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伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

落選させたい政治家

2012年07月08日 | エッセー

 「新潮45」の7月号が『落選させたい政治家12人』という特集を載せている。これがなかなかおもしろい。要点を引用(◇部分)しつつ、身の程知らずの加筆をしてみたい。

① 言い訳ばかりの権力亡者「菅直人」──保阪正康(ノンフィクション作家)
◇この人物は「権力」に気にいられることなら何でも平然と行ってしまうタイプ。権力を握って何か事を成そうとするのではなく、権力を握ることのみが目的で、それ以外は何も関心がないという人物である。私は市民運動に詳しいわけではないので、あっさり言ってのけることになるが、こんな人物しか生みだすことができなかったのであれば、市民運動とは何と歪んだ世界なのだろうと実感する。民主党代表選で、こういう軽薄な人物が党首になること自体に、そうか日本は少し舵とりを誤れば市民運動出身の権力至上主義者が登場して、麗句と恫喝、そして自己陶酔でこの国の基本的な骨格をがたがたにするのだなとも思い至った。こういう首相のもとで、東日本大震災と福島原発事故が起こったことは日本にとって、きわめて不幸だった。◇
 まったく同感だ。市民運動以前の、後出する佐々淳行氏が言った『第4列の男』も有名である。アジ演説はうまいがデモではいつも逃げやすい第4列目にいた学生として、当時公安に記憶されていた。最終節は正確ではない。物事は逆なのだ。以下、拙稿を引く。
〓〓この男がアタマをとって以来、碌なことがない。
 まずは口蹄疫が襲い、参院選で大敗し(他人事ながら)、円高で苦しみ、尖閣で揉め、北方で揺れる。特にあとの二つはワン・ツー、ダブルパンチだ。そのほか巨細漏らさねば、紙幅が追いつかない。
 もうそろそろ気づいてもおかしくはない。つまるところ、この男は疫病神にちがいないのだ。人気ほしさのパフォーマンスとはいえ、四国お遍路が一の得意。憑いた疫病神を落とそうとでもいうのだろうか。それにしてもしょぼい。可哀想なくらいしょぼい。
 疫病神が死神にランクアップするまでに、なんとかせねばならない。エクソシストにお出まし願おうにも、宗旨がちがうと効き目はなかろう。さて、いかに。〓〓(10年11月「疫病神」)
 「疫病神が死神にランクアップ」は、あろうことか4ケ月後に的中した。

② 思い出したくもない 史上最低の総理「鳩山由紀夫」──福田和也(文芸評論家)
◇余計な事を──出来もしない案をぶちあげてしまう。この軽さは、一体全体、何なのだろう。たしかに沖縄の方々が受けている痛み、苦労は大変なものです。その負担にたいして、多少とも心を痛めるのは、まっとうな反応とはいえるかもしれない。しかし総理大臣という国政の、最高責任者が、思いつきで県外移転を公言した後、ごく簡単に投げ出し、前言を撤回してしまった。なんともはや……、いや、酷いという事は承知してはいたんですがね。まさかここまで、呆けているとは。◇
 「思い出したくもない」が、もう書きたくもない。『宇宙人』と呼ばれるこの御仁、地球の倫理、論理が通じないなら、宇宙へ帰ってもらうほかあるまい

③ 見識も政策もない 鵺のような「輿石東」──阿比留瑠比(産経新聞政治部記者)
◇偉そうに訳知り顔に振る舞うが、実のところは日本の将来像も政局の先行きも何も考えていないのが輿石氏だ。ただ自身の権力維持だけが目的なのである。輿石氏が素早く動いた事例は、小沢氏の党員資格停止処分の解除以外見当たらない。これも結局、いったんは一審で無罪判決を受けていた小沢氏が控訴により再び刑事被告人となったことで、野田政権の評判を落としただけだった。野田首相が人事下手と言われるゆえんであり、つまりは人を見る目が全くなかったということだろう。保守政治家を自任しながら、旧社会党、日教組出身の輿石氏なんかを重用する「禁じ手」を打ったのだから自業自得だ。「日教組のドンだか何だか知らないが、輿石氏は古い型の政治家だ。輿石氏の排除まで含めて考えるべきだ」今や輿石氏は、自民党の最後の派閥政治家とも言われた野中広務元官房長官にまでこう指摘される。◇
 『日教組のドン』。前述の保阪氏の伝でいけば、日本の労働運動は結局この程度のネゴシエーターしか生まなかったということだ。まことに貧困というほかない。

④ 龍馬かぶれの子供政治家「橋下徹」──小田嶋隆(コラムニスト)
◇龍馬の政治利用。これは、とても胡散臭い手法だ。なにより、現実に権力を握っている人間である政治家が、自身の存在を、龍馬のような一種やぶれかぶれな人物に重ねて考えることは、単純な話、危険極まりないなりゆきでもある。たとえばの話、乗っているタクシーの運転手がアイルトン・セナ(早逝したF1ドライバー)への憧れを語り出したら、私はこわい。あるいは、自分の手術を執刀するはずになっている外科医が、雑談の中でマルキ・ド・サドの信奉者である旨を語ったとすると、それはやはり相当に薄気味の悪い経験になる。◇
 実にうまいキャッチコピーだ。「子供」に関しては、次の内田 樹氏の考究は実に鋭い。「子供政治家」の本質を掴む上で落とせない視点だ。
 
 自分の身に「うまく説明のつかない」出来事が起きたとき、その原因を「誰かの悪意」に求めて説明しようとする人がいる。あらゆる問題について、「誰のせいだ?」というふうに問いを立てる人がいるだろう。「子ども」は、説明できないことが起こると、その原因を「私の外部にある強大なもの、私の理解を超えたもの」、つまり「あらゆる問いの答えを知っているもの」に帰着させようとする。だから「子ども」は神を信じるのと同じくらい簡単に悪魔の実在をも信じる。「誰かが全部を裏で糸を引いているんだ」。そういうふうに考えること、それが「子ども」の危うさだ。だからこそ「子ども」は、しばしば恐るべき暴力の培養基ともなる。「強力な悪がどこかに局在していて、世界中の出来事をコントロールしている」という考え方をする人間は、たとえ老人であっても「子ども」だ。「じゃあ、ジョージ・ブッシュは『子ども』ですか?」人類学的基準からすれば、答えは「イエス」だ。「私」は無垢であり、邪悪で強力なものが「外部」にあって、「私」の自己実現や自己認識を妨害している。そういう話型で「自分についての物語」を編み上げようとする人間は、老若男女を問わず、みんな「子ども」だ。(角川文庫「期間限定の思想」)

⑤やっぱり何も考えてないのね「田中直紀」──倉田真由美(漫画家)
◇「無知の知」野田総理が彼を評して言った言葉、これにも笑った。物は言いようだ。彼のはソクラテスが言うところの「無知の知」ではなく、ただの「無知の開き直り」だろう。子供が難解なことを聞かれて、「オレ、知らなーい」というのと同じだ。◇
 もはやどうでもいい人物である。ただどうにもならないのは、任命した首相の見識だ。これは忽せにできない。この程度の人物を選ぶのは、この程度の人物と同等でしかないといえる。筆者がこの首相につけたキャッチコピー『中学校の生徒会長』も再考を要するほどだ(小学校程度か)。有権者も“コーヒー”なんぞ喫んでる暇はない。真面目そうに見えても、中身をしかと見定めねばならない。中学生の“一日首相”とは訳がちがうのだから。

⑥ どの口で綺麗事を言うのか「小沢一郎」──屋山太郎(政治評論家)
◇小沢氏は消費税増税に反対して、野田内閣を揺さぶっている。「増税の前に国民に約束したことをやれ」という。全く同感だ。民主党の大看板は「天下り根絶」だったが、鳩山内閣誕生の直後に小沢幹事長がやったのは斎藤次郎元大蔵次官を日本郵政の社長に据えたことだ。見本のような天下りを自ら示して国民を欺いたのは小沢氏だ。小沢氏に発言の資格などない。◇
 加えて消費増税反対については、細川内閣でなんと“福祉目的”税としての「国民福祉税」構想を打ち上げた張本人だったことを忘れるわけにはいかない。この人物にとって政策とはそのようなものでしかない。
 先日本ブログ「ポピュリズム二景」で、内田 樹氏の言を引いて拙文を締め括った。
〓〓片や、生き残りのために捻りなしのポピュリズムに有り金を賭けるポピュリストたちもいる。「正義は我にあり」と「チープでシンプルな政治的信条を、怒声をはりあげて言い募る」。どちらにせよ、「日本の政治家たちが急速に幼児化し、知的に劣化している」なによりの証なのだろうか。〓〓

⑦ 調子の良さだけは一流の厚顔無恥「原口一博」──適菜収(作家・哲学者)
◇「国民の声を聞け」が口癖の原口だが、選挙には弱い。閣僚懇談会を途中退席してまでもバラエティー番組に出演したり、ツイッターに夢中になって参院予算委員会に遅刻したりするのも、マスメディアにおける露出が唯一の生命線であることを自覚しているからだろう。原口のあだ名は、「風見鶏」「ラグビーボール」である。要するに、どこになびくか、どこに転ぶか見当がつかない。政界においては、その時点における強者に近づいていく。小沢一郎の周辺をうろつき、マスメディアに登場しては大衆にひたすら媚びを売る。風向きを見ながら、大阪の橋下徹や名古屋の河村たかしにも接近しようとする。◇
 今回の消費増税案議決でもまさに「風見鶏」であった。講談ではないが、「声はすれども姿は見えず、ほんにおまえは屁のようだ」とでも言っておこう。

⑧ 究極の勘違い女「小宮山洋子」──麻生千晶(作家)
◇夫婦別姓主義の彼女が、未だに最初のダンナの小宮山姓を名乗っている無神経も理解できない。夫の祖母や姑たちと同居で辛かったと語っている結婚時代の苗字でも、NHKで名が知られて、選挙に有利ならば使うって? 随分とご都合主義だし、変てこりんだ。◇
 あの東大闘争時の加藤一郎総長が父親である。やたらとサラブレッドを鼻に掛けるらしいが、曰くがありすぎないか。それよりも国民の健康を預かる厚労大臣なのだから、首の振るえとやたらブレスの入るしゃべりは早く診察を受けた方がいい。 

⑨ 何が政治主導か 三百代言「枝野幸男」──佐々淳行(評論家)
◇枝野幸男前宣房長官の政治的行政的、道義的責任は極めて重大で、本来なら問責決議の対象となり、次の解散総選挙に際しては立候補を自ら遠慮すべき政治家である。何が「政治主導」なのか。3・11東日本大震災は大きな国家危機管理の大失敗にもかかわらず、関係省庁の政務三役でただの一人も自ら引責辞職した政治家はいない。内閣の要である官房長官なら知っておくべき内閣法、国家行政組織法、国家公務員法など国政にかかわる行政法、とくに国家危機管理法体系、すなわち警察法、自衛隊法、消防法、海上保安庁法、そしていわゆる「有事法制」研究の実定法化により近年急速に整備された「安全保障会議設置法、武力攻撃事態対処法」「国民保護法」に関する法律知識も行政体験も欠いている。口だけは達者な“三百代言”であるとの印象を決定的にした。確信ありげで滑舌もよく、説得力があるとみられたが、あまりにウソが多く、とくに「メルトダウンはない。チェルノブイリとはちがう」と一体何回いったことか.宣房長官が先頭に立って牛肉だ、稲わらだと風評被害をテレビ記者会見で拡大したのも、なんとも未熟だった。◇
 原発事故でのA級戦犯がなぜ内閣に居残るのか。それだけでも不思議だ。まともな人間なら、まずは自ら謹慎するだろう。当人にはおそらく有責感も罪悪感もないのだろう。舌足らずで(佐々氏の「滑舌もよく」とは見解を異にする)、寸足らず。おまけに、知恵足らず(佐々氏の指摘通り、知識も不足している)の倫理感まるでなし男。こんな手合いを任命する者もおかしい。⑤ に同じだ。
 現代版「舌切り雀」──助けたわけでも可愛がったわけでもない。張り替え用の糊を嘗めるどころか、ブスブス障子をつつき回して穴だらけにしてしまった。仕置きに舌を切ろうにも舌足らずだから、それもできない。頼みもしないのに、大きなお土産を持ってきた。開けたら、なんと原発再稼働だ──。

⑩ 永田町の絶滅危惧種「福島瑞穂」──ツノダ姉妹(マーケティング会社経営)
◇小泉元総理のワンフレーズ手法を真似たのかテレビで人気者だった頃の目立ちたがりの血が騒ぐのか、「一言でいうとぉ……」と、ことあるごとにネーミングを披露しております。それは今や内閣改造や解散時の国民的な風物詩で、『ボクちゃん投げ出し内閣』『福田保身内閣』、先日の野田内閣改造も『民間丸投げ無責任内閣』と早速ネーミング済み。政局に動きがあると「次は瑞穂がナント例えるのかな?」と楽しみですらあり、ツノダは勝手に「ネーミング番長」と名付けウォッチしているほどです。古き良き昭和な女の国会議員のスタンダードとして、福島瑞穂氏を特別天然記念物、絶滅危惧種として保護すべきだと宣言いたします。私たちにとって、瑞穂はトキと同様に、いなくて困ることはありませんが、いなくなったら寂しい存在なのです。◇
 「絶滅危惧種」とは絶妙だ。そういえば、S民党自体も絶滅危惧種である。前党首は「おタカさん」だったから、鳥つながりで現党首は『おトキさん』ではいかがか。もちろん、あの鴇である。こちらの鳥は絶滅を免れそうだが、政党の人工繁殖は寡聞にして知らない。
                        
⑪ 日本の政治そのもの 薄くて軽い「石原伸晃」──林操(コラムニスト)
◇石原家は名家、ってのも誤解っちゃ誤解。裕次郎および甥ッ子の石原4兄弟は確かに揃って慶応のお坊っちゃまながら、慎太郎は官学一橋大出だし、その父は山下汽船の子会社取締役まで出世したものの、入社したときは愛媛の旧制中学中退の店童。つまりはノブテル、2代さかのぼるだけで苦労人にたどり着く。◇
 彼の祖父、慎太郎・裕次郎の父親は、日露戦争でのし上がった船成金(山下汽船)の大番頭であった。この船会社は黒い噂を抱えていたし、朝鮮人労働者を食いものにした戦争成金であった。名家などであろうはずはない。
 ともあれ親父が弟の七光だから、甥っ子は叔父さんの三と二分の一光か。

⑫ とにかくなんだか恐ろしい「小泉信次郎」──青木るえか(エッセイスト)
◇とにかく橋下と石原親子にはぜひ落選して政治家でなくなってほしいが、政治家じゃなくてもテレビとかに出てきてうるさそうだ。いっそ尖閣諸島でも竹島でも沖ノ鳥島でも移住してくれないものか。などと言ってるが、実は私はこの3人についてはそれほど心配していない。石原父は寿命というものがたぶん迫っているし、伸晃は慎太郎よりスケールが小さい。橋下も、あのお調子者ぶり(橋下という男はウケるためなら何でも言う。今の反原発発言もそれである。いつまでもつか見モノだ、……と、書いてるそばから大飯原発再稼働は条件付きで容認とか言いだした。私が怖いのは小泉進次郎だ。いわゆる「危険な政治家」というのとは別の文脈で、怖ろしくてしょうがない.
 小泉は純一郎の時から怖かった。小泉ってブッシュの前でプレスリーを歌うとか、「痛みに耐えてよく頑張った感動した」とか、親しみやすげなパフォーマンスが目立ったが、騙されてはいけない、あれは冷たい男だ。トラブルが嫌い。トラブルは無視。意見の相違も嫌い。人の意見は無視。利害が一致した時のみ役に立ってくれるが、一致しないとなったらたちまちその人はモノとなり果てる。後継者は孝太郎じゃなく進次郎。当然だろう。すごく似てるから。似てるどころか純化している。さらに冷たく、そして(まずいことに)ハンサム。この息子なら、ハンサム冷血政治で日本を牛耳ることができる、と父は見込んだのだろう。政治的な立ち位置では、「民主党に対するアンチであり、自民党主流派に対しても反対意見を堂々と言うが、基本は自分に都合のいいようにする保守」という、ふだんあんまりものを考えない人々からゴッソリ票を得られるようなところにいて、しかし橋下や石原親子みたいに「良識ある人びとの眉をひそめさせる」ハデなことは言わないから、ジワジワと支持を伸ばした挙げ句に親子二代の総理大臣、なんてことになるのではないかと、想像するだけで恐怖に突き落とされる。◇
 女性特有の嗅覚か。恐れる意味はよく解る。手強い批判だ。

 犬の遠吠えの終わりに、ネガティブ・ボーティングを提案しておきたい。今のシステムでは、当該選挙区以外では「落選させたい」という願いは投票行動に反映できない。是非とも一考すべきではないか。大野伴睦は「猿は木から落ちても猿だが、代議士は選挙に落ちればただの人だ」と名言を残した。しかし今や、「ただの人」以下が木に登っているからややこしい。 □