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大卒が増えたけどGDPは上がらない

ここ20年で大学の進学率が上がり、全入時代に突入した。20年前の大学進学率が25%程度だったはずで、少子化を考慮しても生産性が上がっているはずだ、がそうではない。

企業の研究開発費や営業の需要が急上昇することはないわけで、大卒でもブルーカラーになりうることは想像できる。

とわいえ、製造現場の機械化は驚くべきスピードで進んでおり、トヨタの「カイゼン」じゃないけど恐ろしく効率化されて求人が無いのかも。
もうこうなると工場採用は高卒か大卒かは関係なくて、人物重視とか器用さで選ばれるんじゃないか。

就活がいろいろと問題になっているけど、その根本は高学歴の人材が増えているにも関わらず、国・企業としての生産性は上がっていない、というか不景気ということに尽きると思う。

 

デフレと不景気とどっちが卵でどっちが鶏かは知らないけれど、国全体の生産性が上がっていない中で大量の高学歴新人が排出されても上場企業は吸収できないと思う。

 

一方で名前を聞いたことがないような中小企業群での求人倍率は4倍という。

少なくとも理系教授は推薦とやらをすることだ。学生もそれを甘受することだ。放蕩であった僕も教授の勧めで誰も知らないメーカーで就職をした、結構でかいというかシェアを持ったメーカーだった。そこを探すよりは自然と辿り着けるシステムを温存するほうが良い様な気がする。

 

話を元に戻す。大卒が増えたけどGDPは上がっていないし、景気(企業決算)も良くない。ということは企業の採用人数は変わらないということだ。しかし学生は増えている。ということは自ずと潮流と対策は見えてくる。

就活の悲劇は自尊心の高い学生が自演しているだけだ。エントリーを数百社に送るより教授推薦をお願いすることだと思う(理系限定)。 

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コメント
 
 
 
Re:大卒のレベル低下 (リーマン)
2012-11-11 07:07:13
 こんにちは。

 確かに大学進学率は上がりましたが、それは単に大卒者が増えただけで、(20年前の)「学士相当」の人間が増えていない、だからGDPがあがらないという事なのではないでしょうか。

 今は自分の名前さえ書ければ入れる倍率1倍以下の大学があちこちにあって。親に一定の財力があればどんなバカでも大学にいけます(また、日本には奨学金制度が存在しない分奨学ローンが発達しており親に財力がない程借りやすいので、事実上貧富の差なく大学には進学可能)。

 問題は勉強する気のないバカが大学に進学し、資質も教養もないまま学士号を手にして社会に出て行こうとする事で。そういう連中はもとよりブルーカラーに就く事は必然で。

 生産性の高い学生はごく一握りで。だから就職希望の学士(修士、博士)は増えたけど、生産性の高い人を求める企業のスクリーニングにはひっかかってこない。

 ところで、私は最近国内の専門商社に転職したのですが。親会社(財閥系商社)とは定期的に会議があり、そこで毎回どこの部署となく出るのが「人材が足りなくて」との言。

 最近は応募してくる学生の数も増えているけれども、1stスクリーニング(書類・学歴によるフィルターあり)を通過した学生を筆記で試すと基準以下の方が大量にでるそうで。面接に進む事のできる「学士に相応しい知性、教養、(最低限の)専門知識」をもった学生が減っている、という事のようで。

 就活の悲劇を減らすために、大学4年次初頭や修士2年初頭に全ての学士(修士)を対象に国が「統一テスト」(一般教養や常識問題)でもやるべきだと思う。
 大学1~3年間で相応しい能力を培ってこなかった人は学士を取る事ができない。そういうシステムを国が作ってしまえば学士不相応な学生は学士としての就職を探さなくても良くなる=就活の悲劇は無くなる。

 何故大学に学士の学位審査を厳しくする事を求めないかって?底辺バカ大学に進学する子の親のバカ率が高いから。テストの点数が基準を満たしていない事や出席率が足りない事を理由に単位を与えないだけで親から抗議される、というのが底辺大学教員のさらされている現状です。
 
 
 
企業としての生産性 (wood)
2012-11-11 23:18:07
リーマンさんお久し振りです、コメントありがとうございます。

>生産性の高い学生はごく一握りで。

僕は落ちこぼれだったのですが、結構開発の仕事をやらせてもらいました。とはいえエリート意識が皆無かといえばそんなことは無く、若い頃は先輩に恵まれてがむしゃらに頑張りました。やらされ感はなく、仕事への意識は低くなかったと思います。
例えば研究所にも高卒や高専卒の先輩が居て、院卒・大卒が引っ張るという階級社会でした。

個人の能力では無いと思うのですよ。企業の開発力や資源投入先の優先度が、院卒の人材が多いが故に散漫になっているような。人材を選別して叱咤激励する悪いシステムが崩壊した代わりの人材育成ビジョンがまだ整っていないと思います。


>生産性の高い人を求める企業のスクリーニングにはひっかかってこない。

出来上がっている人材を買ってきてそいつに仕事をやらせるというのは妄想だと思うんですよね。

悪い例かもしれませんが飲みに連れてってくれる先輩に忠誠を示し、飲みに来る後輩に親切にする。こういうメンタリティで微妙な職工技術の伝承が行われると思うのですよ。
コミュニケーションが下手な仕事人が「職人」というのは間違いだと思います。「これから何をするのですか?」という質問に適切に回答できない先輩は一匹狼で、(3人寄れば文殊の知恵じゃないけど)グループ長は務まりません。生産性は個人能力に依存します。
グループであれば当然ですが生産性は激増します。

企業が余剰人員を含めて採用して、そこからエリートを選抜するというスタイルが今後は期待できないのは理解できますけど、逆にエリート選抜から落ちた方は給料が上がらないというシステムにしておけば勝手に転職するのではないかと思っています。


>底辺大学教員のさらされている現状です。

僕は少なくとも2次選抜以上しか担当していないのでよく分かりませんが、伝え聞くに「子供のような」学生が多いとは聞いています、常識が無いのだとか。

まぁそういうのは企業の地位によって学歴でふるいをかけられるので、いい意味で学歴社会なのではないでしょうか。

 
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