュー曲だと思われているんですが、私たちはすぐに売れたわけではないんです。もともとは、SPEEDさんみたいなダンスグループを目指していたので、事務所の方から突然の方向転換で『バンドの生演奏』を提案され、メンバー全員がびっくりしました。そして、『これで売れなかったら諦めよう』という気持ちで出したのが、『secret base ~君がくれたもの~』でした。しっとりとした曲調だったためか、当初はレコード会社の方が『もっと、元気な曲の方が良いのでは』と反対していました」
と話しました。secret baseはキッズ・ウォー3の主題歌となりました。中高生で愛らしいルックスの4人は、たちまちバンドル(バンドアイドル)として注目されたそうです。
「反対していた方たちは、曲が売れた瞬間に『僕もあの曲、いいと思ってたんだ』と、手のひら返しでした(笑)。恥ずかしかったのは、学校で給食の時間にテレビから自分たちの歌が流れ始めたことです。クラスのみんなから『あっ、ZONE出てるね』と言われることもなく、気まずい雰囲気になってずっと下を向いて食べていました」
その後新曲を出しましたが、03年末、リーダーのTAKAYOさんが卒業、すぐにTOMOKAさんが新加入し、MIZUHOさんが2代目リーダーを務めました。しかし04年12月、MIZUHOさんが
「自分を見つめ直したい」
と脱退を表明、バンドは翌05年4月1日、日本武道館公演をもって解散しました。
「バンドルとして活動していく中で『このままでいいのかな』という思いがあり、『芸能の仕事を辞めたい』と考えるようになりました。周りには芸能の仕事をしている人しかいなかったので、温度差も感じていました。そして、高校卒業のタイミングでの脱退を申し入れました。引退した後はホテルの専門学校に通い、ホテルで接客の仕事をしていました。専門学校側から頼まれて、パンフレットに顔出しをしたところ、『ネットで騒がれていた』と随分たってから知り合いに聞いて知りました。当時は『元ZONEのMIZUHO』とバレることなく、平和に暮らしていました」
と振り返っています。ホテル勤務の傍ら、ソムリエの資格を取得し昨年から札幌でワインバーをオープンしたそうです。冒頭にも書いたように2011年の再結成には参加しなかったものの、人知れず芸能事務所に所属していたそうで、
「何度か『ZONE再結成』の話をいただくうちに、『また、人前でドラムを演奏したい』という気持ちが芽生えてきたんです。『1人でもやってみようかな』と思っていたところ、MAIKOの紹介で、4月から彼女と同じ芸能事務所・44プロダクションに所属することになりました。事務所の社長も芸能活動をしている方なので、タレントに寄り添ってもらえるのがうれしいです。同じ事務所には、ZONEが売れるきっかけになったドラマ『キッズ・ウォー』に出演していた斉藤祥太・慶太さんも所属されていて、何だかご縁を感じます。復帰第1弾のお仕事は、同じ事務所の所属アーティスト・六地蔵さんの新曲『恋叶~届くかな~』のMVに斉藤祥太さん演じる男性の元恋人役で出演させてもらっていて、ドラムも演奏しているんです。だけど私、SNSというものがとても苦手なので、皆さまにお知らせする場所がないから告知もできていないんです。インスタやYouTubeも見たことがなくて、かろうじてLINEをやっているくらい。今後もSNSを開設する予定はないんです。アナログ人間ですみません(笑)」
と答えていました。再結成については
「当時の事務所は、メンバーとの連絡先交換はNGだったんです。だけど、(解散後に)みんな札幌にいたから自然とつながって、TAKAYO、TOMOKA、MAIKOとは今も連絡を取っています。だけど、MIYUだけがどうしても連絡が取れていなくて……。再結成は、皆さまが必要としてくだって、タイミングが合ったらぜひしたいです。ただ、MIYUがいないなら難しいでしょうね。個人的には再結成は別にして、とにかくMIYUに会いたいです。『この記事を見て連絡してくれたらいいな』と思っています」
と話していました。MIYUさんは再結成の後にしくじったことは記憶にありますが、そのこともあって本当のsecret baseとなって音信不通になってしまいました。MIZUHOさんも会いたがっているし、エンカウント経由で情報をお待ちしています。2000年代の代表するグループです。もし今でも活動していたら、どんな活躍をしていたのでしょうか。ぜひ再結成を待っています。
https://news.yahoo.co.jp/articles/125825e81193a8b18fe1be44375f22c671f9e8e2

 おしまいは共同通信より、スカイレールです。広島市安芸区で活躍していた乗りものでしたが、今日をもって営業が終わりました。モノレールとロープウエーを一体化した国内唯一の交通システムだっだったそうで、1998年に運行開始し、高台の団地に住む住民の足として親しまれたが不採算が続いていたそうです。定期券のICカードはSuicaよりも導入していたそうです。ICカード第1号の交通システムがなくなってしまったのは本当に惜しいですが、きっと住民の中で思い出として残ることでしょう。
https://news.goo.ne.jp/article/kyodo_nor/region/kyodo_nor-2024043001000768.html


最新の画像もっと見る

post a comment