( この写真は、東京のJR線目黒駅の写真である。ここは、高校時代の友人、中江君が住ん
でいた街であり、有名な「白金」や「迎賓館」の近くでもあります。そして、私が通った
K高校もこの駅からさほど遠くない所にありました。勿論、当時の面影はほとんどありま
せん・・・・。《 2007年度12月撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その19
漫画が上手くて、頭が良くて、金持ちで、女にもモテた中江君( 仮名、中江誠、
1971年当時17歳。父親は医師。壮麗な洋館に住む美男子 )でしたが、学校でも
目立つ存在でした。
700人の生徒の代表である生徒会長であると同時に、校則と教師にたて突く「 問
題児 」でもあったのです。その事が後に退学する大きな原因になります。
私はそれまで、よく彼に新宿の街や、漫画同人誌会などを教えてもらっていまし
た。印象に残るのは靖国通りのアングラ喫茶( ロックとクスリと人混と・・・ )。
ここには、中江君の友人たち( 怪しげな )がいっぱい集まっていました。
そして、新宿通りにあった漫画喫茶「 コボタン 」。ここでは多くの漫画家志望
者が出会い、初めて会った同士の若者が熱く漫画論を闘わせていたものです。
私が一度、コボタンの二階で場違い(?)にも翌日にせまった期末試験のために
教科書を開いていたら・・・
「 てめェ、何やってんだヨッ! 勉強なんかしやがってッ! 」
私にそう怒鳴った20歳前後の若者も中江君の友人。完全にクスリでいかれている
のですが、新宿には当時(1970年前後)、ヒッピー、フーテン、新左翼・・・血
の気の多い人たちがいっぱいいたのです。西口にも東口にもシンナーを吸う若者
と、シンナーを売る若者がウジャウジャ集まっていました。その同じ場所に、フ
ォークゲリラに全学連、そして機動隊ですから、もうメチャクチャです・・・!
とにかく、私の様な「 子供 」には刺激の強い街でした。
さて、中江君が学校を休むようになってきた頃・・・私はノン気に漫画一色( 自
慰も含めれば二色 )の高校生活を送っていました。
当時のベストセラーに「 HOW TO SEX 」(?)とかいう本がありました。この本
を持っていた友人のT君が、私にそれを貸してくれました・・・
「 参考になるよ 」
T君も私もセックスとはまったく無縁なのですが・・・何ンの「 参考 」になるの
やら・・・・・
『 始めにキスをしましょう。いきなり乳房をモンだりしてはいけません・・・ 』
ってな事が書いてあり・・・
「 なるほどォ・・・うむうむ・・・ 」
などと目を充血させて読んでいました・・・教室のスミで。
本を貸してくれたT君は今では( 36年後 )大学生と高校生になる二人の娘さんが
います。結婚して子供を二人作ったのですからこの本も役に立ったと言えましょう
・・・。
しかし・・・その娘さんに粗大ゴミあつかいされている現状を見る時・・・「 HO
W TO SEX 」に目を充血させていたあの頃が懐かしまれます・・・。
ちょっと脱線しましたが・・・話を中江君に戻します・・・。彼は私に、よく成田
へ行こうと誘いました。「 成田空港建設反対闘争 」に一緒に参加しょうというわけ
です・・・。私は『 何ンで成田なの? 』『 空港のどこがいけないの? 』・・・全
然、理解出来ずに参加もしませんでした。
当時は成田でやぐら( 砦! )を組んだ反対派と機動隊が壮絶な闘いを繰り返してい
ました。白兵戦の中で反対派に囲まれた機動隊員が3人、殺されたり・・・・ものす
ごい事になっていました・・・・・
さて、中江君が学校へ来なくなってしばらくしてから・・・・・彼のクラスの担任教
諭H先生が私を呼び出しました・・・
「 Y(私)、おまえ中江とは仲が良いんだろ? 」
「 はぁ・・・ 」
私は、自分が一番の親友・・・と、いうわけでもなかったのですが・・・・・
「 ちょっと様子を見て来てくれないか・・・? それから、学校へ出て来る
様に伝えて欲しいんだ・・・ 」
クラスも違う私が何ンでこんな事を・・・と、思いつつ・・・久しぶりに中江君に会
いたいとも思っていたので、帰宅途中で彼の家に立ち寄ったのです。
目黒駅から美しい並木道を歩いて行くと、立派な洋館が見えてきます・・・・・。私
は、直接中江君がいる別棟のドアをノックします・・・
「 Yか・・・。何んだい? 」
「 ・・・長く休んでるって聞いて・・・・・ 」
中江君は私を探る様に見つめている・・・
「 H( 先生 )に言われて来たんだろ? 」
見透かされている。
「 様子を見て来いって言われたんだろ? 」
完全に見透かされている。
偵察に来たスパイを見下す様に私を見る。私は一言もなく全身が冷たくなる・・・
「 2,3日したら学校へ行きますって、Hに言っとけよ・・・ 」
バタン。
閉じられたドアの前で私は固まる。
さっきまでのあれ程、鮮やかだった緑の並木道が・・・今では樹木の墓場の様に・・
・・・灰色一色によどんでいた・・・・・・。
「 漫画家アシスタント 第5章 その20 」 へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第5章 その18」へ戻る 】
注意 : お知らせも併せてご覧下さい!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
単行本「漫画家アシスタント物語」の出版について・・・・・
「いつ頃出版されるのか?」といった質問を多くいただくのですが、一部
の方には1月頃とお知らせしていましたが・・・3月に変更(延期)になりま
した。
「いくら払うの?」とか、「出版詐欺にあってるんじゃないの?」などと
ご心配される方もおられましたが・・・たぶん、私は印税をいただける様
です!
最近、担当の編集員氏が体調を崩してしまい、その事も出版時期の延
期に影響しているかもしれません・・・・・。
単行本の内容については、来週あたりから少しづつご報告させていた
だきたたいと思っております。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
【 各章案内 】 「第1章 改訂版」 「第2章 改訂版」 「第3章 改訂版」
「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
でいた街であり、有名な「白金」や「迎賓館」の近くでもあります。そして、私が通った
K高校もこの駅からさほど遠くない所にありました。勿論、当時の面影はほとんどありま
せん・・・・。《 2007年度12月撮影 》 )
【 はじめての方は、どうぞ 「第1章 改訂版」 よりご覧ください。 】
その19
漫画が上手くて、頭が良くて、金持ちで、女にもモテた中江君( 仮名、中江誠、
1971年当時17歳。父親は医師。壮麗な洋館に住む美男子 )でしたが、学校でも
目立つ存在でした。
700人の生徒の代表である生徒会長であると同時に、校則と教師にたて突く「 問
題児 」でもあったのです。その事が後に退学する大きな原因になります。
私はそれまで、よく彼に新宿の街や、漫画同人誌会などを教えてもらっていまし
た。印象に残るのは靖国通りのアングラ喫茶( ロックとクスリと人混と・・・ )。
ここには、中江君の友人たち( 怪しげな )がいっぱい集まっていました。
そして、新宿通りにあった漫画喫茶「 コボタン 」。ここでは多くの漫画家志望
者が出会い、初めて会った同士の若者が熱く漫画論を闘わせていたものです。
私が一度、コボタンの二階で場違い(?)にも翌日にせまった期末試験のために
教科書を開いていたら・・・
「 てめェ、何やってんだヨッ! 勉強なんかしやがってッ! 」
私にそう怒鳴った20歳前後の若者も中江君の友人。完全にクスリでいかれている
のですが、新宿には当時(1970年前後)、ヒッピー、フーテン、新左翼・・・血
の気の多い人たちがいっぱいいたのです。西口にも東口にもシンナーを吸う若者
と、シンナーを売る若者がウジャウジャ集まっていました。その同じ場所に、フ
ォークゲリラに全学連、そして機動隊ですから、もうメチャクチャです・・・!
とにかく、私の様な「 子供 」には刺激の強い街でした。
さて、中江君が学校を休むようになってきた頃・・・私はノン気に漫画一色( 自
慰も含めれば二色 )の高校生活を送っていました。
当時のベストセラーに「 HOW TO SEX 」(?)とかいう本がありました。この本
を持っていた友人のT君が、私にそれを貸してくれました・・・
「 参考になるよ 」
T君も私もセックスとはまったく無縁なのですが・・・何ンの「 参考 」になるの
やら・・・・・
『 始めにキスをしましょう。いきなり乳房をモンだりしてはいけません・・・ 』
ってな事が書いてあり・・・
「 なるほどォ・・・うむうむ・・・ 」
などと目を充血させて読んでいました・・・教室のスミで。
本を貸してくれたT君は今では( 36年後 )大学生と高校生になる二人の娘さんが
います。結婚して子供を二人作ったのですからこの本も役に立ったと言えましょう
・・・。
しかし・・・その娘さんに粗大ゴミあつかいされている現状を見る時・・・「 HO
W TO SEX 」に目を充血させていたあの頃が懐かしまれます・・・。
ちょっと脱線しましたが・・・話を中江君に戻します・・・。彼は私に、よく成田
へ行こうと誘いました。「 成田空港建設反対闘争 」に一緒に参加しょうというわけ
です・・・。私は『 何ンで成田なの? 』『 空港のどこがいけないの? 』・・・全
然、理解出来ずに参加もしませんでした。
当時は成田でやぐら( 砦! )を組んだ反対派と機動隊が壮絶な闘いを繰り返してい
ました。白兵戦の中で反対派に囲まれた機動隊員が3人、殺されたり・・・・ものす
ごい事になっていました・・・・・
さて、中江君が学校へ来なくなってしばらくしてから・・・・・彼のクラスの担任教
諭H先生が私を呼び出しました・・・
「 Y(私)、おまえ中江とは仲が良いんだろ? 」
「 はぁ・・・ 」
私は、自分が一番の親友・・・と、いうわけでもなかったのですが・・・・・
「 ちょっと様子を見て来てくれないか・・・? それから、学校へ出て来る
様に伝えて欲しいんだ・・・ 」
クラスも違う私が何ンでこんな事を・・・と、思いつつ・・・久しぶりに中江君に会
いたいとも思っていたので、帰宅途中で彼の家に立ち寄ったのです。
目黒駅から美しい並木道を歩いて行くと、立派な洋館が見えてきます・・・・・。私
は、直接中江君がいる別棟のドアをノックします・・・
「 Yか・・・。何んだい? 」
「 ・・・長く休んでるって聞いて・・・・・ 」
中江君は私を探る様に見つめている・・・
「 H( 先生 )に言われて来たんだろ? 」
見透かされている。
「 様子を見て来いって言われたんだろ? 」
完全に見透かされている。
偵察に来たスパイを見下す様に私を見る。私は一言もなく全身が冷たくなる・・・
「 2,3日したら学校へ行きますって、Hに言っとけよ・・・ 」
バタン。
閉じられたドアの前で私は固まる。
さっきまでのあれ程、鮮やかだった緑の並木道が・・・今では樹木の墓場の様に・・
・・・灰色一色によどんでいた・・・・・・。
「 漫画家アシスタント 第5章 その20 」 へつづく・・・
★前の記事へ→ 「漫画家アシスタント第5章 その18」へ戻る 】
注意 : お知らせも併せてご覧下さい!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ お知らせ ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
単行本「漫画家アシスタント物語」の出版について・・・・・
「いつ頃出版されるのか?」といった質問を多くいただくのですが、一部
の方には1月頃とお知らせしていましたが・・・3月に変更(延期)になりま
した。
「いくら払うの?」とか、「出版詐欺にあってるんじゃないの?」などと
ご心配される方もおられましたが・・・たぶん、私は印税をいただける様
です!
最近、担当の編集員氏が体調を崩してしまい、その事も出版時期の延
期に影響しているかもしれません・・・・・。
単行本の内容については、来週あたりから少しづつご報告させていた
だきたたいと思っております。
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「第4章 その1」 「第5章 その1」 「第6章 その1」
「第7章 その1」 「第8章 その1」 「第9章 その1」
「諦めま章 その1」 「古い話で章 その1」
「もう終わりで章 その1」 「移住物語 こりゃタイ編 その1」
中江君のその後とか気になります。
それにしても。。すごい漫画みたいなキャラですね!
お金持ちだけど、子供が飛行に走ってる?みたいな・・
それにしてもHOW TO SEX の
>始めにキスをしましょう。いきなり乳房をモンだり
してはいけません・・・
とか、なにげに面白いです。
そういや、最近はティーンズラブの雑誌で
(少女マンガでちょっとエッチな漫画のジャンル)
風俗壌が、HOW TO SEX みたいな内容を書いて
あってちょっと引きました。というよりか
業務内容を紹介でしてが・・なんだか時代は
変わったなとか思います。
>中江君のその後とか気になります。
スイマセン。 実は、彼の話はここまでなのです・・・!
この先は、ありません。 彼とは、これっきりでまったく会っていな
いのです。
うちの高校でも孤立していましたから、退学後どうしているのかも
他の生徒から、噂一つ耳に入って来なかったのです・・・・・。
先日、目黒へ写真を撮りにいった時に彼の家を訪ねたのですが・・・
36年も経つとすっかり変わってしまい・・・彼の家を発見する事すら
出来ませんでした・・・・・。
今、改めて目黒の高級住宅街(白金)を歩くと、ホントすごい所に住
んでいたんだな・・・と、思います。
とにかく、人との関係って一度離れてしまうと、もう終わりなんで
すね・・・「リセット」ボタンなんて何処にもないですし・・・・・・
しかし、彼の家の近くにある銀杏並木はみごとに色づいていまし
た・・・その豊かな枝振りや美しさは昔のままで・・・・・・・・
の名前おぼえていますか?「 HOWTO SEX 」も宝物みたいに大事に
持ってました(笑)コボタンもなつかしいなー。
永島慎二さんのフーテンの原画が壁にかざってあって背景を青のエンピツで指定していたのを観て「ヘーっこんなにするのか」などと
感心したり、、。途中のピットインにもよくジャズをききにいきましたよ。ひょっとしたら高校生のイエスさんもそこにいたのかもしれませんね。
憶えていないのです・・・・・・。
確か・・・「ソウルイト?」とか何ンとか・・・ってな名前だったかと思
いますが・・・・
そこへいく途中には弓矢の射的屋があったり、ヌードスタジオとか
いうのがあって、私の様なガキにもおネエちゃんが「安くしとくヨ、
遊んでいきなヨ」と声をかけてきたり・・・・・
あのあたりの記憶に残る風景はハチャメチャです・・・!
「コボタン」は私が想像していた以上に当時は有名だった様です
ね・・・。 私は1階でコーヒーを飲んだ事はなく、いつも2階を利用
していました。 2階にはスケッチブックの様なものがあって、誰
でも自由に絵や文章を書き込める様になっていたのですが、それ
を見るもの楽しみの一つでした。
とにかく多くの漫画家志望者の話が聞けたのが楽しかったです。
ただし・・・2階はエアコンがあまり効かないので、その蒸し暑さに
は辟易したのを憶えています・・・。
ジャズ喫茶にはあまり(極まれに行きましたが、場所や名前を思い
出せません!)行きませんでしたが、よくコボタンには出かけまし
たので、そのあたり(新宿通りや地下街)できっとハヤブサさんと
すれ違っていたに違いありません・・・!
はじめまして!
彼の名を・・・・・・38年ぶりに・・・・・・・・!
とても驚きました! 通り過ぎることなく、足跡だけでも残して
いただいた事、本当にありがとうございました!
さっそく、★みつるさんのブログ「36ミロク」読ませていただき
ました。
「コボタン」や「イージー・ライダー」のお話が楽しかったです!
是非、紹介させて下さい!
★みつるさんのブログ『36ミロク』。40年前の漫画喫茶「コボタ
ン」のお話などに興味のある方は、以下のURLからどうぞ・・・
http://blog.goo.ne.jp/neo-utopia-star/e/df89ca3d6c05058e808cd49a981334de