伽 草 子

<とぎそうし>
団塊の世代が綴る随感録

目玉がいっぱい

2017年04月08日 | エッセー

 2年ぶりに媼を訪った。15年4月、拙稿「媼と翁」に呵した媼である。
 〈彼女は天空に向かって羽撃くように、いやたった今天宮から舞い降りたかのように四囲を掩う万朶を薄紅(ウスクレナイ)に染めていた。
 陋屋から車を駆って二時間。名にし負う齢六百六十余年を刻むおうなである。一歳(トセ)のうち束の間身繕い、仮粧(ケソウ)する。長遠を遡り、天がけ天くだった天女に戻るのは、その刹那だ。春の光と風に使嗾された化身だ。と、瞬く間に吹き返した風が衣裳を攫い、移り気な光が翳って紅白粉を台無しにする。
 僅かなメタモルの間(アワイ)を縫って、人びとが群れる。〉
 ちょうど満開であった。樹勢が落ちてきているらしいが、それでも充分に見応えのある「四囲を掩う万朶」であった。「群れる」ほどではないにせよ、切れ目なく人の波は続いていた。
 〈場違いな音曲、所縁もない屋台が建ち並び謂れのない品々を商う。無粋なものだ。立ち籠める醤油のにおい。なぜここで、肉魚を焼く。飯の種にされる老媼が可哀相ではないか。六百と六十何回目かの艶姿(アデスガタ)を、静かに見守ってやればいい。見紛うばかりのおめかしにただ歓呼すればいい。〉
 先日土地の持ち主が他界したためか、音曲も屋台もイヴェントらしきものはまったくなかった。「六百と六十何回目かの艶姿を、静かに見守ってやればいい」という願いそのままで、心地よい花見であった。ただ、驚いたことにそこいらじゅうに“目玉”が散乱していたことを除けば……。
 10人のうち9人はカメラかスマホを構えている。老若男女を問わずだ。脚付きの一抱えもある高級機から手の平サイズまでなにかの撮影会と見紛うばかりだ。被写体は名にし負う「天女」である。これほどのモデルをどっからどう撮ろうとそれなりの写真にならないはずはない。ふと、三島由紀夫のことばが浮かんだ。
 〈私がカメラを持たないのは、職業上の必要からである。カメラを持って歩くと、自分の目をなくしてしまう。自分の目をどこかへ落っことしてしまうのである。つまり自分の肉眼の使い道を忘れてしまう。カメラには、ある事実を記録してあとに残すという機能があるが、次第に本末顛倒して、あとに残すために、現在の瞬間を犠牲にしてしまうのである。〉(昭和55年「婦人倶楽部」から)
 “目玉”とはこの謂だ。「職業上の必要」は作家のそれであろう。なにせ、松が他のものに見えなければ書かないというほどの作家である。肉眼で捉えて心象に結像させることを最優先したのであろう。三島にしてはじめて口の端に掛け得る言葉である。それにしても、「現在の瞬間を犠牲にしてしまう」危険は凡愚にもある。
 ある花火大会で始めから終わりまで、ケータイで写真を撮るためディスプレイばかりを覗いている子どもがいた。河原に並ぶ群衆の人熱れも、身を震わす炸裂の振動も、焦げ臭い風も、人々の顔を一瞬浮彫にする閃光も、きっとあの子には残らないはずだ。「自分の目を」「落っことしてしま」ったまま家路についたにちがいない。子どもの時の貴重な「現在の瞬間を犠牲」にしてしまって……、と哀れんだものだ。ひょっとして、同じことをしていないだろうか。
 カメラが普及し、われら大衆が写真文化を手中にしたことに異を挟む気は毛頭ない。しかし、引き換えに「現在の瞬間」をわが心奥に刻み込む機会を逃してはいないか。かけがえのない刹那のその場をまるごとわが身に取り込む感性を置き去りにしているのではなかろうか。もちろん、風をも撮し取れるプロパーやそれをめざす求道の人は例外に属すとして。
 綺麗だから撮すから、綺麗だからじっと見るに少しだけシフトしてみてはいかがであろう。記録よりも記憶を残す。写真は情報だからどれだけ経とうとも変わりはない。だが、記憶は千変万化する。人生の歩みとともに構図も配色も匂いも、吹いていた風も変わる。あるいは被写体自体が入れ替わることだってある。でも、それこそが滋味ではないか。残す値打ちのない記録しか持たない稿者には、経年変化の記憶の方がよほど居心地がいい。
 取り散らかされた“目玉”に、そんな妄念が湧いた。 □