12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

バッカスの歌

2008年05月31日 05時29分59秒 | Weblog

塩野七生氏の訳からご紹介する。

青春とは、なんと美しいものか
とはいえ、みるまに過ぎ去ってしまう
愉しみたい者は、さあ、すぐに
たしかな明日はないのだから

 このバッカスの歌の詩は全8編から成る、メディチ家の4代目ロレンツォ・ディ・メディチの作である。

謝肉祭のために書かれ、フィレンツェにと留まらずヴェネチァでも謝肉祭には欠かせない歌だった。現在でもイタリアの小学5年が暗記させられている詩である。

ロレンツォは、詩作の芸術家であり、散文の名手として、イタリア文学には欠かせない人である。彼の文体は、平易明瞭で、頭脳の明晰さをあらわしている。

中山晋平作曲、吉井勇作詞の「ゴンドラの歌」は大正時代に大流行したのであった。その詩を引用すると、

いのち短かし、恋せよ乙女
紅きくちびる、あせぬまに
熱き血潮の、冷めぬまに
明日の月日は、ないものを

<!-- ゴンドラの歌 -->

 

ロレンツォの詩と意味は全く同じであると、塩野七生氏はおっしゃるのである。確かにそのように思えるのである。

小生の持論である「時の砂」と同じ思想が流れているのである。 我々の持ち時間は刻一刻と少なくなってきている、まさに「愉しみたい者は、さあ、すぐに  たしかな明日はないのだから」である。

時間を大切に有効に生きたいものである。

あとがき;
上記のように書いたのであるが、本当にがんと宣告されたら、「愉しむこと」より、「身辺整理」に類する事に注力するのだろうと思っている。

なぜなら、大腸がんの精密検査を受けるまでの数日間、万一の場合にしておくべき事として念頭に浮かんだのは、「身辺整理」に類する、どうしてもしておくべき事柄ばかりであったから。

元気で活力のある時でないと、「愉しむ」などと言う余力は無いように思えるのである。


癒着

2008年05月30日 02時45分50秒 | Weblog

  

写真は、内視鏡による大腸がん検診のとき腸内部を洗浄するドリンクである。 (製造元:味の素)

先週末、大腸がんの定期健診の潜血反応試験の結果を聞かされた、二つの試験片の一方は陽性で他方は陰性との事だった。医者は、それなりの歳でもあり、そろそろ精密検査をすべきだと言う。

それで思い切って受診した。前日の夜の食事はうどん1杯、下剤を飲み就寝、当日は、水分以外は摂らず、病院で写真のドリンク2リットルを2時間で飲む。(1リットルを過ぎると結構飲むのに努力が必要) 5回くらい通じがあるときれいに成って検査が可能。

この日は、いつもの半分くらいの人数で、同年代男女各2名計4名が受診。小生が最後の番、先頭の女性は、20分ほどで終わり、晴れ晴れとした顔つきで出てきた。大変楽だったためと結果が良かったためであろう、鼻歌混じりの軽やかなステップで帰宅していった。

10室くらい内視鏡室があり、同時並行で行われている関係で残りの人とは会うことはなかった。

 小生の場合には、若い担当医が随分と挿入にてこずって、ついにベテランの医師に交替、やっと挿入できた。学生時代に行った虫垂炎の手術のため癒着があり、挿入困難が発生したのだった。

無理に挿入するのでかなり痛かったし検査時間も1時間ほど要したが、総じて楽な検査だと思った。 結果は、5mmのポリープ1個切除、1mmのポリープ1個は放置、その他異常無しとの所見、一安心。(切除したポリープの細胞検査の結果は、後日)

四十数年前の手術による癒着が、こんなときに影響するとは、思いもかけなかった。

あとがき;
二万数千円と投資と検査の不愉快な気分とポリープ切除の傷による1週間程度の禁酒とを要したが、安心料と思って諦める事にした。


芸術の値段

2008年05月28日 07時20分00秒 | Weblog

  
ヴェッキオ宮前にある高さ5mくらいの巨大な彫刻ダビデ像
      (ミケランジェロ作のレプリカ)

 「わが友マキアヴェッリ」(フィレンツェ存亡)塩野七生著 中央文庫 より

ルネッサンス終焉の少し前の頃、フィレンツェ共和国政府が芸術家に支払ったお金のことが書いてあった。

都市国家毎に通貨が異なっており、単位として、「フィオリーノ」「ドュカート」「スクート」等が出てくるが、いずれも大体同じ価値だったそうである。

それでは、当時の超一流の芸術家の収入について紐解いてみよう。

フィレンツェ共和国和国政府は、政府の館パラッツォ・ヴェッキオ(ヴェッキオ宮殿)内の大会議場の左右の壁面の壁画の競作を考えた。

 51歳のレオナルド・ダ・ヴィンチが選んだテーマは「アンギリアの戦い」、27歳のミケランジェロは「カシーナの戦い」を選んだ。

ルネッサンス芸術の最高傑作の一つローマのシスッティーナ礼拝堂の「最後の審判」と共に評価されたかもしれないのであるが、これらは残念ながら幻の名作となった。

レオナルドが技術上の問題で、ミケランジェロは理由不明ながら「投げ出した」のであった。

記録によると、レオナルド・ダ・ヴィンチが選んだテーマは「アンギリアの戦い」に支払額は「22.5フィオリーノ/月 x 作業月数」 と契約されていた。

ミケランジェロの場合には、「カシーナの戦い」に関する記録が現存しないので、かの有名な「ダビデ像」制作の場合の記録が引用されている。これによると「9フィオリーノ/月 x 作業月数 + 報奨金 400フィオリーノ」だった。これを年俸に換算すると、264フィオリーノである。

当時の中流家庭の年収が、100ドュカート程度とあった。それを700万円/年と仮定してみると、当代超一流の芸術家であるミケランジェロは、1800万円程度の年収と仮定できなくもない。

ちなみに、政府の秘書官だったマキャベリの年収は、1350万円程度と仮定できるから、それらを考えると超一流の芸術家を雇うことは、馬上槍試合に一万フィオリーノを散財できるメディチ家にとっては、いとも簡単なことのように思えるのである。

メディチ家などの超巨大財閥にとっては、超一流の芸術家のパトロンになることなど朝飯前だったような気がしている。 彼らにとっては、当時最高の芸術家を雇うことは、至極簡単なことだったような気がしてきた。

現在、これら超一流の芸術家の作品が、骨董価値とはいえ数億・数十億円で取引されるのは、なんとも理解に苦しむのである。

お断り;
正確な貨幣価値を換算するに足るだけの十分な情報がないためであろう、塩野七生氏が文中で「単なる遊びに過ぎない」と断っておられるのは、上記の通貨の換算についてである。

小生は、さらにそれを日本の通貨にまで換算してしまったのである。
間違いなく大変な「出任せ」をしていると思う、それ故絶対的な貨幣価値でなく、相対的な価値と捕らえて、読み流していただきたい。


俳句教室

2008年05月27日 07時17分42秒 | Weblog

今日は俳句教室をご紹介する。

 
この日は、いつもの生涯学習センター(ミネルバ=この施設の愛称である。この名前を借用して句会の会名としている)が市の行事のため使用不可能となり、深山公園の道の駅の一角にある売店の2階を借りて開催した。

(場所代が安く、交通の便がよい場所は限られており、世話役さんは毎度大変である)

直ぐ近くの建物には、農家直販の野菜や花売り場、漁労者直販の魚売り場がある。 この直販売り場は、西日本有数の売り上げを達成しているという、市民に人気のある市場となっている。市価より2~3割は安いため主婦達は、帰りにこぞって食材を調達していた。

総員15名だが、お一人は車椅子なので、当日は欠席。若干の男性が居るのだがまだまだ少ない、どうしても女性中心の会となっている。

この日は、先生と世話役の男性Sさんと三人で昼食も忘れて話し込んでしまった。どうしても堅苦しくなりがちな教室から、時々外に出て雰囲気を変えてみようという線に纏まった。

平成16年に発足、早いもので既に5年目に入っているこの句会は、当初は市が主催する俳句教室であった。小生を含み殆どの参加者は、全くの新人からスタートしたのであった。

日常なんとなく見過ごしてしまっている事を、俳句の目を通して見るようになれたのは、新しい世界を発見し得をしたような気がしているのである。

来る者は拒まずである、ご興味のある向きはご参加頂きたい。


名せりふ

2008年05月26日 06時12分05秒 | Weblog

NHKのラジオ深夜便で、野球オタクで有名な慶応大学のI先生の野球についての「六つの楽しみ方」を聞いたとき、同時にこんな話があった。

小西得朗(こにし とくろう、1896年7月10日 - 1977年6月9日)は、昭和期のプロ野球監督、野球解説者。東京都麹町出身。 父はロシア文学者・小西増太郎。

三高、日本中学を経て、明治大学に進学し第8代キャプテンとして東京六大学リーグで活躍。・・・(中略)・・・日本プロ野球黎明期の偉大な指導者として定評があった。

1950年代後半からNHKでプロ野球中継の解説者として活躍し、
「まぁ、なんと申しましょうか」というおなじみの台詞と、志村正順アナウンサーとの名調子でファンからの絶大なる信頼を集めた。

ここからが本論である。
1955年6月7日の後楽園球場での巨人対中日戦で巨人の打者藤尾茂が杉下茂の内角への鋭いシュートを股間に受けた際に

(「なんとこともあろうに藤尾のキ…」とうっかり放送禁止用語を喋りそうになって)言葉に詰まった志村アナウンサーを尻目に、

「まぁ、なんと申しましょうか…藤尾君の今の痛さばかりはご婦人方には絶対にお分かりになられない痛みでして」の名言でその場をつないだ逸話も有名。
1977年6月9日死去、享年81。大和球士とともにテレビ中継草創期の名解説者だった。

野球そのものより「まぁ、なんと申しましょうか…」の名調子の小西さんの解説を楽しんだものだった。

 おまけ;
• 「御婦人方には…」の発言の夜、小泉信三から小西のもとに「NHK放送史上に残る名解説だ」と称える電話があった。(近藤唯之『プロ野球名語録』P.181)


二つのお知らせ

2008年05月25日 05時50分56秒 | Weblog

 ご近所の方からご案内いただいた二つの展覧会に出かけたのでご披露する。

 1. 第8回 いち絵の会 水彩画展 (メルカ 楽しい絵画教室)
22日(木)~25日(日)AM10~PM5時、メルカ3階にて 
  
今日日曜日は、午前中あいにくと雨模様であるが、午後は上がるのではないだろうか、お買い物のついでに如何であろうか。
ご案内が遅くなって申し訳ない。

 水彩画特有の穏やかな絵を楽しむ向きには適している。現役時代の知人の作品を数点見ることが出来た。絵心のある人には向いている教室であろう、こんな絵が描けたらいいのにと羨ましく感じた。

メルカというスーパーマーケットは、当市で最大の地方デパート系スーパーマーケットである。かつては映画館があったが閉鎖し、今はプールや各種教室などもある。

 市役所などのある市の中心部に位置するが、自宅から7kmくらいの距離がありやや遠いため、どうしても近くの店で大抵の用を済ませる関係で、ここには数ヶ月に一度程度しか訪れないため情報不足の感が強い。

2. 全日本写真連盟玉野支部 写真展
23日(金)~6月1日(日) AM9:30からPM6:00カメラのキタムラ玉野店にて

向いのご主人(地方紙のコンテストで毎度優秀な成績をおさめている)が参加している写真クラブであり何度か作品展を見たことがある。

会の名のとおり、写真とはかく写すものかといつもながら感心させられる作品が展示されている。

作者がシャッターチャンスを逃さないように・辛抱強く狙い続けた賜物であろうと思った。

 カメラ店の奥まった別区画にあるので多少場所が判りにくいが、遠慮せずに奥に通るとよい。

 出来るだけ足繁く展覧会などを覗いてみて、他人様がいかような楽しみをお持ちなのか調べようと思い立ち、こんなレポートを書くことにした。

 絵画は19名中男性4名で男性頑張れであり、
写真は16名中女性2名と女性頑張れの構成である。

何事も独りでするよりはグループでするほうが遥かに楽しく上達も早いように思っている。

小生は一人で根暗に趣味に没頭するより、教室出席大賛成派であるが、唯一困るのは、複数の教室が同時に開催されるときである、体は一つである、どちらかを諦めなくてはならないのである。


太極拳楽屋裏

2008年05月24日 06時10分59秒 | Weblog

写真の教室は、新たに独立された若先生の教室である。
別に大(おお)先生の教室(生徒数約50名)が、毎金曜日夜、スポーツセンターの柔道・剣道道場で開かれている。

リハビリを兼ねて、若先生の教室の方から復帰したのであるが、大(おお)先生の教室の方はもう暫く足の調子が戻るまで休む予定である。 先週に引き続いての復帰第二回目の太極拳教室への出席である。

熱心に練習を続けてきた生徒さんの進歩は著しく、小生の遅れが気になったが、今更どうしようもないのである。成るようにしかならないのである。

 以前の生涯学習センターの多目的大ホールは、市の財政難が原因で一回の教室費が数千円と非常に高額になった(さらに冷暖房費は別途徴収)ので、新年度から賃料の安い和田地区市民センターの2階に屋移りした。

教室の世話人代表の名義は小生であるが、もう一人の男性(事務局長さん役)の方が実質的にお世話をして下さっている。

生徒総員11名、先生2名と大変こじんまりした教室だが、会議室を借りている関係で、100m2弱と部屋も広くない。それ故、それほど沢山の生徒を収容することは不可能である。

あと数名は収容可能と先生からお聞きしたので、以前の生徒さんのOさんの自宅に出向き開催日などのメモをお渡しし、再度の出席を勧誘した。

その道、丁度犬の散歩中の俳句のSさんに出会ったで、口頭で勧誘を行った。彼女は、若く健脚でありスポーツにも長けている、適任者であるが唯一の問題点は、彼女の仕事との兼ね合いである。うまく調整が取れて参加がかなうことを祈るのみである。

このブログの読者の中で、ご興味の方が居られたら、一度水曜日の午後1時から3時の間、「和田市民センター」の2階に見学においで頂きたい。 そして、どんなことをしているのか、じっくりと見物して頂きたいのである

参加するかどうかは、それからゆっくりと考えてもらえばよい。
(小生としては、男性に奮ってご参加頂きたいと思っているのである。)


もう一つのポンペイ

2008年05月23日 07時05分21秒 | Weblog

最近は、イタリア関連の番組に特別目が行くのである。 NHK地球ドラマチックという番組(英国の会社が制作したドキュメンタリー)を見た。

我々は、ヴェスビオス火山・ナポリやポンペイなど名前程度は承知しているが、それ以外のことには全く疎いのである。ヴェスビオス火山は、最近では1944年に噴火をして以来平穏を保っているが、立派な活火山である。

ポンペイの町を壊滅させたのは、西暦79年8月24日、午後1時頃から噴火をはじめ数日間大きな爆発を繰り返した大噴火である。その規模は、広島型原爆の数百倍だったというのである。

 

最初の噴火で、人口数万人のポンペイの町は一瞬にして廃墟と化したのである、そのため、後の時代に沢山の遺骨などが発見され世界に知られたのである。

「もう一つのポンペイ」と呼ばれているのは当時人口4千人の町「ヘラクレネウム」である。

ヴェスビオス山から南方にあるのがポンペイ、西にあるのがこの「ヘラクレネウム」そして、北西にあるのがナポリである。

真夜中頃から、激しい火砕流がこの「ヘラクレネウム」を襲った。海岸に面したこの町は、一瞬にして、25から30mの高さの土砂に埋まり、直ぐ近くにあった海岸線は500m沖に移動したのだった。

18世紀に農民が井戸を掘っていて遺跡のあるのに気付き、ブルボン王朝は宝物の発掘には大変力を注いだのだが、歴史・考古学などの文化・文明には関心を持たず、長い間、放置されていたのである。

ようやく今世紀になって、学術的な発掘が始まったのだが、非常に深い土砂に埋まった関係で、現在はこの遺跡の上に沢山の人家が建ち、発掘も思うに任せないのである。

ポンペイと大きく異なるのは、非常に深い土砂に埋まったことから、

1. 多くの建物が、ほぼ完全な状態で発見されたことである。例えば、公衆浴場・民家・町の中心的な建物などである。
2. 下水溝もほぼ完全な状態で、さらに下水溝の底に溜まっていた各種の残渣物がそのまま発見された。
3. 激しい一瞬の火砕流のため、有機物(食べ物・木片などが)も発見されている。


現在まだ十分の一程度の発掘のようであるが、今後どんな発見があるのか興味深深である。

この番組では、この火山周辺に住んでいる数百万人の人達の安全対策が不十分なことを警告していたが、それらのことは、我々に日本人にも無縁でない。

とはいえ、自分だけは大丈夫と思いたいのが人情である。

<!-- ポンペイ前編 -->

 


ローマ

2008年05月21日 08時41分38秒 | Weblog

映画「ローマの休日」は当時の若者を魅了したものだった。その後いったい何度この映画を見たことだろうか。ローマの名所見物にも好都合な映画で随分ローマに憧れたものだった。

次のYouTubeは、お勧めのものである(2分半)、ぜひ一度ご覧頂たい。

<!-- ローマの休日抜粋版 -->

 小生の思い出は次の作品である。
スペイン階段も独り旅にはあまりそぐわなかった場所の一つであった。

<!-- ローマ・スペイン階段 -->

(補足:最近YouTubeは、高画質・低画質の二種類の画質設定が出来るようになりました。御自身のYouYubeの登録画面で、高画質を設定しておくと、かなり改善された画質でご覧頂けます)

 60代半ばにしてようやくその思いが成就し、二千数百年に及ぶ長い歴史を眼前に、あらゆるものが珍しく新鮮だった。

おまけ;
ROMA を逆にすると AMOR(愛)という単語になるとガイドさんに教えられた。偶然の一致に過ぎないのであるが、ローマに関係した言葉は沢山ある。

長い間、西欧文明の中心だったローマについていくつか引用する。

ローマに関する引用句と諺。(出典: フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』)

 * コロッセウムがあるかぎりローマは栄えコロッウムが滅びるときローマが滅びる、そして世界が滅びる。 --- ベーダ・ヴェネラビリス

* ローマよ、おまえは確かに世界に等しい、だが愛なしには世界は世界ではなく、ゆえにローマもローマではないだろう。 --- ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ「ローマ悲歌」

 "Eine Welt zwar bist du, o Rom, doch ohne die Liebe wäre die Welt nicht die Welt, wäre denn Rom auch nicht Rom." - Johann Wolfgang von Goethe, "Römische Elegien"

* 私がここで放屁をすると、ローマではそれが芳香を放つ。--- マルティン・ルター
"Wenn ich hier furze, riecht man das in Rom."

* 征服されたギリシアが征服者を征服した。--- ホラティウス
   "Graecia capta     ferum victorem cepit..."
    o ローマ領となったギリシアの文化がローマを席巻したことをいう。

* 神聖でもなければ、ローマでもなく、帝国でもない。 -ヴォルテール
    o 神聖ローマ帝国について


* すべての道はローマに通ず --- 諺、イタリアほか。

* ローマは一日にしてならず --諺
     Roma non fu fatta in un giorno. Rome wasn't built in a day.

* ローマではローマ人のするようにせよ --- 英語の諺
     When in Rome do as the Romans do.
        日:郷にいれば郷に従え。


ブータン

2008年05月20日 08時25分33秒 | Weblog

 
             ブータンの国旗

ブータンの国章(エンブレム)

先日偶然TVで見たのは、ブータンで3月24日に行われた国政選挙についてのドキュメンタリーだった。

ブータンは、南アジアにある国。正式名称はブータン王国。インドと中国にはさまれている、世界唯一のチベット仏教を国教とする王国。

一番気になったのが、素朴な民族衣装着用の国民の多くが英語をしゃべることだった。これは、公用語として英語を採用しているためであり、この国の憲法は、英語で書かれているのである。

次いで気になったのが、選挙というようなある種の競争を、あまり好まない国民だということだった。 非常に仏教的思想が広く深く支配している国で、「皆仲良く暮らそう」という思想に満ち溢れているのである。

「国民総幸福量(GNH)」という概念が国王によって提唱されているという特異な国である。

英語がもたらす、西洋流の競争社会の弊害が、近い将来この国にも及ぶようなやりきれなさを覚えたのであった。

 この国に興味を覚えたので、Wikipediaで調べてみた、ご興味のある向きは、以下の参考をご覧頂きたい。

参考;
前国王が提唱した国民総生産にかわる国民総幸福量(GNH)という概念、様々な環境政策、伝統文化保持のための国民に民族衣装着用の強制などが、近年のスローライフなどのキーワードと組み合わされて語られる場合も多い。

 1972年に第3代国王ジグミ・ドルジ・ワンチュクの急死後、第4代国王として16歳で即位したジグミ・シンゲ・ワンチュクが永らく国王の座にあり、2005年には総選挙が実施される2008年に退位する事を発表していたが、予定を繰り上げ2006年12月に譲位。

ジグミ・ケサル・ナムゲル・ワンチュクが第5代国王に即位した。
2007年12月に国家評議会(上院)選挙、次いで2008年3月に国民議会(下院)選挙が実施され、同年4月、初の民選首相としてジグメ・ティンレーが選任された。

言語
英語が事実上の第一公用語であり、全ての法令、公文書は英語で書かれている。ほぼすべての教育機関が英語を教授言語としている。

これは、ゾンカ語が語彙に乏しく、近代国家の公用語としての使用に耐えないこと、また英語を公用語とする隣国インドから英語で授業ができる教員を雇い入れることが容易だったためである。

 現在でもブータンの学校ではインド人をはじめとする多くの外国人教員が教鞭を執っている。最大の新聞であるクエンセルは、英語、ゾンカ語、ネパール語で発行されているが、購読者が最も多いのは英語版である。

英語の公用語化は最近始まったため、中年以上の世代にはあまり通じない。英語教育を受けた若い世代には、英語をもっぱら第一言語とし、国語であるゾンカ語は話せても読み書きができない者もいる。

また、地方の少数民族を中心にゾンカ語を話せない人も多く、ブータンで最も通用性が高いのはヒンディー語やそれに類するネパール語であるとされる。これは、近代教育初期の教授言語がヒンディー語で、インド製娯楽映画やテレビ番組が浸透しているためである。


六つの楽しみ方

2008年05月19日 06時22分04秒 | Weblog

 NHKのラジオ深夜便で、野球オタクで有名な慶応大学のI先生が、野球についての「六つの楽しみ方」をご披露された。

その六つとは、
「やる」= 草野球をやる
「見る」 = 球場で本格的な野球を観戦する
「聞く」= 野球の実況放送を聴く

「読む」 = 野球の専門書や有名野球人の伝記やエピソードを読む
「語る」= 友人達や、場合によってはTV・ラジオなどで話す
「書く」= 野球について著書を著す等である。

野球に関しても、八面六臂の大活躍をなさっているのである。 これは耳寄りなことを聞いたとばかり、小生の場合に当てはめてみた。

 1. 水墨画;「やる(描く)」「見る(展覧会」の2つは合格。しかし「聞く」「読む」「語る」「書く」はいまだ不実行。

 2.ストレッチ体操;「やる」「見る(教室やDVD)」「読む(本)」の3つ合格。「聞く」「語る」「書く」これらは不合格。

3.太極拳;「やる」「見る(TVやDVD)」「読む(教本)」の3つ合格。「聞く」「語る」「書く」これらは不合格。

4.料理;「やる」「見る(TV)」「聞く(ラジオ、これが結構面白い)」「読む(料理の本)」4つ合格。「語る」「書く」こちらは不合格、とても出来そうにない。

5.俳句;「やる(詠む)」「見る(TV)」「聞く(ラジオ)」「読む(俳句の本)」「語る(少し甘いが、教室で先生や句友と)」「書く(投稿)」の全て合格。

「聞く」「語る」「書く」これらが不合格なのは、
他人様にお教えできるほどの相応の専門知識・見識が必要なことと共に、当然であるが、相手が必要なのである。

しかし、見方を変えると、ブログで雰囲気などお伝えするなどでもよかろうと思ったのである。

そんなわけで、今後もう少しこれらについて、ブログに書くようにしようと思っている。


帆船「海王丸」

2008年05月18日 06時31分03秒 | Weblog

 5月17・18日は、「たまの港フェスティバル」である。
昨日撮影した帆船の写真を中心にご紹介する。

      

  

 

 ということは、今日まで開催されるということである。
天気も良好、ご興味の向きはお出かけになるとよかろう。


バースデイケーキ

2008年05月17日 06時09分34秒 | Weblog

 

巻頭の写真は何かお分かりになるだろうか?

さらに拡大してみよう。

もうお判りであろう、これらは、バースデイケーキのデコレーションの記録写真なのである。

客の希望する飾り付けにしてくれるのである。大変珍しいサービスである、孫がいる小生にとっては大変興味のあることだった 

       

先日、メル友からの依頼で、当市で有名な菓子の製造販売店の一軒にお邪魔し、許可を得て和菓子の撮影を行ったのであるが、そのとき見かけたものがこれである。  (なかや宗義の店舗写真)

読者の皆さんにとって和菓子は珍しいものではなかろうが、このバースデイケーキのデココレーションは報告に値すると思ったので、ここにご紹介したのである。

       

写真だけでは申し訳ないので、3個の和菓子を購入し帰宅した。

 

    

これは、和風ケーキとでも言うものであろう、これにも目が行ったが我慢した。


サンデー俳句

2008年05月16日 07時09分09秒 | Weblog

 病院の待合室で、サンデー毎日5月18日号を開いたら、偶然飛び込んできたのが「サンデー俳句」だった。

今週の宗匠=吉行和子さん、美人に弱い小生は、それでは読まねばと、懸命に読んだのであった。

兼題は、「祭り・東京」、それでは、吉行宗匠が厳選された、優秀句から、小生が好きな三句をご披露しよう。

* 東京の 地下の迷路や 夏は来ぬ  神奈川県     木村てる子  (80)

* 幼子を 泣かせて去りし 祭獅子   宮崎 無職    十河三和子  (66)

* 本降りになるまで 祭太鼓打つ    神奈川県 会社員  北村純一   (63)

今週の宗匠=吉行和子美人の選に成っただけあって、伸びやかな素直句ばかりだった。

こんな句を読みたいのであるが、小生にはどういうわけか、一向にこの種の句を詠めないのである。 悩ましいことである。


カンツォーネ

2008年05月14日 07時44分30秒 | Weblog

先日の旅では、カンツォーネを知らない世代が如何に多くなったかを痛感させられて帰ったのだ。(小生が歳をとったと言うこと)

13日のNHKラジオ 「ラジオビタミン」 ときめきインタビュー 「記憶に残る歌を歌いたい」で、イケ面の彼の朗々たる歌声を聞いた。

クラシカル・クロスオーバーという音楽の「ジャンルを超えた新ジャンル」すなわちクラシックからポピュラーまで何にでも対応すると言う歌手である。

音楽音痴の小生には全く意外だったのが、カンツォーネの発声は、クラシックと全く異なるのだそうである。(小生が勝手に思ったのは、クラシック歌手が、浪曲を歌うようなものなのかもしれないと)

今後彼が、益々活躍の舞台を広げ、再びカンツォーネ復活をしてくれるのではなかろうかとの期待を抱いた。 彼のオフィシャルサイトから引用する。

 大瀧賢一郎  Otaki Kenichiro 岡山県出身。国立音楽大学声楽科卒業。

1995年、イタリアのミラノで、マリア ミネット女史に師事。帰国後、クラシックの発声からポップス、ロックに至るまで全てを的確に歌い分ける独自の発声スタイルを確立し、その個性的な歌唱法が好評を得る。

1998年、第6回太陽カンツォーネコンコルソ・ポピュラー部門審査委員特別賞受賞。なお、この年の同大会クラシック部門では同窓生である、秋川雅史氏が受賞している。

1998年、2001年、矢沢永吉コンサートツアーのコーラスに参加。 2006年、チェンミュンフン指揮 NHKニューイヤーオペラコンサートのオペラ「トゥーランドット」のPONG役に抜擢される。

2007年、日刊スポーツ主催 神宮花火大会に特別ゲストとして出演。会場となった秩父宮ラグビー場に集まった1万5000人の観衆の前で歌われた「NESSUNDORMA」の歌唱が大きな注目を集める。

 現在は、全国でライブ、オペラなどを精力的に行い、今年、2008年6月15日にはCDデビューコンサート「大瀧賢一郎~Cross Ballade~」を品川クラブにて開催予定。

 おまけ;彼のブログより    http://otaki-net.jp/

明日はラジオビタミン

明日13日はNHKラジオ、ラジオビタミンに出演させていただきます。

(中略)

素晴らしいみなさんが作り上げている番組です。オペラの現場から離れて新しい世界で頑張らせていただいていますが、行く場所行く場所で、プロのお仕事にめぐり合えたり、沢山の、音楽を愛しているみなさんとめぐりあえたり、感謝することばかりです。

(後略)