伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

大笑、これに過ぎず

2011年06月03日 | エッセー

 さんまにしても、たけしにしても、はたまたタモリにしても、まだまだこの域には達していまい。6月2日の永田町で興行された緞帳芝居には、抱腹絶倒、腹の皮がよじれるほどに嗤い転げた。大笑(タイショウ)、これに過ぎず、である。
 まずは、民主党代議士会での菅首相の挨拶。時間も昼休み、「笑っていいとも」は完全に営業を妨害された。

〓〓私として、この大震災に取り組むことが一定のメドがついた段階で、私が、やるべき一定の役割が果たせた段階で、若い世代の皆さんにいろいろな責任を引き継いでいただきたい、このように考えております。
 私には、まだ、松山の五十三番札所から、八十八番札所までお遍路を続けるというお大師様との約束も残っております。そういった気持ちも含めて、しかし、この大震災、原発事故に対して、一定のメドがつくまで、ぜひとも私にその責任を果たさせていただきたい。〓〓
 前段は「てにをは」がおかしいし、「一定のメド」にせよ、「いろいろな責任」にせよ、「いろいろ」に読めもする。「若い世代の皆さんに」も、小沢、鳩山両氏への当て擦りであろう。それは、まあ、いい。爆笑を呼ぶのは後段だ。
 政治決戦を前にした公党の会合で、なぜお遍路なのだ。その唐突さに唖然とする。乾坤一擲の大勝負に、振り下ろした采配がバーゲンで貰ったウチワだったようなものだ。場違い加減に目が眩む。その常識を超えた掟破りの理路に、呆気にとられて哄笑に咽ぶ。苦しい、苦しいほど可笑しい。たけしだって、これほど次数をすっ飛ばした与太は吐けまい。
 お遍路と首相のお仕事を天秤に掛けるのであろうか。公務の仕上げを訴えるに、巡礼の完結とバーターでもするというのか。これが菅流の滅私奉公なのか。「滅私」の引き合いに出された「お大師様」も、さぞ迷惑であろう。先般取り上げた(5月27日付「缶蹴り」)5月2日の『一家団欒』といい、公と私の別がよく解っていないらしい。「私」および「滅私」については無知と断じざるを得まい(もちろん、「公」もだが)。
 あるいは、辞めたら余生は八十八箇所巡りでもするか、と去(イ)なしたのか。菅流の開き直りか。さらには、早々の辞任を臭わせたのか(これは好意的すぎる忖度だが)。ともあれ、お遍路再開の五十四番札所が愛媛県今治市にある「延命寺」と聞いては、仰天してしまう。できないけれど、イナバウワーだ。
 この男、総理なぞやらせておくのは勿体ない。ぜひ吉本は、トラバーユを働きかけるべきだ。獲得に走るべきだ。時機を逸すると、四国に行ってしまう。

 早速、「一定のメド」で揉めはじめた。鳩山氏は「確認事項」のペーパーを振りかざし、差しの約束を盾に取る。一方、岡田幹事長は「『復興基本法』『2次補正』は退陣の条件になっていない」と発言。受けた鳩山氏は、「先方がうそをついているだけです。人間、うそをついてはいけません」と応じた。
 これも笑わせてくれた。椅子からズッコケてしまった。キミにそんなことが言えるのか! 大笑、これに過ぎず、である。普天間の大うそはどこへいったのか。「最低でも県外」がうそでなかったとしたら、世の中からうそは残らず消える。お天道様だって面目丸つぶれ、こっ恥ずかしくて西に沈んだきりお出ましにはなるまい。
 今朝になっては、「ペテン師」だと吼えている。水に絵を描くはめになって、腹に据えかねるのだろう。しかしこの御仁を間の抜けたピエロと見れば、笑劇には必須の配役だ。なくてはならぬ役者だ。

 突然だが、さかなクンに告ぐ! 即刻、永田町に走り給え。国鱒よりも珍しい魚に出会える。名を、小水の魚という。□