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幡ヶ谷心中

2013-01-23 21:42:45 | Weblog
「幡ヶ谷には空がない」と、私は思う。地下鉄・京王新線の駅を出ると甲州街道とその上を通る首都高速が視界をさえぎる。気がふさぐ。2度と戻ってきたくない街並だ。
親の死とともに実家をたたき売って幡ヶ谷から逃れることができた私なのだが、あれから14年、久しぶりで訪ねてみると、実家があった土地は奥の敷地と合わさって4倍くらいの広さに3階建ての小ぎれいな木賃アパートが建ってましたな。




現在の住人には知る由もないことだが、私の両親とも自殺した家屋が建ってた土地である。外聞が悪い。私自身は小6から中高、社会人になっても9年間くらいは実家に寄生してたのだが、地元の友だちなんて一人もいねーぜ。
4歳から小6の途中まで住んでた横浜市の六ッ川台団地の方がよっぽど思い入れあるわ。

1970年代の郊外の団地には、収入・家族構成・生活レベルの似通ったサラリーマン家庭が多かったのに対し、↑画像の収入・資産分布図でお分かりのとおり幡ヶ谷は格差の縮図みたいな町なのだ。
渋谷区の中で京王線・甲州街道を越え北側の地域(本町・幡ヶ谷・笹塚)に入ると「いわゆる渋谷区」とは街並や住民の層がガラリと変わる。

アメリカ南部とメキシコの国境地帯の町では、その経済格差のため麻薬や銃器、あるいは人身売買を狙う犯罪組織がはびこり、メキシコ側では警察も抱き込まれてしまって住民に危害を加えると聞くが、2007年の渋谷区でも立て続けに2つのバラバラ殺人事件が起こって衆目を集めることに。




「勇くんには夢がない」と兄をなじって殺されてしまった武藤亜澄さん(当時20)をご記憶か。
もう1件は、代々木上原のマンションに住んで、外資系金融のエリート社員だった夫のDV・浮気や離婚話のもつれからワインボトルで撲殺してバラバラにしてしまったとされる、こちらは女性が殺す側だったので、より印象が強かったろうか「三橋歌織(当時32)」。

歌織という女も女子大時代に親の仕送りを受けながら誰かの愛人として囲われてたとかで、経済的に男に依存しがちなタイプなのだろうが、亜澄さんの場合も裕福な歯科医の娘として2人の兄とともに庇護を受けながら、「高峯駆(たかみねかける)」なる芸名で小劇団に所属したりグラビアアイドルのオーディションを何度も受けたりしてたのだとか。
ほか、風俗でのアルバイト、愛人や堕胎やリストカットといったことも「夢」の一部として、裁判の過程で他ならぬ家族の口から明かされることに。

母親は親の代から歯科医として現在も幡ヶ谷の自宅兼店舗ビルで開業中(↑画像)。父親も品川区のホテル内で歯科医として開業。2人の兄は既定路線として(年間1千万円ほどかかるので親が開業医でもなければ目指せない)歯科大の、長兄は当時5回生、しかし次兄の勇貴は成績が悪く3浪中となっていた。

遺体の局部には勇貴の唾液が付着しており、おそらく勇貴は亜澄さんの生前からある程度ワイセツ行為をはたらいてたと推測されるし、またそうした兄妹の関係も、家族が証言したような亜澄さんのワガママぶりに拍車を掛けたとみられる。




勇貴は自室に水槽を設置してイソギンチャクとクマノミを飼ってたのだという。
クマノミという魚は体表にイソギンチャクの毒を防ぐ液を分泌することで、イソギンチャクと共生して外敵から身を守る手段としてるのだそうで、裕福な歯科医の家に生まれた我が身と重ね合わせたのかも分からない。

今彼が受刑者として何を思うかはともかく、私が会社を辞めてリーマン・ショックで財産が半分に目減りしても余裕で無職生活を続けてられるのは、たとえネコの額みたいな土地でも親が後生大事に幡ヶ谷の地べたを守って生きた賜物なのだ。
戻りたくない土地であるが、これからも私の心の一部はあの街をさまよい続けるのだろう。

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