伝説のブログ

スポーツや音楽、社会批評など、感じたことを語ります。

幻の日本人初の大リーガー野手 野村謙二郎

2015-02-28 15:44:36 | プロ野球
 同時代に前田、江藤、金本らがいたせいで、私から見た野村の印象は意外と地味なのだが、最多安打3回を誇る安打製造機で、盗塁王3回を誇る韋駄天だった。トリプルスリーも達成したのだが、本塁打数はその年だけ突出していて、よく1チャンスをものにできたものだ。
 全盛期は、大リーグ入りの可能性もあった。日本人初の野手としての大リーガーは周囲の反対で断念したが、時代が今なら大リーガーとして活躍していただろう。
 監督として広島のチーム力を年々高めてきて、指導者としての能力の高さも実証している。

野村謙二郎 記録と伝説
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必殺ヨシボールを生み出した奥尻島の英雄 佐藤義則

2015-02-27 22:05:37 | プロ野球
 私のイメージとしては山田久志からエースを引き継いだ男だ。
 指が短くてフォークボールが投げられなかったことから、親指と人差し指でフォークボールの握りで挟んで、フォークボールのように投げるヨシボールを開発。恵まれない手であるからこその知恵で息の長い活躍に結び付けた。
 奥尻島での大地震の際は、佐藤の活躍が勇気づけたし、その2年後の阪神大震災の際も佐藤は、ベテランの力を見せてリーグ優勝に貢献した。
 40歳でまさかのノーヒットノーランを達成したのには、驚いたと同時に本人の力以上の何かを感じた。

佐藤義則 記録と伝説
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サイドスローのスーパーエース 斎藤雅樹

2015-02-26 22:59:59 | プロ野球
 巨人でともにプレーした落合博満が斎藤を「スーパーエース」と呼んでいた。全盛期の斎藤は、まさに巨人の大黒柱だった。桑田、槙原と並んで三本柱と評されるが、シーズン20勝を達成したのは斎藤だけである。
 通算勝利数も、他の2人よりも多い。桑田の投球術、槙原の剛速球に比べ、インパクトに欠けてしまうのは仕方ないにしても、サイドスローからの威力ある直球とコントロールと切れのあるスライダーは素晴らしかった。
 全盛期は、斎藤が先発だと勝ちが計算できたし、序盤にKOされることもまずなかった。涼しい顔で完投する姿は、憎らしいほどであった。あの安定感は、今で言えばダルビッシュやマー君に匹敵する。
 通算200勝達成まで現役を続けるかと思いきや、あっさりと辞めてしまったところも、斎藤らしい。

斎藤雅樹 記録と伝説
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野球の求道者 桑田真澄

2015-02-25 19:00:33 | プロ野球
 私が野球を好きになったのは、まぎれもなくこの人のおかげだ。私の記憶に残っている最初の試合は、PL学園の1年生エース桑田が猛打の池田打線を完封した伝説の試合である。
 1994年の10.8は、私が今まで見た試合の中で最も好きな試合だし、プロ野球選手としては決して大きいとは言えない体で向上心を持ってひたむきに努力する姿、1つ1つのプレーで常に全力を尽くす姿は、私の目指す人物像であった。今でもその姿は、一貫して変わっていない。
 いずれ野球殿堂入りするであろうが、その時期が早く来ることを願う。

桑田真澄 記録と伝説
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野球界の番長となったカリスマ 清原和博

2015-02-24 21:37:11 | プロ野球
 高校時代は、「甲子園は清原のためにあるのか」と評されたほど突出していた。清原以上の高校生は、前にも後にも出てこないだろう。
 プロに入ったら三冠王を何回獲得するんだろうと末恐ろしさを感じたものだが、まさか無冠で現役を終えるとは思わなかった。それでも、500本塁打以上したのだから、運も味方しなかったということである。
 プロ入りしてからブーマーのライバルということでキヨマーと呼ばれていた頃が最も輝いていた。
 巨人でKKコンビが復活したときには感動したものだが、番長と呼ばれるようになって注目された最後の無頼派選手と言ってもいいかもしれない。
 桑田と共に殿堂入りして、新たな伝説を作ってほしい。

清原和博 記録と伝説
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世界に誇るバントの名手 川相昌弘

2015-02-23 18:19:09 | プロ野球
 川相ほど自らの持ち味出しきって選手生活を全うした人はいないだろう。
 世界記録を樹立したバントは、本当に名手で、失敗するのはグラウンド状態が悪くバントが思ったより転がらなかったため、キャッチャーが二塁へ送球して間に合ってしまった、というアウトくらいなものだった。
 遊撃の守備も、上手くて、巨人が強いのは川相の守備が安定していたからと言い換えることもできる。打撃も、パワーこそなかったものの、しぶとく安打を放つ技術を持ち合わせていた。
 中日ではサードの守備固めとして、バントのスペシャリストとして、ここぞの場面での代打として活躍し、コーチとしても優勝に貢献した。
 世界記録を持っているだけに、野球殿堂入りは時間の問題である。

川相昌弘 記録と伝説
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台湾の国民的英雄 郭源治

2015-02-22 11:59:24 | プロ野球
 かっこいい投手として最初に思い浮かべるのは郭である。端正なマスクにスマートな体型、伸びのある快速球に気迫あふれる投球スタイル、そして、勝ったときの郭ダンス。何をやっても絵になる投手は、彼くらいである。
 1988年は、守護神として投げまくり、リーグ優勝を果たす。郭を守護神に抜擢したのは、星野仙一監督最大の功績である。
 先発としても抑えとしてもタイトルを獲得した万能投手であり、中日退団後は台湾球界のエースとして活躍し、台湾では国民的英雄である。

郭源治 記録と伝説
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名選手でも名監督でもあった岡田彰布

2015-02-21 12:33:55 | プロ野球
 名選手でも名監督でもあった。
 選手としては、バース、掛布、岡田のバックスクリーン三連発に代表されるように、阪神の主軸として一世を風靡した。阪神の日本一は、岡田なしでは達成できなかっただろう。
 また、新人として外国人選手とのレギュラー争いに勝利し、一気に日本を代表する打者にまで登り詰めた素質を持っていた。
 また、監督としては、今では伝説となったJFKを作り上げ、リーグ優勝を成し遂げた。

岡田彰布 記録と伝説
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優勝チームに名捕手あり 伊東勤

2015-02-20 18:37:12 | Weblog
 「優勝チームに名捕手あり」という言葉を定着させたのは、伊東の功績である。現役期間中、14回のリーグ優勝、8回の日本一に貢献しており、今後これを超える捕手が出てくる可能性は限りなく低い。
 打者としても、勝負強さが際立っていて、野茂英雄のノーヒットノーラン寸前の試合で、赤堀から逆転サヨナラ満塁本塁打を放った場面は鮮烈に記憶に残る。
 監督としても西武を率いて1年目で日本一を達成。西武一筋の現役生活ながらロッテの監督に就任したのも、伊東の野球に対する造詣の深さを示している。

伊東勤 記録と伝説
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常勝軍団のチームリーダー 石毛宏典

2015-02-19 21:53:59 | プロ野球
 1980年代から1990年代前半にかけて、プロ野球の主役は西武であった。チームリーダーとして牽引していたのが石毛で、守備の要の遊撃手であり、打者としてポイントゲッターでもあり、盗塁数も多く、ムードメーカーでもあった。
 プロ野球選手としてすべてが揃っていたと言っても過言ではなく、石毛の入団で西武の黄金時代が始まり、石毛の退団で西武の黄金時代が終わった。
 主要3部門のタイトルを獲得せずにシーズンMVPを獲得できたのは、そうした万能ぶりの総合力が評価されたためだろう。

石毛宏典 記録と伝説
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