忘れる前に感想を書き留めておかないと、後でどういう感想を最初に聴いた時に持ったのか、忘れてしまう。備忘録としては書かない訳にはいかない。
・ビクトリアの宗教作品集 ヌーン指揮 アンサンブル・プルス・ウルトラ
多くの曲が初録音に近く、聴き比べができない。ヌーンやアンサンブル・プルス・ウルトラを聴くのも初めてである。華美に走らず、小編成の透明度を生かした演奏だが、ポリフォニックであるデュファイやオケゲムと違ってトレント公会議の決定(過度なポリフォニーの禁止)の影響を最も被る厳格なカトリック国家スペインの作曲家であって、ホモフォニックな部分の多いビクトリアには小編成、透明度の高いアンサンブル、というのはどうなのであろう?法王直下で自由な気風のイタリアにいればこそ、パレストリーナはポリフォニックな部分の残る曲を作ってもお咎めなしだったのだが。当時のスペインは強盛を誇った国でもあり透明度の高い侘しい演奏というのはちょっとイメージから外れている気もする。シックスティーンやヒリアード・アンサンブルのビクトリアをもっと聴いてから結論を出したい。ビクトリアの曲自体は言うまでもなく素晴らしいもの揃いである。数少ないオルガン・ソロのある曲などは感動的だ。王室、教会の祝祭の際に作曲された声部の多い曲も含まれている。宗教的でありながら、華美、という演奏があっても良いと思う。
・チェリビダッケ・エディション
結局、4つ全部買った。しかし、結論は自分には合わない、であった。もともと苦手なヴェルディのレクイエムはとても長くて拷問に近かった。もちろん、素晴らしい演奏もある。しかし、多くの場合無理矢理なスローテンポに聴き疲れがした。オーケストラの美しさは伝わっては来たものの、当然ながら録音絶対拒否の指揮者である以上、本格的なライヴ録音ではないのでそれも減殺されている。コンサート会場にいればきっと感動できるだろう。モーツァルトのレクイエムなど、ベームよりは好感が持てた。一番苦手な指揮者と比較するというのも何だが(笑)。ブルックナーの緩徐楽章はさすがという表現が多い。チャイコフスキーもこういう演奏に適性があると思う。ハイドン、プロコフィエフ、ショスタコーヴィチは辛かった。バルトークはドライでスタンダードな演奏と違った演奏のあり方を示していたようにも思う。ルーセル、オネゲルの交響曲あたりを聴いてみたかった。
・ヒンデミット 室内協奏曲集 アバド ベルリンPo
グラモフォンとCBSが多いアバドだが、何故かEMI録音。安く買える分、録音はイマイチである。ただし、ラトルのように激怒するほどはひどくない。鑑賞に不満はない程度はキープされている。ドライでサバサバな音楽をアバドとベルリンPoはやすやすとドライブしていく。ただし、ちょっと肉厚すぎる感じがする。というのも、超ドライなケーゲルのヒンデミット、ストラヴィンスキーに触れてしまっているからだ。シャイーとコンセルトヘボウはどうであろうか?マーキュリー時代のドラティが録音していたらケーゲルに勝るとも劣らないドライっぷりを見せつけてくれただろうか。それともスクロヴァチェフスキーはどうか。ヒンデミットは今後も集めていきたい。
・メシアン・エディション(ERATO)
後にメシアンは他社の録音に協力するようになったが、本来はこの会社と仏EMIがメシアンの本拠地であり、最もオーセンティックな録音といえる。ピアノと歌曲の充実に対し、管弦楽とオルガンは枚数が少ない。Y.ロリオのピアノはスタンダードといっていいもの。入門にはベストなものだったかも知れない。ナガノ・ベルリンPoのトゥーランガリラは細身でドライ。官能性を取り除いた演奏で、これはこれで一つの方向性であると言えるが、個人的には好きではない。小澤征爾、シャイー、サロネンが懐かしくなった。オルガンはアラン。これが予想外にいい。もしかすると、より新しい録音群よりいいのかも知れない。それなのにたったの1枚。これは残念だ。世の終わりのための四重奏曲は悪くはないが、タッシのほうが親しみが持てた。聴き慣れているせいもあるのかも知れないが。歌曲とピアノ曲、ピアノを含む管弦楽曲の評価は比較する演奏を入手してからにしたい。
・モンポウ・プレイズ・モンポウ(Briliant)
エンサーヨ時代から欲しかったもの。ドビュッシーとサティに影響を受けていることは間違いない。この作曲家の演奏はいかに余韻を響かせるか、というのがポイントになるのだろう。いうまでもなく、ピアノの技術自体はラローチャ、マソとは比較するものではない。ただ、余韻の響かせ方はこれを参考にすることになるのだろう。ストラヴィンスキー、ミヨーのように作曲者がそれなりのレベルでステレオ録音を残した意義は大きい。ただし、全曲が名曲ではないことは指摘しなければならない。ショパンの主題による変奏曲は長いだけに辛かった。