12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

お休み

2006年08月24日 02時01分36秒 | Weblog

映画の寅さんは、旅がらすである。独りぶらぶら気ままな旅をしているように見える。そして、美人に出会い、片思い・失恋へと話が展開する。

お決まりのパターンなのだが、なぜか目が離せない、単に面白いと言うだけでなく、なんだか自分の姿を鏡で見ているようで、人ごととは思えないのである。

仕事でも、遊びでも割合独り旅が多い方であった。決まって、一人旅は、珍道中となることが多かったように記憶している。

仕事では、先進国要員にはなれず、これから発展をしようという国ばかりに行く羽目になった。

“ワイシャツの胸ポケットには、いつも数ドル小額紙幣を入れておけ、ホールドアップに出会ったら、必ず左手で胸のポケットから現金を出して渡せ”など、こまごまと注意された時代である。

腹具合が悪くなったり、熱が出たり、トランクの鍵を壊されたり・・・こんなことは、日常茶飯事で、銃声を夜聞くと翌朝の新聞に近所で殺人があったと書いてあったり、話題に事欠かない旅が多かった。

(「春節」と「X-MAS」ばかり狙って出張すると、一時陰口されたことがあった、折を見てこの申し開きもしなくてはならないのだが)

8月24日出発、千葉の孫の顔を見て、26日成田発、上海経由桂林(2泊)、西安(2泊)、30日西安発上海経由成田着、孫と再会して、9月1日帰宅します。

最小催行人数が、2名のツアーですから、誰か判りませんが少なくとも一人は同行者が居るはずです。故に、一人旅ではありません、従って、珍道中は望むべくもない。

とてもとても、寅さんのようには、行きそうにない。まじめに、水墨画の世界の写真を撮り、秦の始皇帝の遺跡と出来たら弘法大師の足跡を尋ねたいと思っています。

25日から9月1日までのブログのお休みを説明するために、一面を読ませてしまいました。

何か日常的でない話のお土産ででも、埋め合わせしたいものです。


高山病

2006年08月23日 05時19分18秒 | Weblog

恥ずかしながら、2000mを越える山に登ったことは無い。

 どうも記憶が定かでないが、以前仕事で旅行中、給油のため高地の空港に立ち寄ったことがあるような気がするが、どこのなんと言う空港だったか、さっぱりはっきりしない。 

記憶に残っているのは、黒ずんだ銀器を沢山売っていたことと、急ぎ足で歩くと、息切れがしたことである、それゆえ高地だったと思っている。 この程度の高地経験しかない。

古希もそれほど先ではなくなった、先輩からアドバイスされている。 

「70歳を越えると、体が言うことを利かなくなる、それまでにしたいことを済ますこと」とである。先人の言うことは、真理に違いない、まじめに実行しようと勤めている。

この夏休みは、偶然高所が希望行き先になろうとした。インターネットで、申し込みをしようとして、赤字の注意書きに気づいた。

“1800mから4800mの高所に行きます。高山病の恐れのある方は、参加できません”と書いてあった

インターネットよると、60歳以上の高齢者が、年間20数人高山病で、命を落としていると書いてあった。 どうも困ったことになった。

そこで医者に聞いてみた、答えは、いとも明快であった。「行けば、高山病にかかるか、かからないか分かります」・・・その通りなのだが・・・。 

またこうも言われた「心配なら、酸素ボンベを2・3本持って行ったらー」。  

結局、何の解決にもならなかった。 息子に言われた、“いい年をして、馬鹿なことを、万一のとき誰が困るか分かっているか!” グーの音も出なかった。

ついに、このツアーをあきらめ、ありきたりのものに申し込んだ。 来年は、さらに条件が悪くなる。

度、富士山に登り、3、777mを体験しておかねば。


星月夜

2006年08月22日 05時26分47秒 | Weblog

これは、俳句の秋の季語である。月の無い、「星だけの夜」のことである、“星明かり”が月夜の代わりをしている景をさすと教えられた。

学生時代、独り登山が多かった。山岳部にはY・Mの両君が入部していたが、その他の同級生は山登りには興味が無かったようであった。こんな環境と、もともと一人気ままに登りたい為でもあった。

土曜日の放課後、食料調達を行いつつ、徒歩で駅までたどり着き、鈍行列車に乗り数時間、到着駅からは乗客一人のボンネットバスでまた数時間、午後9時頃ようやく登山口。

あるとき、自殺者と勘違いされたのであろう、バスの運転手さんから、懇々と諭されたことがあった。懐かしい思い出になっている。

千メートル位までは、木立が深く、暗闇に小動物の青白い目が時折見え隠れする、まだまだ俗世の感覚が残る、不気味な世界であった。

これ以上の高度になると、低い潅木だけとなり、満点の星空が見え始め、魑魅魍魎から開放された、神聖な世界のように感じられた。

 宇宙の神秘とでも言うのであろう、表現不可能な美しさであった。これが、夜間登山の醍醐味となり、また病み付きの元になった。

午前1時か2時頃、ヒュッテに着く、山岳部の行事が無い限り無人・無施錠。勝手知ったる他人の家、持参のパンと水で腹を満たし就寝。

この頃になると、装備は一級レベルに向上していた。シュラフは羽毛入り、大きな割に軽くて暖かい。

手袋にいたっては、誠に妙な格好をしていた、2本手袋(親指1本と残り4本を纏めて1本)+銃の引き金用1本の3本形手袋であった。

すべて、米軍の朝鮮戦争の放出品であった。いずれも、近年まで、時々愛用した品であった。

空気の澄んだ高地で、星空を長年見ることもない。そろそろ、虫が動きだしそうである。


セキュリティチェック

2006年08月21日 02時34分32秒 | Weblog

英国で、航空機テロ未遂の犯人を、20数名逮捕したとのこと。大変なセキュリティチェックが行われ始めた。NYのツインビルに航空機が体当たりし倒壊したことなどを思い出した。

某国(どこか思い出せない)、みすぼらしい地方空港だったと思う、小生はきちんとスーツを着・ネクタイ姿・いわゆる“お偉いさん”の格好である。

おもむろにカウンターに行く、小生がたどたどしい英語で切符をくれと言うと、全職員がいなくなってしまった。英語の話せる人を呼びに行ったのである。待っている間、近くに居た“おこじきさん”に幾らかの“お恵み”をしたように記憶している。

乗ったのは、ツギハギだらけのポンコツプロペラ機である。普通なら、博物館でしかお目にかかれない。

ようやく機上の、人になった、席は中ほど翼の上付近、キャビン後方を見渡して、びっくり仰天。

大きな額に入った絵を抱えた男、生きたニワトリを十数羽ひもで縛ってぶら下げている男、インディオ風の女性が赤ちゃんにおっぱいを飲ませている、子豚数匹を連れた男、人相それぞれ風体さまざま、混沌の極みであった。

ごちゃ混ぜ乗客である。美人スチュワーデスはいない、髯もじゃの汚らしい格好の“おっさん”が、それらしいサービスをしてくれた。

ところが、驚いた、後ろの席から、あれこれ差し入れが来る、変な臭いのするとても美味しいとはいえない“みょうちきりん”な食べ物だったように記憶しているが、有難く頂戴した。

前方には、精悍な面構えのお兄さんがいた、ラフなギャング風の格好、黒のアタッシュケースが手錠で手首にぶら下がっていた、とても怖そうなので一切話をしなかった。

また、白い背広の紳士・淑女然とした奥さんのカップル、お金持ちらしい数組の家族などがいたが、まったく知らぬ顔の“はんべい”であった、とてもお高くとまっていた。

周りの庶民幾人かと、ジェスチャーゲームよろしく国際交流を続けること数時間、無事到着。

鈍行列車に揺られるような、のどかな旅行を満喫できた。

セキュリティーチェックなどどこにも無かった。こんな世界が来るといいのだが・・・、とても望めそうに無い。


メモリー(記憶)

2006年08月20日 02時07分26秒 | Weblog

パソコンは、、壊れない限り、また、消さない限り、メモリーに情報を蓄えている。

何でもかんでも記憶し溜め込んでしまう、忘れることが無いのである。

そしてある日、“メモリーオバーです”と、メモリーパンクを報告してくる。決して忘れない記憶装置を持つことの弊害の一つである。

人間の脳は、必要な情報を記憶し、不都合な情報を削除していると聞いた。メモリーオーバー病にならぬよう、自己保全の重要な手段を有しているのである。

パソコンのように、100%記憶する仕組みだったら、おそらく、気が変になっていることだろう、やれやれとは思う。

楽しかったこと・嬉しかったことのみ記憶していられれば、人生この上もなく楽しいものであろうが、それでは、学習効果が生じない、仕方が無いので、嫌なこと・きらいなことも記憶する仕組みのようである。

昔の記憶は、比較的残ってはいるが、最近の記憶ほどおかしくなってきている。人名、はたまた、大切な約束・心に残る言葉など、誠にあやふやとなってきた。

メモが離せない。自己防衛上、「メモ魔」に変身している。

「メモを見るのを忘れるな!」 と“かげの声”がいう、それでも、時として、見忘れてしまう。


自分探し

2006年08月19日 04時20分29秒 | Weblog

インターネットで、自分と「同姓同名」のサイトを検索すると面白いと教わった。

さて如何なるものかと、試してみた。

残念なことに、見たくもないものが、数件見つかったのみ。

同姓同名の有名人が公開しているサイトは、見当たらなかった。完全一致で、有名な人は、一人もいないのである。

負け惜しみで言おう。もし同姓同名の有名人が居たとして、それがどんな意味を持つのだろうか、ただ同じ「識別記号」を持つ人が居たというだけのことに過ぎないのではないか。

もし、自分がその有名人と同じ人に成れるのなら、大変な意味を持つのであろうが、“ただ居た”というだけでは、どうしようもない。

残念ながら、打ち止めにした。 自分探しの別な方法を考えなくては!

(もし、同姓同名の超有名人が居たとしたら、得意げに「自分探しはすばらしい」とでもタラタラと書き込んでいることだろう。)


ショートステェイ

2006年08月18日 03時54分55秒 | Weblog

夏休みである、色々な休み方がある。 

旅行の話が出た。 宿泊旅行にどうしてもいけないという。なぜかと聞けば、年寄りが一人になるので、家を空けられないという。

周りを見回すと、一人となった父・母などを抱えた方が結構おられる。いくら元気だからといって、一人ほっておいて、家を空けることなど心配で出来ない。

そこで、多くの方は、ショートステイなどを利用して、旅行などにお出かけのようである。 ところが、ショートステェイを、本人が頑として拒否する、というご家族も結構あるように聞く。

本人が、なまじ“カクシャク”としていると、“あんな所、私の行くところではない”と拒否するのだそうである。(一度行けば、むしろ二度目以降、喜んで出掛けるようになるとも聞く・・・「食わず嫌い」が多いのであろう)

食わず嫌いは、昔からそうである、以前は「引篭もり症候群」と子供達が心配し、今日では「出ずっぱり症候群」と揶揄される身となった自分には、誠に耳の痛い話である。

今は、周りの迷惑顧みず、あちこちに顔を出し・ブログに出鱈目を書き、特に若い女性達に「あの爺さんが・・・」と疎まれているのである。

それでもいいのである、「日本の工業を世界一に導き、K国やC国の製鉄業を世界に冠たる産業に育てた功績の“極”一部とは言え担った身である。

誇り高き世代である。」 胸を張って、堂々と顔を出せばよいと割り切っている。さー、今日も行こう、“厚”顔の**爺さんよ!


先輩

2006年08月17日 01時59分26秒 | Weblog

ようやく先輩のお宅を訪ねた。

9ヶ月ぶりであった。昨年秋あることから難しい専門書を3冊お借りした。難しくて読みきれなかった。

読みきれないうちは、どうも格好が悪くてお宅を伺えなかった。ついに9ヶ月が過ぎ、GIVE-UP、本の返却に出向いた。

先輩は、小生より一回りほど年上である。本好き蔵書多数、数百冊の仏教書を購入し、図書目録を整備し、いつでも貸し出すと言われてるが、まだ恐れをなして一冊もお借りしていない。

仏教書の次は、CD製作であった。市販CDの音は硬いので、レコードからCDを自作、好みに合った音質のCDを製作していた。(最大の目的は、貴重なレコードの温存である)

パソコンを使用せず、専用の「AD変換器」と「CDへの書き込み機」を購入し、延べ400枚を力任せに製作していた。緻密な技術を必要とする膨大な作業であった。

現在は、鍼灸に興味を持ち、懸命に勉強中であった。

恐るべしである、数千在るという“つぼ”に関する専門書三冊を比較検討して、筋肉痛にテーマに絞り「百のつぼ」を抽出、自分の体・求められれば知人友人などの体を実験台に実証実験を行っている。

(針は、通常の鍼灸師が使用する資格が必要な針ではない。特殊な粘着布に極小さな金属片を貼り付けた無資格者が使用可能なものである。 

また、内臓疾患などは責任が取れないとのことで、筋肉痛に限定して研究しているとのことであった。・・・深い配慮がなされていた。)

半月板損傷の小生には効果は期待できそうに無いが、一応試してみようと、ひざに特殊な針を施術いただいた。

パソコンの世代ではない、ワープロ専用機とコピー機を駆使して、資料整理・分類など緻密な作業を続けている。

少年のような好奇心と青年のような実行力に衰えは無い、到底、中途半端な小生などの及ぶところにあらずである。

やっと本が返却できた、これからも時々顔が出せる。 やれやれである。


順番

2006年08月16日 02時21分12秒 | Weblog

句会の席で、お盆にちなんだ話題となった。

メンバーのうち、順番どおりならば、小生はもとより、先生も、Aさん・Bさん・・・などであろうか、次に、お迎えが来る人たちである。 

この順番は、狂わせてはいけない大切な順番である。 割り込みなど決してあってはならないのである。

色々な、クラブや教室に顔を出しているが、ぐるりと見回すと、順番上位の人たちが多いようである。これをもって、高齢化社会というのであろう。

土曜塾は、順番を数えることすら困難なお若い層が多い。

先日、「名画カサブランカを、ご覧になったことがありや?」と、並居る美人たちに質問してみた。

驚いたことに、誰一人視ていない! それほど、世代は隔たってるのである。

あのバーグマンを前にした名セリフ、“昨日のことは忘れた、明日のことは分からない”などは、まったく通用しない。

愕然とした、「自分の古さに」である。

明日のことは分からないが、せめて「昨日のことを忘れずに」、新しい話題を懸命に学ばなくては!


席を替わってもらう

2006年08月15日 04時59分37秒 | Weblog

8月ビデオクラブ月例会のこと、久しぶりにHさんと会った。彼は、現役の機械設計会社社長さん、大変忙しい、故に、クラブにもほとんど出席出来ない。

 「隣の席においで」と言うが、そのまま着座すると、Hさんは小生の右隣りになる。中耳炎で鼓膜を切除した小生の右耳は聴力が無い、会話は左の耳でしか出来ない。

したがって、常に相手を左側に置くようにしなくてはならない。 訳を話したら、快く席を替わってくれた。(この種のことを、他の席でもお願いしている)

久しぶりに話が弾んだ。クラブのメンバーには、耳障りな私語であったように思う。申し訳ない。

 10歳から右難聴と付き合ってきたが、これに加え、左も長年の試運転等による大音響下で過ごしたことが原因であろう、年相応に聴力低下が起きている。

特に、音楽の高音部が昔のように聞き取れない。仕方がないが、困ったことである。いずれ、補聴器のお世話になるときが来るように思っている。(“左”専用の器具でよいが)

両親とも老眼は、軽微な方である、特に、父は七十七歳で亡くなるまで、近眼でもなければ老眼でもなかった。

使い過ぎれば衰えるの喩えであろうか、長年多量の書類・図面に接した関係で、随分老眼も進んだ。

反面、近視はかなり軽度になり、近眼鏡なしでも、ある程度見えるようになった。

しかし、小さい文字は、非常に見難くなってきた、むしろ見えなくなったと言った方がいい。

現在、ノートパソコンの表示を、“大きな文字”表示に設定している。このため、小生のパソコン画面を覗いた人は、あまりの文字の大きさにギョットとするらしい、・・・小生には誠に具合がいいのだか・・・。

「字を大きくして!」とブログに書き込みがあった、自分の画面表示が大きいので見落としていたことである。

直ちに、フォントを大きくする対応策を採ってみたが、ご満足がいったであろうか?

もし、これでもご不満の方がおられたら、方法は、二つあるように思っている。

その1送り手側;このブログの文字のフォントをさらにUPすること。(あまり大きくすると、軽度の老眼の人が、見にくくなりそうに思うので、しばらく、少し大きくしたフォントで続けます、必要ならまだまだ大きく出来ます)

その2受け手側;ご承知かも分からないが、“ご自身のパソコンの設定”を変更することです。    

その方法は、「 インターネットの画面 → 表示 → 文字サイズ → (最大/大/中/小)の内より、いずれかをクリックして、気に入ったサイズとする。」

この方法は、小生のブログにのみならず、「あらゆるインターネットの画面」が、一律に設定したサイズで視ることができると言う利点があります。  

また、大き過ぎれば、同じ手順で、必要の都度、適当な文字サイズを選ばれればよい。 

必要なら、こちらをお試し頂くのが便利なように思います。

何かお困りの点がございましたら、なんでもどうぞ、もし小生宛の連絡先をご承知の場合には、メール・電話でもかまいません。 


水道工事

2006年08月14日 05時57分07秒 | Weblog

(字を大きくとのご要望がありました。このサイズいかがでしょうか? 本日は、「水道工事」と「時間給水」の二つのお題で書いています。もし、見えない場合には、日付の14をクリックしてください。)

翌朝、棟梁と話したら、市の水道課の管轄だと言う。

直ちに水道課にtel、日曜日のこととて当然留守電対応、当番の業者の番号を通知された。

業者到着、修理工事着手11時、漏水箇所調査開始、穴を掘り、床下にもぐり、この暑いのに大変なことであった。

さすが、プロ二名で、段取りよく作業した。 旧台所の流しに接続されていた配管が腐食して穴が開いていた。(現在は、使用していない配管)

水道元管の分岐部分に止栓をして修理は完了、後は、掘り返した部分の埋戻し・モルタル施工。 午後3時半工事終了。

水の大切さ・有難さを教えられた。

立会いのため待ち時間は十分にあった。ブログの原稿を7本書き終え、都合手持ち原稿26本となった、これで9月中までの投稿は、続けられる見込みが立った。

せめてこれくらいの、いいことでもなくては、この暑いのにかなわん。


時間給水

2006年08月14日 05時44分18秒 | Weblog

朝、外に出て煙草を吸い始めた。 おや、妙なところから水が・・・、基礎とその上のモルタル壁の境目から、少しずつ水が漏れているではないか。

我が家は、築35年を経過し、相当老朽化が進んでいる、増築・修理工事も何度か行っている大古品である。

あいにくと、お盆休みである、出入りの棟梁の家に電話するが留守電対応。

数日前、古いデスクトップパソコンが立ち上がらなくなった、M大先生のアドバイスでリカバリーが効を奏し、Meでは動くようになった、データのバックアップを急ぐ必要がある(XPの方はバックアップ後、修復を試みる予定)。

また、本日は、ビデオクラブの月例会の日である。さらに、S爺さんが入院したとのこと、見舞いにも行かなくては・・・。 次々と問題が重なった、頭がパニックとなる。

クラブは午前中で退席、S爺さんのお見舞いを済ませ、漏水の原因究明を始める。

ワカラン、これではと、日曜日の“たまご”の欠席通知をメールする。

 何度も棟梁のところに電話、まだ連絡とれず。

夕食・風呂を済ませ、さて寝ようとした。

娘が、おかしい音が床下からすると言う。なんとシャーという水音、明らかに上水道の漏洩。

直ちに水道の元栓締め切り、水音消えた。

えらいことになった、必要時のみ元栓を開ける時間給水を実施することにした。

水の有難みを、思い知らされた。


一?朗

2006年08月13日 03時34分30秒 | Weblog
最近ワープロを使用する機会が増えた、ブログのせいである。

とにかく、現在使用している、[W・・D]は、劣弱・非力・だめ・・・、
これ以上悪口雑言の吐きようがない、毎度毎度書くたびに、「腹に据えかねている」(これは正しい慣用句)。

かつて、愛用した「一?朗」は、Ver.6でも非常に賢かった。 今は、Ver.も二桁になったようで、一段と「おりこうさん」になったことと想像している。

乗りかえるには、それなりの高額投資が必要である。

「やっぱり、お金が欲しい!」

「貧しくとも、清く・正しく・美しく」を信条にと思っているのだが、
真実「自分もただの俗人なのか」と、がっくり肩を落とすのである。

こんな場合、どんな慣用句になるのだろー?



ひねる

2006年08月12日 01時54分40秒 | Weblog
過去数百年の歴史を持つ、俳句では、たいていのことは詠みつくされている。
普通に詠むと、ありきたりの句が出来てしまい、面白くもなんとも無い。

故に、「ありきたりでない句」が必要不可欠となる、これが難しい。

「アジサイに雨の露など」誰が見ても印象的であり美しさも相当なものである。
感動する、なんとか詠もうとする・・・が、・・・・、
がしかし、これをそのまま詠もうとしたら、「平凡・ありきたり・当たり前・すでにもっと力のある俳人が詠みきっている・二番煎じである・・・・・・」、 先生の悪口雑言が聞こえてくる。

俳句の先生は、“ひねれ・ひねれ!”と喧しい(かまびすしい)声がする。

したがって、ものを視るとき、正面から、ウラから、下から、上から、・・・・「常人」では思いつかないような見方をするように、心がけなくてはならない。

おかげで、もともと生まれつきの規格外人だったが、これに“わ”を掛けて偏屈人となるように日々努力している。

もうしばらくすると、とんでもない「ひねくれ人」が出来上がることだろう。

皆さん俳句を読む人と付き合うときには、十分ご注意を。
「ひねくれ人」は、普通ではないのです、付き合うのが難しい人々です。

「付き合う気が無いから、どうでもよい!」
と言われた。  




不熟

2006年08月11日 04時04分13秒 | Weblog
W**Dの日本語変換が気に入らない、パソコンの調子がおかしい、などのとき、「この不熟ものめ」と、ついつい言ってしまう自分に気がついた。

十数年前見た、某国営放送放映「不熟につき・・・藤堂家城代家老の日誌より」サラリーマン武士の世渡り、陰謀、友情・・・のドラマを見て以来、なんとなく、意味不明のまま使い続けている。

「不熟」とは、珍しい言葉である、あまり日常的な言葉ではない、辞書によれば。
(1)作物・果物などの出来が悪く、熟していないこと。
(2)折り合いの悪いこと。不和。
・・・不和とは何をさすか?・・・ こんな解説があった。

二羽 和彦(ニワ カズヒコ)高岡法科大学法学部教授が、
三行半(みくだりはん)=離婚 についての項で、次のように書いている。
“「不熟」とは男女間がうまくいかないという場合でしょう。これに対して、「家庭不和」は他の家族とうまくいかない場合をさすのだろうと思います。 ”

・・・三行半をつきつける相手はいない、いまさら必要のないことである・・・
・ この項は、無視。

これに対し、「未熟」とは、次のようである。
(1)果物などの十分に熟していないこと。
(2)学問・技芸・人格などが、修練不足で十分な域に達していないこと。

東陽出版“「日本語の語源・語義」解読の“不可思議な”世界へようこそ!“のサイトでは、次のようである。
漢語「未熟」には,「これから熟する」という期待がこめられているが,「不熟→ふでき」には,「これからも熟するみこみはない」という語感がこめられている。

これは、由々しきことである。
いつまでも、熟してくれないと、困ってしまう。

これからは、W**Dや、パソコンに悪態をつくときには、「未熟者め!」と叱ることにしよう。