伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

慶事、これに過ぎず

2011年06月02日 | エッセー

 初代 島崎藤村、第2代 正宗白鳥、第3代 志賀直哉、第4代 川端康成、第5代 芹沢光治良、第6 代 中村光夫、第7代 石川達三、第8代 高橋健二、第9代 井上靖、第10代 遠藤周作、第11代 大岡信、第12代 尾崎秀樹、第13代 梅原猛、第14代 井上ひさし、第15代 阿刀田高。とくれば、歴代日本ペンクラブの会長である。錚々たる顔ぶれだ。そして、第16代会長──。
〓〓ペンクラブ会長に浅田次郎氏  
 日本ペンクラブは25日、第16代会長に作家の浅田次郎氏(59)を選出した。任期は2年。
 記者会見した浅田会長は「言論表現の自由を守る団体だから、どんなことがあっても、その本旨だけは見失ってはならないと思う」と語った。東日本大震災への対応を問われ、「考え続けています。映像を見て落ち込み、無力感にとらわれそうになる。だが、それを言ってはいけないと思う。無力だと思ったときに自分の実力がそがれる。私たちはそろそろ、震災前の気持ちを回復すべきでは」と強調した。
 浅田氏は1951年東京生まれ。「鉄道員(ぽっぽや)」で直木賞。06年同クラブ常務理事、07年専務理事。〓〓(5月26日付朝日)
  日本ペンクラブは社団法人であり、HPよると「平和を希求し、表現の自由に対するあらゆる形の弾圧に反対するとの精神に賛同するP(詩人、俳人、劇作家)、E(エッセイスト、エディター)、N(作家)が集まり、独立自尊をモットーに活動をし続け、日本の言論界をリードしてきました。歴代会長には、その時代を代表する作家が就任しています。」とある。言論、表現、出版の自由を護り、文化の国際的交流の増進も図る、戦前から続く伝統ある大きな団体だ。そのトップである。いわば物書きの『頂点』に昇りつめたといえる。本物の御大だ。まことに慶事、これに過ぎたるはなしである。一人の愛読者として慶賀の至りだ。いや、めでたい。
 「言論表現の自由を守る……どんなことがあっても、その本旨だけは見失ってはならない」その焔(ホムラ)のごときまっすぐな信念に心が洗われる。
 東日本大震災についての感慨は『壬生義士伝』を呼び起こす。南部藩士・吉村貫一郎という顧みられることのなかった埋もれた新選組隊士を、「義士」として採掘した秀作である。かつて本ブログで取り上げた(08年3月「巧い!!」)。おこがましく拙文を引く。
〓〓「義士」とは、壬生「狼(ロ)」の対語、アンチテーゼであろう。しかも主人公・吉村貫一郎に即して「義」とは主君への忠義ではなく、家族を飢えさせないという極めて人間的な色彩で語られる。脱藩という不義を超えるより大きな義として位置づけられる。この辺りの色合いは作者の真骨頂だ。〓〓
 わたしが闘病中、大いにエンカレッジされた恩義ある小説である。世界よりもつねに「人間」を描こうとする浅田文学の記念碑であり、象徴的作品といえる。「落ち込み、無力感にとらわれそうになる」との心情は傍観者からは決して聞けまい。人間を忘れたことのない人間にしてはじめて可能となる吐露だ。『壬生義士伝』に通底する目線の低さ、熱い眼差し、蒸れるような民草の吐息が、そこにある。

 きのう(6月1日)には朝日新聞が『ひと』欄で、素敵な笑顔の写真を添えて紹介した。
〓〓(専務理事選任の折)その肩を抱いて「頼む」と打診したのは、元会長の井上ひさしさんだった。吉川英治文学新人賞も、飛躍した直木賞でも選考委員だった。作家としての育ての親と思い、会議に他人の弁当を持参する人柄も尊敬していた。
 すぐ立ち上がった。「やらせて頂きます」。深く頭を下げた。阿刀田高・前会長の下で4年、雑務をこなした。
 作家や評論家ら会員1860人は年上が多く、総会などで議論は百出。阿刀田さんは「真っすぐな性格なだけに複雑な人間関係のまとめ役は気の毒だが、会の顔としてどうしても必要」と言う。(抜粋)〓〓
 氏は対談集「すべての人生のために」(幻冬舎文庫)の「あとがきにかえて──厄介な仕事」で、次のように述べる。
■私はずっと、野球選手が野球ばかりやっているように、学者が研究ばかりしているように、小説家は読み書きだけで人生を過ごしているのだと思っていた。
 ところが、文学賞のひとつもいただいたあたりから、思いがけぬ仕事が舞いこむようになった。講演、サイン会、インタヴュー、グラビア撮影そして本書に収録されている「対談」というような、およそ読み書きとは無縁の仕事である。
 おそらく私の周辺は、度重なる打合わせや会食の席で「こいつはしゃべる」と察知し、読み書き以外の要員に加えたと思われる。そうとは知らず、これも販促の一環などと呑気に構えていた私は愚かであった。
 とりわけ「対談」は、文芸誌のみにかかわらずおよそ雑誌という雑誌にそのコーナーが設けられており、いったん足を踏み入れてしまえば底なし沼か南溟(ナンメイ)の密林のごとく、まこと際限がなかった。「こいつは書ける」ではなく、「こいつはしゃべる」という周囲の評価により、ついには週刊誌の「美女対談」のホストまで務めるはめになった。
 しかし、世の中何だってそうだが、無駄な努力というものはない。骨惜しみだけが人生の空費となる。対談といえば、いかにも小説家が本業の片手間にやっているように思われそうであるが、実はたいそうな努力を必要とする。そうでなければちっとも厄介な仕事ではあるまい。(抜粋)

 「厄介な仕事」とは氏特有の韜晦にちがいない。ペンクラブの会長ともなれば、荷厄介は想像を超えよう。
 「世の中何だってそうだが、無駄な努力というものはない。骨惜しみだけが人生の空費となる」とは、優れて深い人生訓ではないか。1860人の兵(ツワモノ)どもの束ね。生易しくはなかろうが、氏なら適うと信じる。引きずり下ろされそうなどこかの御大とはちがい、こちらは正真正銘の御大だ。□