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公務員に効率を求める矛盾

標題の件、私は公務員ではないので妄想のネタです。

常々思うのは業務の文書化の効率性における妥当性だ。ISOを取れば大きい会社では専任の人が1人では無いであろう、ISOの基本的な考え方は文書化であり効率よりも間違いを恐れる。効率化を急ぐ余り現場での意思決定は間違いを引き起こすことがあり得る。効率化やスピードは間違いや意思決定を冒すリスクと反比例するのだ。

少し具体的に考えよう。品質の一定しない製品を作っている現場の課長が歩留まり向上のために仕様を少し変える権限を持つとする。すると生産性を重視する余り、本来仕様に求められている性能をスポイルするかもしれない。またユーザーが「これは頼んだ製品と違う」とか言われかねない。また現場の課長が大チョンボしたときの責任の帰結が分からなくなり組織が制御できなくなる。

小さい組織であれば現場の課長は読み誤らないであろう、しかし関係する部署が多くなると開発途中にも突っ込みたくなる「それでは売れない」と。製品の仕様やコストの掛け方、設備投資は多くの部署に影響が出る。その進行が透明で無いと、間違いや流行の変化を指摘できない。そのためにも文書は必要なのだ。しかし文書化はコストや時間がべらぼうに掛かるのは事実。

文書を滑らかに通すために根回しも必要になろう。いきなり奇抜な提案をするのではなく、根回しをしてその奇抜な提案を理解してくれるかを小出しで反応を調査して、そのままの仕様で行くか少しマイルドに調整するかという判断が製品を上市するには必要であろう。各部署における整合性も必要なので各部署向けのペーパーも必要だ。

要は間違いがなく、間違わないと理解させ、他部署にも得だとアピールし、かつ誤謬が無いことが重要な場合、文書は非常に便利なのだ。

もうお分かりであろう、公務員は文書化の権威なのでこのようなことが行われていることが想像される。省庁や役所のWEBサイトには文書が盛り沢山で、非常に親切だ。そして矛盾があってはならない。

公務員に効率性を求めるなら、これらの文書に対する正確性や誤謬はスポイルされなくてはならない、というか両立は無理。

この文書化によって間違いや税金の無駄遣いが分かるシステムになっている。だからこそ議員や民間団体が文書により無駄を指摘できるシステムが構築されている。公務員に仕事のスピードを求める事はこれら文書化を否定することであり、透明性をスポイルする主張と言わざるを得ない。また各部署の整合性を重視するので予算がもう既に要らない状態になるのは仕方が無い。文書でやると言った以上やるしかないからだ。公務員の知見で勝手にやらなくていいのならそれはもっと困ることになるであろう。

「予算を使い切る工事」という批判もある、効率が非常に悪いと。しかし予算と言う性格上均等に使い切るのが良いのか?年度末に地震などの災害がでても「もう予算がないから」で放っておいてもいいのか。地震が特別だというなら、道路に穴があいても「もう予算使い切りました」という理由で放っておいてもいいのか。家計でも不備の事態を想定して貯金をするものだが、役所の予算は単年度なので年度内貯金が必要、そうすると工事が年度末に集まる必然性があるというもの。優先度の低い仕事は年度末に回すという知恵なのだ。

上記はアルバイトを半年でもすると分かるような気がするのだがどうであろう。あまりに程度の低い公務員批判は公務員の批判耐性が付くだけであり、モラルを下げるだけだと思うんだよね。

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