最近、テレビをほとんど観なくなった。 理由は、面白くなくなったから。
一般的に世間で言われている理由と同じだ。
でも、テレビ自体はあるから、たまにいろんな番組を観てみるけど、やはり面白くないな、とまた観なくなる。
今は、CS放送のスポーツ中継をたまに観る以外は、ほぼYouTubeだけを観る生活に変わってしまった。
YouTubeがここまで面白くて、テレビが面白くないのは、やはり視聴者の反応を常に意識できるか否かの違いだろう。
YouTubeは、グッドマークとバッドマークがあって、視聴者の反応が即座に反映される。
YouTuberは、グッドマークが多くついた動画の傾向を強め、バッドマークが多くついた動画の傾向を弱める。 自然と、視聴者が面白いと感じる動画が増えていく流れが出来上がっている。
一方、テレビは、ブラックボックス化された視聴率に踊らされている。とりあえずついている、または放映権の地域的な側面から、かなり偏ったものになっていると想定できる。 そして、近年ではテレビ番組に寄せられる一部のクレームを拾い上げて反映されるため、抑揚のなく、面白みもない番組が量産されている。
今のテレビ番組には、ほとんど表現の自由がないと言っても過言ではない。
暴力的なシーン、暴言のシーン、性的なシーン、ハラスメントのシーンは、実映像であろうとドラマやアニメであろうと、次々と排除されている。
とはいえ、ある程度視聴率が取れる刑事ドラマは、残酷な殺人シーンや暴力シーンが放映される。結構、目を背けたくなるシーンや、犯罪を助長するのではないかと心配になるシーンもあまり規制されていない。
暴言のシーン、性的なシーン、ハラスメントのシーンの方が実社会においては軽い犯罪なのに、その表現が規制され、重大犯罪の殺人事件のシーンは野放しにされる、という大きな矛盾を抱えている。 性的なシーンなどは、一般の大人が日常生活で日々行っていることであり、規制するのはそもそも感情の問題でしかない。
論理的、合理的に考えれば、実社会の罪の重さに応じて、表現も規制されてしかるべきだろうが、テレビは、視聴率を支えている熟年層の好みと価値観に合わせており、論理性と合理性が崩壊している。
一部のマイノリティーのクレームに合わせて番組を作り続けているテレビは、これからも右肩下がりになっていくはずである。
その一方で、YouTubeで作りだされるチャンネルは、視聴者の需要を即座に反映させて、より面白い動画が増えていくはずである。
テレビが変わるには、スポンサーのランダム化や視聴数表示、評価表示などを導入しなければならない。 それを実現できなければ、近い将来、テレビは、YouTubeよりもはるかに小規模なメディアになるだろう。