とんねるずの石橋貴明が演じた往年の人気キャラ「保毛尾田保毛男」が批判を浴びている。
当時とは時代が変わっているから「性的マイノリティー」をネタに笑いをとるのがけしからん、とネットを中心に騒動になっている。
ネットでは、何か刺激的な出来事があると、一気に広がる。ネットをストレスのはけ口にする人々が増え続け、叩く対象を常に待ち構えているからだ。
「保毛尾田保毛男」も、ネットでニュースになることによって、大きく広がって行った。
確かに同性愛者にとっては、「保毛尾田保毛男」は、素直に笑えないキャラかもしれない。
しかし、待てよ、と思う。
そもそも、お笑いとは、マイノリティーを茶化すことによって生まれるのではないか。
マジョリティーをネタにしても、笑いはとれない。マジョリティーの理性とは異なるマイノリティーをネタにすることによって、笑いが起きるのだ。
漫才やコントは、ボケ役が馬鹿や変人といったマイノリティーを演じ、ツッコミ役がマジョリティーの正論で指摘することによって、笑いが起きる。
なのに、なぜ、馬鹿や変人というマイノリティーから批判が来ないか。
それは、馬鹿や変人が自らを馬鹿や変人と思っていないからである。お笑いとして大きく誇張することによって、自分は、あそこまで馬鹿であったり、変人であったりはしない、と思えるからだ。
しかし、性的マイノリティーは、明らかに自分でも分かるものだから、「保毛尾田保毛男」を見ると、どれだけ誇張されていたとしても、自らを笑いものにされているように感じてしまうのだ。
それでも、今回のように大きな騒動となることは、同性愛の性的マイノリティーが世の中に認められてきた証と言うこともできる。
性的マイノリティーにもいろいろあって、少年少女愛の性的マイノリティーは、日本では認められるどころか禁止される方向にどんどん進んでいる。犯罪に結び付きやすいためだろうが、たとえ生まれ持っての性的マイノリティーであったとしても、世の中に認められることはなく、差別され、馬鹿にされても抗議すらできず、隠れているしかない。
いつか「ロリコン」と馬鹿にしただけで、「ロリコン」の性的マイノリティーが抗議して、世間の賛同を得るほどの時代が訪れるのだろうか。
同性愛の性的マイノリティーが、お笑いでその役柄を演じられただけで抗議するという社会は、まだ同性愛の性的マイノリティーが自らを差別されていると認識できる状況だからであろう。
たとえば、同性愛の性的マイノリティーの男性がコントで女性を好きな男性を演じたとしても、性的マジョリティーは抗議しないのだ。
そういう考え方をすると、「保毛尾田保毛男」を見て、そんな奴おらへんやろ、と性的マイノリティーが笑える世の中に成熟してほしいものである。