わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

紹介文を紐解く「彼自身の強い推薦」

2011年06月16日 | 太平洋序曲2011年公演
「彼自身」つまりソンドハイム氏ご自身が2000年10月に新国立劇場で上演したバージョンをアメリカ(ブロードウェイ)で上演したいとおっしゃったというわけです。
この内容は、あちらこちらのメディアで取り上げられました。もう、すぐにでも上演できるような勢いで報道されました。

日本はオペラ、ミュージカル、オーケストラとお引っ越し公演をどんどん受け入れている国です。逆方向だってすぐに出来ると思いますよね。

ところが、ブロードウェイはそう簡単に受け入れてはくれません。舞台俳優ユニオンなどの労働組合が大きな壁となって立ちはだかったようです。

ニューヨークといえば、世界から人々が集まり、切磋琢磨し、素晴らしい舞台が出来上がっているという印象ですが、意外にも保守的な面があるのです。

ソンドハイム氏は商業施設ではない劇場を探して上演させて下さったようです。
それで、リンカーンセンターのフェスティバルの期間中に上演することになりました。

これによって、キャストとオケは日本人が日本での舞台と同じようにパフォーマンスできるようになりました。が、スタッフはそれができなかったそうです。
このニューヨークのリンカーンセンターの公演のために、日本からキャスト・スタッフ55人が渡米したと記憶しています。直接舞台上に関係するのはキャストが19名プラス2名構成だったので21名、オケが8名。ですから、スタッフがどれほど舞台を支えているかがわかります。そのスタッフが、指示はできても手は出せない。
「太平洋序曲」はとても細かいきっかけ(パーカッションがそれを担当するところもあるらしい)のオンパレード。そのきっかけを「今」と日本人スタッフが指示を出して、アメリカ人が機械を操作する。神業的なリレーで何とか乗り切ったようです。
日本人って本当に忍耐強く、細かい作業が得意なんだと思いました。


次の話はもしかしたら日本人バージョンの時ではなく、亜門さんがブロードウェイ・デビューの時の話かもしれません。亜門さんが、どこかでお話になったのを聞いていますが、ちょっと時期がはっきりしません。

まあ、ミュージカルの本場で仕事をしているアメリカ人からすれば、「日本人なんて」という気持ちと、ユニオンが強いということからわかるように「仕事を取られる」という危機感からもあったのでしょう、なかなか予定通りに事が進まないのです。進ませてくれないといった方がよいのかもしれませんね。
ところが、劇場にソンドハイム氏とジョン・ワイドマン氏がやってきて、亜門さんと親しく話をしている様子を見た途端、今までの態度が豹変。その後はすべて順調に行ったそうです。

「彼自身の強い推薦」

アメリカにも、「葵の御紋」が存在するのだなぁ、と思いました。

アメリカは自由の象徴のようにいう人たちが多いのですが、本当にそうなのかなぁ、と思う一面に触れた気がしました。


と、話しましたが、2000年10月と2002年7月の間には、2001年9月11日があったことを忘れるわけにはいかないでしょう。
この話をしないで終わらせるつもりか、と言われそうですが、折に触れ書いていますので、ここではあえて話しません。
舞台をご覧になって、「今」も感じて頂きたいですが、是非、「2001年9月11日」後、半年ぐらいのことも思い出して頂けばと思います。

「生きていたら、また、会おうね。」という言葉があまりにも重かったあの時。成功を信じながらも、何より、ご無事で・・・と祈っていました。

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