12345・・・無限大  一粒の砂

「一粒の砂」の、たわごと。
無責任結構・ 中途半端・ちゃらんぽらん・ 出たとこ勝負、で参りましょう!

出直し・再出発

2007年12月31日 07時22分13秒 | Weblog

師走といえば、歳末大売出しが各地の商店街で開かれていたが、現在ではあまりお目にかかることもない。
以前は、X-Masなどより大きなイベントの時代もあったのだが、逆転された感が強い。

このときは、商店街全体が活気づき、続いてくるお正月とともに子供心が浮き立ったのであった。

 ある高名な女性日本画家(89歳)が、ラジオ深夜便「心の時代」で、絵を描く感動が薄れる度(約10年毎)に転居したと語った。

感性や心の清算と出直しのために、「転居」を手段とされた方である。

小生にとって、いや大半の日本人にとっては、「出直し・再出発」こそが、新年の祝いである。
しかし、皆年とともに、その感動が低くなってきているのも事実である。

それではいけないと、「出直し・再出発」そのときの、気分を高揚し鼓舞するべく、「大阪ラプソディー」を皆さんに送ります。

 確かに元気の出る明るい歌である、お忙しいと思うのでこれを聞きながら、軽快にお正月準備に励むのも一興といえましょう。
YouTube より、海原千里・万里の歌でどうぞ。

 http://jp.youtube.com/watch?v=Zmx9QY0BQds&feature=related


年忘れ(続編)

2007年12月30日 05時25分55秒 | Weblog

 富安風生は,ホトトギス派を代表する東三河出身の俳人である。

師は高浜虚子。風生は雅号であり,本名は謙次。
東大卒業後は,官僚としての恵まれた道を歩むかたわら,俳句の道を志した。

句誌「ホトトギス」「若葉」の発刊に携わり,1933年(昭和8)には第一句集「草の花」を出版するなど,大正~昭和期に活躍した。

 彼の句風は,同志の水原秋桜子(みずはらしゅうおうし)の言によれば,「軽快で分かりやすく,さらりとして誰にでも親しみやすい」ものである。

「あるがまま」の人生観を持った高浜虚子に師事、その生き方を手本にした風生には「花を眺めるのと同じに『老』というものを眺めている」と自らが言ったように 老齢を詠んだ作品が数多くある。

 辞世の句「九十五齢とは後生極楽春の風」は、昭和54年の春先に長命で逝った風生の、まさにその集大成であったのかも知れない。

 1.老いはいや 死ぬこともいや 年忘れ   (50代前半の句)

 2.生くること やうやく楽し 老の春     (79歳)

3.しみじみと 年の港と いひなせる     (92歳)   

小生は丁度1と2の句の、年齢的にも心境的にも中間地点である。

せめて、2の境地には、到達したいものである。

参考資料:

<年譜>
1885年 (明治18) 八名郡金沢村(現豊川市金沢町)で生まれる
1918年 (大正 7) 福岡郵便局長となる
1919年 (大正 8) 福岡来遊の高浜虚子と初めて出会う

1933年 (昭和 8) 第1句集「草の花」刊
1937年 (昭和12) 官界を退き,俳句の道に専念する
1971年 (昭和46) 句集「米寿前」刊。芸術院賞を受ける
1971年 (昭和54) 94歳で没


ハイビジョン

2007年12月29日 08時18分42秒 | Weblog

分かったようで分かっていない言葉である。
Wikipediaで調べてみた。

“ハイビジョン(Hi-Vision)とは、1080i(走査線1080本・インターレース方式)または720p(走査線720本・プログレッシブ方式)以上の高解像度の映像を扱う放送・映像を指す用語。

テレビの地上デジタル放送・衛星放送の多くや、次世代DVD(BD、HD DVD)の映像はハイビジョンである。

 参考までに、日本での現行の地上波アナログテレビ放送の有効走査線数(画面に表示される部分)は概ね約450i、市販DVDの映像の解像度は480pであり、これらはハイビジョンではない。“

どうもむつかし過ぎて理解できない。
さらに幾つかの関連項目を見たところ、小生に理解できそうな記述が出てきた。 
                                    

             走査線           画素数 
               (水平x垂直) 画面の比率   (画素)
1.標準画質ノーマル型:  640x480      (4:3)     30.7万   従来型TV

2.高画質ノーマル型 :   960x720      (4:3)       69.1万
3.標準画質ワイド型 :   850x480      (16:9)      40.8万

4.ハイビジョン画質 :     1280x720      (16:9)      92.2万   ハイビジョンTV
5.フルハイビジョン画質: 1920x1080           (16:9)       207.3万  フルハイビジョンTV

小生が所有しているビデオカメラでは、上記のTV側の表示画素数より少し多く作られている。

古いビデオカメラでは静止画は、37万画素であった、
現有のハイビジョン用のカメラは、静止画250万画素である。
(写真サイズ3:2のときには、400万画素となる)

数年後には、デジタル放送の時代となり、当然ハイビジョンTVで映像を楽しむ時代になる。

小生は、各種の映像(ビデオや写真)を、将来はすべてハイビジョンTVで見ようと思っている。
(写真に焼き付けたアルバムにするつもりはないのである)

上記の5.のフルハイビジョン画質で見るとすると、200万画素程度の映像で十分なように思えるのである。

展覧会用の大判写真なら、1000万画素も必要であろうが、多少のトリミングを考えても家庭用写真なら数百万画素でも十分なように思えるのだが・・・。

 それなのに、家庭用のデジカメですら、多少のトリミングのための余裕としても、 1000万画素を超えるものまで販売されている。

必要十分な性能とはいったいなんであろうか、超高画素には高価格というそれなりの短所が付きまとうのである、それでも画素競争が進んでいるように思えてならない。

賢い消費者は、何を選択すればよいのであろうか?

まだまだ分からないことが多いのである。

 

参考:

専門的で多少頭が痛くなりそうであるが、詳しく書いているのが、次のHPである。
ご興味のある向きはどうぞ。

http://www16.ocn.ne.jp/~aru777/theme_13.html

 


年忘れ

2007年12月28日 06時15分19秒 | Weblog

一湾の 眺めを肴(さかな) 年忘れ   佐藤 鬼房

忘年の酒 とどのつまりは ひとりかな  清水 基吉

 隅田川 見て刻(とき)待てり 年忘れ  水原 秋櫻子

という句がある。

「年忘れ」とは、辞書によると、「年の暮れに、その年にあった苦労を忘れること。また、そのために催す宴。忘年会。」とある。

歳時記によると、「一年の労苦を忘れ、無病息災を祝って小宴を開くこと」とある。

「無病息災を祝う会」であれば、酒盛り・宴会開催の大義名分となる。
「苦労をすっきりと流し去ろう」と言う気持ちも、良く判る。酒で発散しようと言うことには全く異論は無いが、

さそわれて 浄瑠璃聞くも 年忘れ   水原 秋櫻子

の句のごとく、酒の力を借りずに年忘れをすることも出来そうである。

 こんな粋な年忘れを企画できる人にめぐり合いたいものである。

酒に弱い小生にとっては、酒の席はなんとなく億劫であるが、出席するたび、親睦が進むことに、いつも驚くのである。

 毎度の事ながら、「行きは億劫、帰りは恵比須顔」である。

追記:
先日、同窓会ブログで、友人がお互いの住んでいる町を紹介しようと言う提案をした。

忙しさにかまけて、延び延びとなっていたが、一昨日は晴れて暖かかったので、自分のよく行く市内の数箇所を撮影し、その一部を投稿した。

 こんな年忘れも一興であろうと思っている。
年内あまり日数が無いので、残りは年明け行事として、引き続き撮影しようと思っている。


フォト五七五

2007年12月27日 05時34分34秒 | Weblog

NHKの趣味講座のホームページから引用した。

“番組「NHK俳句」や「カシャッと一句!フォト五七五」でご紹介する作品も、「フォト575倶楽部」への投稿作品の中から選ばれることになります。

 「フォト575倶楽部」は、フォト五七五愛好者のコミュニティーです。作品の投稿だけでなく、ご自身の作品を発表出来る「ギャラリー」も併設しております。ご投稿をお待ちしております。“

    投稿作品の一例 

         

   秋空に 聳え立つかな 古寺の塔   かつみ

 以前は、「写真俳句」などとも言っていたようであるが、
最近は、「フォト五七五」に統一された感がある。

優秀作品は、次のサイトでご覧ください
http://www.nhk.or.jp/tankahaiku/photo_575/index2.html

作品集(ギャラリー)はこちらから
http://www.photo575.com/gallery/200711/index.html

NHKの持つ強大な広報宣伝力をもってすると、静かなブームを作ることが出来そうである。

 あまり俳句のごとく格式ばらず、気楽に楽しむことを前面に出し、広く写真と俳句を楽しんでもらおうとの趣旨と思うが、だんだん成長して、正式の写真愛好家や俳句愛好家の誕生をも目論んでいるのであろう。

作品の中には季語の無いもある、それゆえに「俳句」と言う言葉を使わない「五七五」と言う呼び方に統一したのかもしれない。

 若い人たちには、とりわけ取り付き易いように思う。

愛好家が沢山になることを祈っている。


歩留り

2007年12月26日 07時03分36秒 | Weblog

 太極拳教室の忘年会でのことをまとめてみた。

 50名弱の総員のうち、約半数が出席した、大型忘年会と言ってよいであろう。
出席者は、10年前後のベテランが大半で、小生のような駆け出しは、わずか数名にであった。

1.各人の始めた動機。

ある程度予想していたことであるが、大半の方が「健康維持と体の不調克服対策」であった。

ある程度はっきりとした目的を持っている人の方が長続きするのであろう。

例外的といってもよいのが「スポーツ万能なのでレパートリーを増やそうと始めた」という人もいた、これには驚いた。

 「ゆったりとした動きなので、自分でもできそうだ」と思ったと言う人安易派も若干いたが、少数派であった。

 2. 歩留り

一人しかいない男性の先生と相席になった。
ご夫婦で熱心に教室に通っておられると言う、しごく珍しいご夫婦である。

新人の歩留りは5人に一人という、歩留りの悪さを問題視されていた。

簡単で楽だと思って入るが、見当違いであることに気づきやめていくようである。

それでも、小生の考え方は、自分に合うことを探して、いろいろなものに参加し、不都合ならやめれば良いと思っている。
無理して続ける必要もないし、無理する方が好ましいことではないと持っている。

自分に合うこと、楽しめることを手広く探すことの方が、家に閉じこもって何もしないよりはるかに有意義であろうと思っている。

いかなることも、凡人にとっては10年くらいの辛抱が必要であろう。
ぼちぼちマイペースで続けていると、それなりに深まり楽しみが大きくなってくるのである。

 自分のことを振り返ってみて、まったく進歩がなかったように思っていたが、今年の数名の新人達と自分を比べてみると、歴然たる差が認められたのである。

 1年の長とはいえ、大きな差があることに気がついた。

 彼らの内の残留者達は、来年になると同じ感情を抱くことであろう。
2年目以降の脱落者は、激減するようである。

 

追記:
1月2日早朝、市内の「日の出海岸」にて、初稽古がある。

天候に恵まれることを祈っている。(風邪などに注意しなくては)

 


スケッチ

2007年12月25日 07時10分59秒 | Weblog

先日、写真やビデオを写していると、ファインダーや液晶画面でしか肝心の対象を見ていないと書いたが、も少し踏み込んでみた。

来春の展覧会用に水墨画の画題を、二つ選定した。
ひとつは「三徳山投入堂」、他の一つは、「アイガーの北壁」を仮に選定した。

    

「仮に選定」ということの意味は、絶対変更しないものではないということである。

「三徳山投入堂」を先日から3枚ばかり試作してみたが、小生の技量には手に余る感が強い。「アイガーの北壁」の方は、さらに難しく思えた。 しばらくは、「投入堂」で作品の完成を試みることにした。

         

 昨秋の三徳山登山では、通常往復1.5時間のコースを3時間強かけて種々撮影を行ってきたものであるが、いざ描こうと思うと写真だけではとても詳細が把握できないことに気がついた。

 先生にお聞きすると、写真を見て描いた絵は、直ぐ判りますとおっしゃる。専門家にとっては、実物描写かそうでないか、いとも簡単に判るようである。

対策は、現地でスケッチをする以外にないとのこと。

今後は、写真・ビデオ・スケッチと三段構えで記録をとることにした。

現地での時間確保をよく考えた計画をする必要がある。

こうなると、同行者を募って出かけるわけには行きそうにない。
相変わらず単独行動をすることになりそうである。


偏見

2007年12月24日 07時55分02秒 | Weblog

 人種差別とかさまざまな偏見が、沢山在る。
偏見はいけないと教わった。

しかし、小生がどうしても止められない偏見が在る。
そのひとつは、ナンバープレート偏見である。

その1;「0001」、「7777」という類の、これ見よがしの番号の車が前後にになると、

(読者の中に、もしこれに類似する番号の方がおられたら、お許しください)
意図的に、車間距離をとったり、追い越されるようにしているのである。

なぜか、不安さをもたらす強迫観念に捕われるのである。

これは小生だけの事なのだろうか。

その2:倉敷ナンバーが始まったので、さらにナンバーについて、ひとくさり。

 当県が全国二番目に、「自分好みの番号」を、多く採用していると聞いた。

“覚えやすさ”を目的としてのことであろが、自動車のナンバーには、ゾロ目・一気通貫・左右対称・・・など、目立つ数字の組み合わせのものが増えたように感じる。

あの人が来ているな、それでは探し出して、おしゃべりでもするかなど、知人・友人などの番号を覚えていると便利なこともある。

反面、あまり知られたくないところに、自分が来ているのを知られるような、後ろめたさもある。

どうも、識別記号は厄介である。
判ることも必要だが、時として、隠したいときもある。

識別できることが本来の機能なのだが、

“誰にでも”それで識別されるとなると、困ることもある。


電子レンジ

2007年12月23日 07時17分18秒 | Weblog

先日、3年半くらい使用した電子レンジが故障した。

早速修理を依頼、当日は現象の把握のみ、部品入荷とともに再度訪問すると言いおいて帰っていった。

数日後部品を携えて修理に来た、そして、15分ほどで、「マグネトロンとIC基盤」交換終了、完治した。
5年間補償とやらで、無料修理、やれやれ。

思い出してみると、台所用電気品の幾つかは、数年経過後故障し、何らかの修理をしている。 具体的には,

電気ポット => 電子部品が入っている蓋の部分を交換、
炊飯器   => これも同じく電子部品が入っている蓋の部分を交換、

 そして今度の電子レンジ、と次々に壊れ、そしていずれも5年間補償で修理している。

一昔前は、10年以上全く故障知らずではなかったかと思うので、隔世の感がある。

 台所の電気製品故障は、生活上のライフラインであり、非常に困るのである。

電気ポットと炊飯器のときは、代品を貸してくれたから、さしたる事はなかったが、今回の電子レンジでは、非常な不便を経験した。

たいていの加熱は、ガスコンロで面倒ながら出来たが、どうしても出来ないのは、冷凍食品の解凍・過熱であった。

 よく考えてみると、大きな災害や送電線の故障などで、電気・水道・ガスなどが使用不能になったとき、全く生活不可能になる。

水は勿論のこと、火を焚くのにも、まず薪からして手に入らない、炭に至っては絶望的である。

さらに、七輪やかまどもない、どうして、煮炊きをしてよいものやら検討もつかないのである。

(たとえ、小型の可搬式ガスコンロがあるとしても、数本程度のガスボンベでは、一週間も煮炊きは出来そうにない)

 いざというときのことを、もう少し真剣に考えてみる必要がありそうだ。

緊急おまけ;

本日12月23日の新聞TV欄を見ての、緊急追加情報。

かねがね、大変面白いのでご紹介しようと思いながら、
延び延びになっていた番組である。

教育TV、午後3時より1時間40分間「美の壷アンコール」のことである。

「谷啓と行く春の奈良」と「秋の京都にみやびを見る・・・」の2本のようである。

小生は、必見の番組だと思う、ご案内まで。

引き続いて、「かじり虫」も放映されるようである。

 

 


冬の星

2007年12月22日 08時01分37秒 | Weblog

1月の兼題(句会で示されるお題のこと)は、「冬の星」である。
近年、全く星空を見上げることもなくなった。

仕方がないので、図書館で星座の本(「星の神話・伝説」野尻抱影著・講談社発行)を借りた。

 1月上旬頃では、スバルは、北東の空から昇り、午後9時ころ天頂近くを通って西の空へ沈むとのこと。

プレヤデス星団(六つの星の集まり)をスバルと呼んでいる。
プレヤデスとは、神話の七姉妹の名前である。

日本ではムツラボシ(六つの連なった星)といい、さらに古い名前が「スバル」なのである。
スバルとは、上代人の「糸でつないだ玉飾り」のことである。

この星団は、目の良い人には、七つから十一の星に見えるが、世界最大の望遠鏡では、三千以上の星が見えるとのこと。

 スバルは、北斗七星や三ツ星(オリオン)とともに目につき易い星なので、昔から世界の諸民族は、この星で農作の季節を計っていたという。
日本では、今でもスバルが夜中に真南に高くなるのを見て、蕎麦を蒔くという地方があるそうです。

 寒い中、天を見上げて、いかなる俳句を詠めばいいのか、暫く迷うことになるのである。
とても首にこたえそうである。

参考;ウィキペディア(Wikipedia)より

昴(すばる)は、星座・おうし座に含まれる散開星団プレアデス星団の和名。
「すまる」ともいう。

漢語では「ぼう」と読み、天体・プレアデス星団を示す場合に「昴星」(ぼうせい、すばるぼし)と表記することもある。

中国では星座の一つであり、これを中心とした領域は天の赤道帯を二十八分に区分(二十八宿)してできた星宿名のひとつとなっている。
星宿名であることを示すため昴宿と表記する場合もある。

(筆者注記; 二十八宿より星宿から該当分を抽出してみた。

区分=西方白虎
|名称=昴
|和名=すばるぼし
| 距星 (きょせい=目印となる星)=おうし座・プレアデス星団(昴)
|吉凶= 神仏詣で・祝い事・開店に吉、とあった。)

「すばる」という和語は「統一されている」「ひきいられている」という意味で、星団をひとくくりとして名称を与えたところからこの名がある。

 『万葉集』で「須売流玉(すまるのたま)
『日本紀竟宴和歌』で「儒波窶玉(すばるのたま)」などと、
玉飾を糸でひとくくりとしたものを「すまる・すばる」と呼んだのと同様と考えられる。

「統べる」の他動詞の連体形である。

また、『昴』という題名の歌もある。

谷村新司、作詞・作曲・歌唱の有名な曲「昴」を
YouTube で楽しむのも良いのではないでしょうか。

ただし、歌手は、美空ひばりさんです。

http://jp.youtube.com/watch?v=KSddNGbBbew&feature=related

谷村新司さん御本人のもの。

 http://jp.youtube.com/watch?v=-A0_dhPbGoc

 


sheshe67

2007年12月21日 07時32分42秒 | Weblog

       

    (写真は、彼女のアテネを訪問したときの作品より)

この表題は、写真の人のニックネームである、「シェシェ67」とでも読むのであろうか?

Stage6で時々作品を見ているが、とてもムードのあるものに出くわした。

静止画だけで構成した5分6秒ほどの作品で、彼女がZurich(スイスのチューリッヒ)を訪問したときの記録である。

フランス語は全く判らないのであるが、画面からなんとなく雰囲気を感じて楽しんだ。

 http://www.stage6.com/user/sheshe67/video/1954415/La-ville

美人女性の場合には、本人が登場しても、絵になるから得である。

この種の“ゆったり”した作りも、一味あってよい、またまねをしてみようと思っている。

38歳黒髪のフランスの美人である(ひょっとするとスペイン系?)。


ためしに、二十数年ぶりの英文で短い感想文をメールしてみたら、直ちに返事が返ってきた。

頭の体操に、感想文をさまざまな作品を見るたびにボツボツ書いて送ろうと思っている。


お尻かじり虫

2007年12月19日 04時50分31秒 | Weblog

最近の大ヒットの曲である。

まずはどんな曲かご存知無い方のために、YouTubeのURLをご紹介しておきます。 2分30秒ほどの他愛もない曲である。

http://jp.youtube.com/watch?v=G3m8Qje1e8Q

再生回数は、76万回を超えている、驚異的な数である。
老若男女を問わずの大ヒット曲であり、孫たちに歌ってやると大うけ間違いない曲である。

本稿は、この歌について書くのではなく、
「かじるか・極めるか」について書こうと思っている。

人様は、小生が多数の教室に出入りしていることを見聞きして、
表面的には「頑張っていますね」とお世辞を言うが、

本心は「二兎を追うものは一途をも得ず、なんと馬鹿なことをしているのか」と、内心では秘かに馬鹿にしたり、嘲っているのであろう。

 しかし、これは大変な間違いである。この年になって、よほどの天才的な才能と集中力がない限り大成する(極める)ことは、ほとんど見込みのないことである。(言い切ってよいと思っている)

 師範とか先生とかいわれる方々は、数十年少なくとも十年以上の修行を積まれているのである。

「極める・一芸に秀でる」とはこのような長い道のりと大変な努力・修養が必要なのである。

我々の大多数は、平凡な才能とちゃらんぽらんな努力しかできないのである。
しかしこれで良いのである、かけっこやマラソンと同じなのである、マイペースでその人なりのゴール目指して、進めばよいのである。

一つの事に集中して、多くの方は途中で挫折し、全くの無一物になってしまっているのが現実のようである。

それよりも、あっちもこっちも「かじって」おき、
どれもこれも「ちゃらんぽらん=あまり頑張らずに」にやっておくと、
幾つかのものが終着駅まで続けられるように思えるのである。

教科書的・道徳的・型にはまった考え方
「二兎を追うものは一途をも得ず」は、若い人には有効でもシルバー世代には適用できない考え方だと思っている。

皆さん、10年先のご自身の年をお考え頂きたい。
このときまでも継続して楽しんでいることを幾つお持ちであろうか。

今からでも遅くない、多少の恥をかくのは辛抱して、
ちゃらんぽらんに楽しむことを幾つか持つようにと、

方針を見直すべきではないでしょうか?


手も足も出なかった

2007年12月18日 07時00分25秒 | Weblog

     

写真は、料理教室のものではない、あくまで水墨画教室のものである。

 今年は、例年のホテルでの昼食会に代えて、自作料理で忘年会を開催することになった。

教室の2階部分にある調理教室を拝借し、午前10時から調理が始まった。

  

2時間後には、写真のような見事な料理が完成し、その隣の講義室で宴会を行った。(ご飯と汁物は、撮影しなかった)

   日常の話題に花が咲き、今年一年を締めくくった。

料理を習っているとはいえ、僅3年ほどである、
多数のベテラン主婦や一人いる病院の調理師さんに伍して活躍することは、とても不可能であった。

会場設営その他雑用を担当する以外に、手も足も出なかった。

パックに詰めて持ち帰った沢山の料理は、
数日間各家庭の食費節減に多大の貢献をすることであろう。


フードドライブ

2007年12月17日 07時46分46秒 | Weblog

初めて知ったのは、毎日曜日の早朝楽しみに聴いているNHKの番組
「当世キーワード」である。

 HPの一部を抜粋しておきます。(詳しくはHPをご覧ください)

http://allabout.co.jp/family/volunteer/closeup/CU20071116A/index.htm

1.皆さんのお宅には、封を切らないまま保管され、たぶんこの先も食べる予定のない食品はありませんか? 
たとえばお歳暮やお中元の贈答品や、つい買いすぎて しまったものなど。

具体的には植物油や調味料、乾麺、海苔などの乾物、缶詰といった保存食です。
そういう食品があったら、もったいないからフードドライブ しちゃいましょう。

2.フードドライブとは、家庭であまった食料品を持ち寄り、食料の確保が困難な団体や個人を支援するための活動です。
アメリカで1960年代から始まりました。

フードドライブ(food drive)のdriveは、この場合は目的を達成するための運動やキャンペーンを指します。

たとえば、赤十字の募金運動は“a Red Cross drive”、選挙運動は“a drive for election”となります。

3.日 本では一部のNGOなどで行われていますが、初めての全国的な試みとして、女性のためのフィットネスクラブ、カーブスが社会貢献活動(CSR)の一環で フードドライブを実施しています。

全国に600カ所ある店舗で11月30日まで家庭からのあまった食料品を受け付け中です。
カーブスの会員ではない方から の提供も歓迎しています。

集まった食品は、全国各地の児童養護施設、高齢者介護施設、民間の女性専用シェルター、ホームレスの支援団体などに寄付されます。

年末年始に間に合うようにと、12月には各団体に届ける予定です。

4.飽 食の時代といわれ、廃棄される食品がある一方では、厳しい経済状態の生活を強いられている人が少なくありません。

ホームレス生活を余儀なくされている人、 パートナーのDVから民間の女性専用シェルターへ着の身着のままで逃げてきた人などは、明日の食事にも事欠くような状態です。

 そういった人たちのために何かできればと、女性専用で、特に主婦層が多く利用するフィットネスクラブという特長を生かして、会員と一緒にできるCSR活動として、初めての全国的な取り組みとなりました。

 この運動は、11月末までの運動でした。惜しいことをしました。
従いまして、今年は無理のようですが、来年こそはと思っています。


転用

2007年12月16日 08時15分42秒 | Weblog

 先日の句会での雑談。
電子辞書が手放せなくなったという人が、数名出てきた、小生も同様の感がある。

携帯電話は持ち運びに適しているし、インターネットによる検索が出来るので数段上の機能ではあるが、使用料はそれなりに必要である。

電子辞書は、電池の消耗費のみである、しかし、とてもインターネットほどの広範囲な情報は得られない。

電子辞書は、近年小さい字が見え難くなったのが第二の要因で、第一の要因は俳句の先生が薦めたからである。
それ故、本来俳句のために購入したものであるが、現在は、何でも判らない事、知りたいことがあるときに重宝している。

先日もバス旅行に持参した、旅先での名所旧跡について、あらましのことは出てくる、殆んど、肌身離さず持ち歩いているといっても過言ではない。

はじめは、何でこんなものが役に立つかと馬鹿にしていたのだが、かくも便利な機械かと改めて見直している。

転用スルとは、「本来の目的を他にかえて使用する」ことと辞書に書いてあった。

 たとえ転用でもよい、便利ならばそれでよいのではないかと割り切っている。

勿論、俳句にも、離せない道具となってしまっている。

追記: 幾つかの要素で、比較を試みてみた。

情報の信頼性と深さ;書籍(辞書・百科事典・専門書)>電子辞書>=インターネット
情報の広さと新しさ;インターネット>書籍(辞書・百科事典・専門書)>電子辞書

費用;書籍(辞書・百科事典・専門書)>インターネット=>電子辞書
可搬性(持ち運びやすさ);電子辞書>=インターネット>書籍(辞書・百科事典・専門書)

これまでの幾つかの要素は、一般的な情報を必要とする小生にとっては、それほど重大なことではない。

今の自分にとって必要かつ大切なことは、次の二つになっている。

 *読みやすさ(目に対する優しさ);電子辞書>=インターネット>書籍(辞書・百科事典・専門書)

*簡便さ;電子辞書>インターネット>書籍(辞書・百科事典・専門書)