わまのミュージカルな毎日

主にミュージカルの観劇記を綴っています。リスクマネージャーとしての提言も少しずつ書いています。

祝 優勝

2009年09月24日 | 雑記
いつから巨人ファンに???と思われた方もいらっしゃると思いますが、お祝いしたいのは、

ウエスタンリーグでの中日ドラゴンズの優勝

です。
うわぁっ、地味。
でも、ファームの優勝は必ず一軍の力になりますから、とてもとてもとっても大事なことなのです。

ファーム日本選手権が10月3日に開催されます。
高木コーチの写真は、この日までブログに掲載したいと思います。
どうぞ、よろしくお願い致します。

また、この試合の模様は J SPORTS で放映されます。
詳細は、こちらです。http://www.jsports.co.jp/program/info/29847.html
是非ご覧下さい。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大島宇三郎さん

2009年09月20日 | 俳優情報
大島宇三郎さんは、本多劇場(下北沢)に於いて、2009年10月28日~11月2日の日程で、JOE Company「ろうろう」にご出演の予定です。

(以下、敬称を略させて頂きます。)

作・演出:小野寺丈
照明:佐々木睦雄(佐々木照店)
音響:平田忠範(GENG-27)
舞台美術:藤澤イサオ
キャスト:東新良和(ジャニーズJr.)  恒松あゆみ 臼間香世  小野寺丈  植松洋  夏井世以子(Theatrical-Cantabile) 大場達也  成瀬優和(サニーサイドウォーカー)  CHIKA  田村まどか  今井里美  SATOMI 内田薫里  園田真子  平山亨  広瀬謙  藤田千穂(かもねぎショット)  滝上裕二 岩原明生  天野ユウ(演劇制作体V-NET)  帆足桃子  島田喜之  村山たか緒 池田亜衣子  尾畑美依奈  田上雅晴  飯田裕之 大島宇三郎
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

広田勇二さん

2009年09月20日 | 俳優情報
広田勇二さんは、以下の日程で音楽座ミュージカル「泣かないで」にご出演の予定です。

2009年12月19日~12月29日 東京芸術劇場・中ホール
2010年1月16日・17日 グリーンホール相模大野
2010年2月6日・7日 シアターBRAVA!

(以下、敬称を略させて頂きます。)

原作 遠藤周作「わたしが・棄てた・女」

その他詳細については音楽座HP

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

佐山陽規さん、岡田誠さん

2009年09月15日 | 俳優情報
佐山陽規さん、岡田誠さんは、以下の日程でミュージカル「ウーマン・イン・ホワイト」にご出演の予定です。

2010年1月12日~1月24日 青山劇場
2010年1月30日・31日 シアターBRAVA!

(以下、敬称を略させて頂きます。)

作曲 アンドリュー・ロイド=ウェバー
作詞 デヴィッド・ジッペル
脚本 シャーロット・ジョーンズ
演出 松本祐子
翻訳・訳詞 竜真知子

主なキャスト  笹本玲奈 田代万里生 大和田美帆 岡幸二郎 和音美桜 パク・トンハ 光枝明彦

09年7月16日の記事に追記しました。
詳細は佐山陽規さんのHP

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岡田誠さん、原慎一郎さん

2009年09月15日 | 俳優情報
岡田誠さん、原慎一郎さんは以下の日程で、ブロードウェー・ミュージカル「ミュージック・マン」にご出演の予定です。

2010年4月23日~5月5日 東京芸術劇場・中ホール
2010年5月8日~5月20日 新国立劇場・中劇場

(以下、敬称を略させて頂きます。)

脚本・作詞・作曲   メルディス・ウィルソン
原作        メルディス・ウィルソン/フランクリン・レイシー
演出        鈴木裕美

主なキャスト
西川貴教 彩乃かなみ 植木豪 竹内都子 今井ゆうぞう 佐渡稔 うつみ宮土理
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

園岡新太郎さん

2009年09月15日 | 俳優情報
園岡新太郎さんは、博品館劇場に於いて、09年11月7日・8日横山智佐奮闘公演 「ちさりさいたる」にご出演の予定です。

詳細は園岡新太郎さんのHP
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

治田敦さん

2009年09月15日 | 俳優情報
治田敦さんは、大阪・松竹座i於いて、2009年11月6日~11月25日の日程で「反逆児」にご出演の予定です。

(以下、敬称を略させて頂きます。)

主なキャスト
三郎信康:中村 獅童  徳姫:南野 陽子  小笹(しの):酒井 美紀  久米平四郎:金子 昇  減敬:ヒロシ  天方山城:八十田 勇一  織田信長:沢 竜二  築山殿:波乃 久里子  徳川家康:平 幹二朗

詳細は治田敦さんのブログ

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 多分・完

2009年09月13日 | 雑記
この記事を読んで下さった皆様には、時の流れが伝わらなかったかと思います。
なぜかというと、私自身、高木コーチに再会したとき、約20年という時の流れを一気に飛び越した気持ちになったからです。
でも、この記事を書くために記憶をたどってみると・・・
高木さんが高校3年のとき、私は・・・
高木さんが9勝したあの年、私は・・・
高木さんが引退した年、私は・・・
本当にいろいろなことがありました。
そして、高木さんが引退してしまってからも、本当にいろいろなことが起こり続けました。
いろいろなことがありながらも、不思議と、高木宣宏さんのことは忘れませんでした。何かにつけ、思い出すのです。
前にも書いたように、工藤投手のがんばりもその一つです。
また、亡き父が、それほど野球が好きなら、と好きなときに球場に行かれるようにいろいろ配慮してくれたので、球場に行くと父のことを思い出すとともに、その最大のきっかけが高木投手を直に見たいという思いだったことも思い出すわけです。

その後も、熱心に応援した選手が何人もいました。(今もいますよ。)
が、高木さんを超える熱い思いはなかったですね。

高木さんの現役時代の投球をもし見ることができたら、多くの方が、私のこの気持ちを少しわかっていただけると思います。
本当にすてきな投手だったんですよぉ!!!!!

勿論、今もすご~~~く、ス・テ・キです。


最初に書きましたように、こんなに野球について語ることはもうないと思います。
でも、いつもいつもなんらかの形で関わり続けています。
多分、ここまできたら、おばあちゃんになっても「イチローはずごかった」とか孫に語っていると思います。

20年ほどの時を超え、高木宣宏さんに再会することが出来た奇跡を考えると、「諦める」という言葉を忘れようと思います。

体調があまりよくなくて、いろいろなことを諦めそうになっていた私に、
勇気

希望
そのほかたくさんのことを下さった高木宣宏さんに感謝をこめ、また、私の奇行が、来シーズンもその次のシーズンも・・・ずぅ~~~っと・・・続くことを願って、このシリーズを締めたいと思います。

それでは、また。

追伸
名古屋行きを後押しして下さり、球場でも大変お世話になったMさん、本当に本当に、ありがとうございました。また、いろいろ教えて下さったドラゴンズ・ファンの皆様にも心からお礼を申し上げます。また、いつの日かよろしくお願いします!!!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その8

2009年09月13日 | 雑記
高木さんがコーチになったことで、「コーチ」をはじめ、裏方のスタッフのお仕事にも興味が湧いています。

野球選手も年齢層が広いです。ファームは若手ばかりかと思いきや、ケガや故障やスランプなどからベテランもいます。
コーチもきっと、ひとりひとりに合わせて対応するんだろうなぁ。大変そうだなぁ、と思いました。

でも、試合中は、あまりいろいろ言わないみたいですね。一言、二言、声をかけるぐらいです。手帳を持っていて、いろいろ書いています。コーチとかは、運動能力というより、観察力や、分析力という能力がある人が向いているように思います。

そして、ブルペンキャッチャーに注目してしまいました。
本当に、大変な仕事だと思いました。

2009年WBCでは、松坂投手と横浜高校時代バッテリーを組んでいた小山良男さん(現、中日ドラゴンスのブルペン捕手)が、シャンパン・ファイトの途中、胴上げされたという話を聞きました。あの素晴らしい投手リレーを支えたのが小山さんだったのだということでしょう。
そんなことも頭の片隅に合ったので、ブルペンキャッチャーに注目してしまいました。
応援もなく、静かな試合なので、話し声もよく聞こえます。
投手が気持ちよくマウンドに立てるように、いろいろと工夫しているのです。

どんなスポーツもそうですが、周囲の支えなくして、選手の活躍はありえないのです。

丁度、夏休みに行った白馬のジャンプ台でもそんなことを思い出していました。高いジャンプ台の上の方は、風も強かったのです。
長野オリンピック、ジャンプ団体の決勝戦。悪天候の中での試合でした。1回目が終わったところで、悪天候のため一旦、中止となりました。
少し、回復したとき、日本のスタッフというのでしょうか、試技をするジャンパー達が、必死に良いジャンプをしたそうです。
良いジャンプが出来なければ、2回目は中止。1回目の成績で順位がついてしまい、日本の金メダルはありません。
日本に金メダルを・・・テスト・ジャンパー達はその思いを胸に飛んだそうです。

金メダルを手にしたのは、4人のジャンパーですけど、ジャンプ競技のスタッフ全員でもぎ取った金メダルだったんですよね。

どんなにコントロールが悪くても、「球、来てるね。いいよ、いいよ。」と声をかけるブルペンキャッチャー。
コーチと一緒に、マウンドに立って堂々とバッターに向かうピッチャーをどんな思いで見守るのでしょうか?

球場へ行くと、本当に楽しいです。次々と発見があります。
Mさんが、「ファームの試合の方が面白い」と話していましたが、なるほど、と思いました。
しかし、ファームの試合を見ようとは、野球を封印していなかったときにも考えられませんでした。こんな楽しみを私に下さった高木コーチには感謝です。
でも、基本的にコーチって全然注目されないですからね。まあ、それでこそチーム・プレーなんですけどね。

でも、私は最近どこのコーチも気になります・・・なぜでしょうか?
それは、多くのコーチの現役時代を知っているからでしょうかね・・・

球場にいると、ほんと~~~~~に、私って野球が好きなんだなぁ、って思います。
「バカ」が付くほどです、笑。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その7

2009年09月13日 | 雑記
ナゴヤドームでお会いしたMさんに、「今度はナゴヤ球場に行くといいよ。」とアドバイスを頂いたのですが、試合の日程を見るともう数回しかナゴヤ球場での試合はありません。そのどの日ももう予定が入っているのです。
来年までおあずけかな・・・
しかし、数ヶ月先も見えないプロ野球界のこと、出来るときにやっておかなければまた後悔するかもしれません。
そうは行っても、名古屋まで行くとなると、一日仕事です。

半ば諦めていたある日、Mさんから
「9月6日に練習試合があって、観戦できるよ」
と連絡が入りました。

その日なら、何とかなりそう!!!

と、名古屋小旅行に自信のついている私は、まだ厳しいかもしれない残暑に打ち勝つぞ!っと、ナゴヤ球場に行ってきました。

本当に、何やってるんでしょうね。
封印の時期が長かったので、それが解かれて、たががはずれると、もうフワフワと・・・というか、ビューっ、とどこへでも行ってしまうのです。

今度は、ブルペンがすぐそば。約3時間、高木コーチを堪能してきました。

何か、こう書いてしまうと、本当にすごい変なおばさんですけど、試合も見ていますよ。基本、野球が好きですからね。それに、見ていないと、ファウル・ボールが飛んできたりしたら危ないですからね。高木コーチに見とれて怪我しました、では洒落にならないです。

私がよく行く神宮球場もブルペンが試合をしているのと同じグランド上にあります。高木コーチの現役時代、中継ぎが多かったので、ブルペンを見る癖が付いていました。ブルペン周辺ではいろいろな動きがあるので、今でもよく見ています。
が、ブルペンをこれほどじっくり見ることは今までなかったので、すごく楽しかったです。

すごく近いので、ピッチャーが投げた球を目で追うことは出来ません。ただ、キャッチャー・ミットにボールが納まるときの心地よい音や、キャッチャーの「今のいいね」という反応でボールの行方がだいだいわかります。
あるピッチャーが準備に入りました。段々、熱が入り、仕上げの段階です。球は速いのですが、キャッチャー・ミットに納まる音がしません!変化球の場合、それもありですが、「ストレート」とキャッチャーからの声がかかっているのに・・・
登板するのかなぁ?と見ていると、次のイニングの頭からマウンドに登りました。

いきなり、打者二人に四球。
はっきりとボールになってしまっていますから、自滅か?と思いましたら、そこから立ち直り、無失点で切り抜けました。
厳しく言えば、練習試合なので、相手チームの打者も積極的に打ってくれますので、打ち取れたと言えます。
が、ブルペンでのあの調子の悪さでも、打者二人に四球でも、気持ちを切り替えて、思い切り腕を振って投げ込んだ姿勢に、将来のエースの片鱗をみたような気がします。
是非、がんばって欲しいなぁ・・・

でも、この投手は高木コーチの担当ではないようです。

さすがに二試合しか見ていないので、誰が誰の担当とははっきりわかりませんが、多分・・・という感じは掴めました。

担当コーチは、一軍に上がって、活躍してくれると嬉しいのだと思います。

先日も、対スワローズで高木コーチが担当していたと思われる投手が活躍していました。
複雑な心境です、苦笑。他のチームとの試合で活躍して下さい!!!

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その6

2009年09月12日 | 雑記
8月はじめに夏休みを利用して、長野の山に行きました。
丁度体調を試すのによいぐらいの山歩きをしました。
一番の問題は、翌日の体力回復にあるのですが、山歩きをし、夕食に一杯飲み、カラオケをして寝ました。
翌日も問題なく活動できました。
どうやら、体調は自分が思っている以上に回復しているようでした。

このことがきっかけで、名古屋日帰り観戦を企画する元気が出ました。

それでも、今一つ体調に自信がないので、ナゴヤ球場ではなく、ナゴヤドームにしようと考えました。真夏の暑さや日焼けは、その日より後で疲れを呼ぶことはよくわかっていましたので、ドームに行くことにしました。
が、ドームには大きな欠点があります。それは、ブルペンが客席からは見えない位置にあるということでした。
投手コーチは、投手交代の時にマウンドに行くコーチで、常に監督のそばにいるコーチもいれば、ブルペンでリリーフの用意をする投手を見守るコーチがいるのです。
中日ドラゴンズHPのファームのブログにある写真に注目します。ベンチに高木コーチがいない!!!やはりブルペン担当か・・・
かなり悩みましたが、動く高木コーチを見たい、という気持ちが勝ったので、ナゴヤドームへ行きました。

長年野球を見てきた甲斐があったというべきなのか、予想は的中し、高木コーチはブルペン担当でした。
それでも、ベンチに戻ってきた時や、最後のミーティング(ファーム特有ですね)のとき、しっかり動く高木コーチを見ることが出来ました。

どんな気持ちだったかは、言葉に出来ないです。

最初のうちは、カメラを持つ手が震えて、オートフォーカス、プラス、手ぶれ補正機能付きにもかかわらず、焦点がまったく合いません。

ナゴヤドームに行ったのは、丁度お盆休み。家族そろって観戦というファンで溢れていました。そんな中、本当に変なおばさんでした、笑。自分でも、他人が見たら、「この人、何???」だろうなぁとわかっているのですが、まあ、一生のうち1回ぐらいはこんな奇行も許されるかも、とちょっと開き直っての観戦でした。

そして、試合が終わり、ナゴヤドームの外をブラブラしているとき、お子さんの年齢からすると私と同世代と思われるファンの方に思い切って声をかけてみました。
なぜ、同世代かというと、高木コーチの現役時代を知らないファンでは「高木コーチを見に来ました」と言っても、そうとう引かれると思いますし、悪くすれば「高木コーチって誰?」ということになるからです。私だって、現役選手にキャーキャー言っている頃はコーチなんてまるで興味ありませんでしたからね。
そのファンの方(Mさん)の「高木コーチ、すてきですよね。」という反応に、相当気をよくし、いろいろ語ってしまいました。
この後も、Mさんには、本当にお世話になるのですが、比較的短い現役時代しかなかった高木さんが、多くの方の記憶に残る選手だったとわかって、とにかく嬉しかったのです。

こうして、私は満足してナゴヤドームをあとにしました。帰りの新幹線はすごく混んでいて、新横浜まで立っていたのですが、全然疲れませんでした。名古屋までならこれからもなんとかなるかもと、あまり付けてはいけないような自信を付けた、小旅行でした。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その5

2009年09月12日 | 雑記
驚く出会いは、以前も書いたので想像がつくと思いますが、高木宣宏さんが球界に戻られたことです。
このことで、封印は完璧に消え去りました。
たががはずれた、という噂もあります、苦笑。

しかし、なんで中日ドラゴンズのコーチなんでしょうか?
と、いろいろな意味でとても複雑な思いでした。
野球ファンなら、中日とWBCで、私の複雑な思いを察して下さると思いますので、敢えて触れません。

他のチームは一軍と二軍のスタッフを区別して発表しているのですが、中日ドラゴンズはしていません。
二軍だろうなぁ、と思いながら、ネットでいろいろ探し、やはり二軍とわかりました。
教えて下さったドラゴンズファンのSさん、ありがとうございました。
しかし、わかったらと言って、高木さんを見に行くことは難しいなぁと思いました。
二軍は、東西に分かれてリーグを組んでいます。
北海道のファイターズであれば、東京に来ます。が、名古屋のドラゴンズは・・・名古屋が一番東京寄りです。

いくら私が野球好きで、高木コーチのことを忘れていないかを家族が知っているとしても、名古屋へ行くのを許さないだろうなぁ、と思いました。
それに私自身も、5月以来、体調があまりよくないこともあり、暑い日に一人で名古屋まで行って、観戦するのは無理かもなぁと思っていました。

「高木コーチのことを忘れない」と書きましたが、多くの方がどうして球界を長く離れていても忘れなかったのか不思議に思うでしょう。
もちろん、私の性分というのもあります。
このブログを書くきっかけとなったミュージカル「太平洋序曲」の初演からかれこれ9年が経とうとしています。その時に出会った俳優の皆様を今も変わらず応援していますし、再々演の夢を捨ててもいません。
普段はとても淡泊な性格だと思うのですが、なぜか好きになると、特に一方的に応援しようと思うと、すっごくしつこい性格になるようです。

そして、高木コーチを思い出させてくれる選手が今も球界でがんばっているからです。
その選手は現在は横浜ベイスターズに在籍している工藤公康投手です。
高木コーチが広島カープ在籍時の試合で印象に残っているものもあるのですが、あの夏の甲子園での熱闘の印象の方が強いです。
今でも、目を閉じれば、北陽対名電の試合がはっきりと見えてきます。
ランナーを出す苦しい展開ながら、要所を締めていく高木投手。細い身体から渾身の力を込めて投げています。一球入魂・・・まさに高木投手のためにある言葉だと思ったものです。
がっしりとした身体もさることながら、高校生らしからぬ表情で、打者を威圧し、三振の山を築く工藤投手。
両投手とも左投げ、そして、大きく縦に割れるカーブを武器にしているという共通点もありました。
すっかり暗くなった家の周りとは異なり、甲子園では美しいカクテル光線が両投手の投げ合いを浮かび上がらせていました。
どうか、北陽が勝ちますように、高木投手の活躍がまた見られますように・・・
テレビの前での私の祈りも甲子園には届きませんでした。

延長10回、サヨナラホームランを打たれて、ゲームセット。
あの打球を追う高木投手の表情は・・・思い出すと涙が出てしまいます。

というわけで、工藤投手を見る度に高木さんのことも思い出すわけです。若い頃は、ライバルだと思い、あまり好きではなかった工藤投手ですが、今はそういう感情を越えて、尊敬し感謝している選手です。

話を戻し、名古屋へ行くかどうか、迷いに迷った末は・・・

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その4

2009年09月11日 | 雑記
2006年のWBCは勿論、ほぼ全試合をテレビ観戦しました。決勝戦は、「試合が終わるまで絶対に邪魔してはいけない」と大宣言をして、テレビを独占していました、笑。
また、このころから、球場に行きたいなぁ・・・という気持ちが強くなっていました。でも、なかなか実現できずにいました。

野球が割と好きな上の子は、行こう行こうと言い続けていたのですが、下の子を置いて行くのはちょっとかわいそうです。ルールが全く分からず、球場で3時間・・・無理です。

しかし、2009年WBCは下の子の野球嫌いを大きく変えていきます。

子供はあっという間に大きくなっていきます。
今、赤ちゃんを育てていて、つらいことがいっぱいあるママさん、そのつらさは永遠ではありませんから、がんばって下さい。
夜泣きの時なんか、永遠に私の睡眠時間がなくなるのではと思ったこともあります。
前に書いたように、子供が体調崩してばかりで、仕事にならない日々もあり、「仕事か子供か」と悩んだ日もありました。
でも、子供は確実に成長します。
あんなに「だっこ・・・」と甘えていた子供が、気がつけば私より背が高くなり、頭をなでてやることもなくなってしまうのです。
抱き癖が困るなんて贅沢な悩みです。抱っこでもおんぶでも出来るときはしてあげて下さい。「できるとき」というのは、親ができるのではなく、子供ができるときですよ。
本当に、あっという間に出来なくなってしまうのですから!!!
私は、今でも時々、半分ふざけてですけど、ぎゅっと抱きしめることがあります。
でも抱っこは無理。どちらか言うと私がしてもらえそう、笑。

このブログで初めて、「わーきんぐまざー」らしいことをいいました、苦笑。

というわけで、私の子供もすっかり大きくなり、大人として扱われることも多くなってきました。

上の子はそんな自分に気づいたのか、球場につれていかない私を尻目に、友達と球場に行き始めました。
家でも野球の話題が増えます。
自由研究とかで、WBCの特別ルールとかいうのを書いてしまうような子ですから・・・
私の育て方が良かったのか、どうか・・・苦笑。

下の子も、上の子と私の楽しそうな会話に割り込みたくてなんとなく聞き耳を立てています。

そんな時とちょうど重なるように、2009年WBCが始まりました。
北京オリンピックでの悔しさもあり、テレビの前でギャーギャー言う、私と上の子。ニュースも新聞もこの話題で持ち切りです。
下の子も、なんとな~~く、仕方な~~~く、テレビの前に座ります。

数試合見ながら、わからないルールがあると聞いてきます。
「なんで、敬遠して塁を詰めるの?」
「それは、タッチプレーとフォース(ホース)プレーがあって・・・」
私の身振りを交えたルール説明プラス思い出話で、小さい頃、球場に行ったことを思い出したようです。

決勝戦のころになると、一番のめり込んでいるのは下の子でした。
さらに一番心ひかれた選手が東京ヤクルトスワローズの青木宣親選手ですから、私としてはうれしいことです。

封印をした本人が封印を解き、私の球場通いがまた始まりました。
が、ナイターには行きにくいので回数は以前に比べるとまだまだ少ないです。

しかし、スポーツ選手の影響というのはすごいですね。子供たちのこの夏の読書感想文を提出前にちらっと読んだのですが、どこかで聞いたインタビューの内容が、感想文の中に織り込まれていました。
それを読むと、インタビューの内容も子供なりに噛み砕いて受け止めているんだなぁということがわかりました。

下の子の自由研究は、もちろん、2009年WBCのことでした。

そして、さらに驚く出会いが・・・

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その3

2009年09月10日 | 雑記
「しかし、ここで今思えば後悔してもしきれないことをしてしまいます。」

それは、大事にしていた高木宣宏さんの活躍を綴ったスクラップ・ブックや雑誌の切り抜きを処分したことです。

高木さんが引退して10年ぐらいは経っていたと思います。風の便りに、高木さんは普通のサラリーマンになっているらしい、と聞きました。ネットで探しても情報はほとんどありません。潮時かなぁ、という気持ちでした。
家族が増えると共に一緒に増える物に押されていましたので、泣く泣く処分することになりました。

スクラップ・ブックを作るなんて今では考えられないと思います。今なら、ネットでいろいろな記録がありますからね。
私も、今は、紙ベースで入手したミュージカルのチラシやチケットなどはすべてスキャナーでPDFファイルにして置いて有ります。プログラムそのものを持っているのはほんの限られた作品です。処分しなくてはならないときにつらいからですね。

高木さんのものも、あと少し持っていたら、PDFファイルにして持ち続けられたと思うと、後悔しても後悔しきれない気持ちです。
高校野球関係の雑誌で高木さんを取り上げた記事から始まり、ドラフト会議での結果の新聞記事、その後の試合結果はすべて綴っていました。
ドラフトでは広島、西武、ヤクルトが競合し、広島が交渉権を得るのですが、ヤクルトのスカウトが「左腕高木を逃したのは大きい」とコメントした記事がとても嬉しくて、スクラップ・ブックを作るきっかけとなったことを今でもはっきりと覚えています。

今は、CS放送の環境があれば、殆どの試合をテレビで観戦することが出来ます。しかし、あの頃は、広島カープの存在は本当に遠かったです。テレビ中継は対ジャイアンツ戦のときしかなかったですし、広島戦のラジオ中継は少なかったです。
情報収集で頼るのは、即時は「プロ野球ニュース」と「新聞」、詳細は月刊の「CARP」ぐらいでした。
こう振り返ってみると、本当に時代の流れの早さを感じます。
便利に、便利にとなっています。
それでも、きっと後悔する日はやってきてしまうのでしょうね。今の私は、いくつもの後悔を乗り越えて、今出来ることをしておこう、という思いです。

というとカッコいいですが・・・
コーチを追いかけて・・・はどうなんでしょうね、笑。

かなり横道にそれました・・・もとい。

野球観戦の封印をしている私でしたが、時代の変化は、私の野球への思いに大きく味方してくれるのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

封印を解く人 その2

2009年09月09日 | 雑記
二人目を出産しました。
ここで、封印か、と思われるでしょうが、まだ若かった私は上の子の手を引き、下の子を抱っこして球場に通っていました。
上の子はこのころになると、野球自体を楽しめるようになっていました。
ちょっと行くのは大変でしたが、楽しい野球観戦でした。

しかし、神宮球場は屋外、そしてナイター中心。

小さな子どもにとってはなかなか過酷な環境だったようで、体調を崩すこともよくありました。
仕事を持っている私にとって、子供の病気はどんな軽いものでも深刻な問題でした。
少しずつ、球場通いは減っていきました。

そんな状況もあったのか、下の子は野球に興味がなく、私がテレビで野球を見るのも嫌がるようになっていました。

丁度、サッカー人気も上昇していて、野球の取り上げられ方もどんどん少なくなる時期とも重なっていたのです。

それでも、オールスター、日本シリーズ、国際試合、甲子園の決勝戦などはテレビで見続けていました。

しかし、球場へはなかなかいかれません。時間の目途がつかない野球ですから、子供を置いて行くわけにもいきません。

仕事が忙しく、さびしい思いをさせる子供とは、遊ぶ時ぐらい子供の好きなことをやらなければ、母親として申し訳ないなぁという気持ちもあり、球場行きは完璧に封印し、野球観戦も特別な時を除き封印していました。

寂しい気持ちもありましたが、もうここですでにうん十年、ほぼ365日野球に触れてきたわけです。リーグ優勝の瞬間を球場で何度か味わいました。日本シリーズも何度も球場で観戦しました。テレビ観戦を含めれば、リアルタイムで、後世に語り継がれる試合に何度巡り合ったことでしょう。しばらくはお休みしようということで気持ちを整理しました。

しかし、ここで今思えば後悔してもしきれないことをしてしまいます。

(つづく)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする