伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

NIMBYの壁

2012年05月24日 | エッセー

〓〓震災がれき尼崎市対話集会 慎重論大半
 東日本大震災で発生した災害廃棄物の受け入れについて、尼崎市の稲村和美市長と市民らが意見を交換する対話集会が16日、同市七松町1丁目の市立すこやかプラザであった。市内外から約140人が参加。参加者からは、反対か慎重な立場からの意見が相次いだ。
 市はがれきの受け入れについて、受け入れ時も焼却灰も放射性セシウムの濃度を、1キロ当たり100ベクレル以下とする独自の基準を示している。集会では稲村市長が基準について説明し、「受け入れを決めたわけではない。みなさんの安全と思いが前提条件。疑問や論点を頂き、判断材料としたい」と述べた。
 参加者からは、「放射能に安全という基準はない。拡散させないことが大事」(大阪市・男性)、「試験焼却もやめて欲しい」(尼崎市・女性)、「いろいろ情報があり、市の基準が安全なのか疑問」(西宮市・女性)といった声が出た。途中、「もっと勉強してほしい」「対話になっていない」などと怒号が飛ぶ一幕もあった。
 市は現地調査や試験焼却を経て、改めて対話集会を開く方針を示していた。稲村市長は「試験焼却をするということで、市が受け入れに前向きという誤解を招いてしまった」「私も国の基準を丸のみしていいのか疑問を感じており、みなさんとご相談したい」などと答えた。〓〓(asahi.com 2012-05-17)
 テレビ報道を見ると、発言者はかなり激高していた。「ベクレルの問題ではない!」との反対論に一斉に拍手が湧き起こる様はヒステリックであり、ファナティックでさえあった。参加者の大半は問答無用、聞く耳をもたないようで、別の意味で「対話になっていない」ともいえた。
 やはり、“NIMBY”は越え難い「壁」か。とてもじゃないが、サンデル教授には聞かせられない、見せられない。世界平和を揚言する人が隣家と揉め事が絶えなかったり、おどろおどろしい家族騒動を抱えていたりする図を連想してしまう。尼崎に限った話ではない。これから日本が登攀せざるを得ない『NIMBYの壁』が、いよいよ鮮明に姿を現してきたといえようか。
 TBSの報道によると、南方の無人島で希少鉱石を採り、空いた穴にそっくりがれきを埋めるという構想があるらしい。魅力的というより、魅惑的、蠱惑的な印象が強い。いっそ、本ブログで幾度か提唱した『宇宙投棄説』の方がまだマシか。
 NIMBYは住民エゴとして批判に晒されることもある。しかし「適者生存」を『適地生存』と読み替えれば、生き残りのための生物的本能ともいえる。ならば、「適地」はあるのか。この場合、適地とは汚染されない地域のことだ。現代日本で、それは考えられない。空も、海も、それにロジスティックスもある。また、生涯東北と無縁に生き終える本邦人がはたして幾人いるだろうか。東北を「隔離」して果たして日本は成立し得るのか。断じて、それはない。一例ではあるが、サプライ・チェーンの切断が如実に教えてくれたはずだ。チェーンはすでに世界に懸かっている。汚染がれきとはつまりは二者択一ではなく、「程度」の問題である。さらには、覚悟の問題である。日本に棲まう限り、無縁ではありえない。事、既にここに至っているのだ。だから「程度」を科学的に見極め、全国的エリアで相応に対処していくほかはないのではないか。一国をまるごと汚染するつもりかとの声も聞こえてきそうだが、それゆえにこそ「程度」なのだというしかない。(猫の額ほどの“MBY”ではあるが、筆者は喜んで供する)
 目から鱗の学説がある。

◇注意すべきことは、そうした(百姓一揆などの徴税に対する強い抵抗をする・引用者註)平民たちが、年貢・租税を廃棄せよというスローガンを公然と掲げたことは、古代から近世にいたるまでほとんど見られないのです。租税、年貢を減免せよ、軽減せよという運動は無数におこっていますが、年貢をすべて撤廃せよという運動は見られないのです。もちろん「公」が「公」としての役割を果さないかぎり、年貢を納める必要なし、という考え方は、平民の根底にあることは間違いないことですが、それが公然たる年貢の廃棄というところまではいかない。これは、年貢が単なる私的な地代ではなく、公的な租税の意味を持っていたからだと思います。現在の税金にいたるまで、日本の社会は、こうした租税制度に規制されつづけているといわざるをえません。このような「公」の観念、しかもそれが決して専制的な支配による強制のみによって押し付けられたものではなくて、平民の「自由」、「自発性」を背景において、律令制が組織されたことは、その後の日本の社会の「公」に対する考え方に大きな影響をあたえていますし、その「公」の頂点につねになんらかの形で天皇が存在したということも、この最初の国家の成立の結果であるということを考えておく必要があると思います。◇(網野善彦著「日本の歴史をよみなおす(全)」ちくま学芸文庫)

 一揆は年貢自体の廃止を求めたものではなかった。「程度」を巡る抗議であった。年貢は私的な地代ではなく、公的な租税と認識されていた。その「公」意識の頂点に天皇の存在があった。──捉え方はいろいろあろうが、日本人の深層にある公民意識を考える枢要な視点である。もちろん、震災がれきを上記の論述に機械的に準えれば理路の通る単純な話ではない。だが、「決して専制的な支配による強制のみによって押し付けられたものではなく」には留意すべきだ。モチベーションの励起には、高みへの、至極の存在への希求と紐帯がある。現実を超えるには、現実を超える彼岸が要る。痛みを分かつのも同じだ。
 ともあれ、この壁はチョモランマよりも高い。日本人の登攀力が試される。 □