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1972 - 札幌冬季五輪

2009-04-30 22:49:54 | メディア・芸能
この前に紹介した1976モントリオール五輪には、現・歪面宰相も射撃の選手として出てるらしい。経費のことなど気にせず潤沢に試射できる、金持ちのぼんぼんのお遊び。そんなのもオリンピック競技。というか冬季オリンピックともなるとすべての競技がそんな感じ。だいたい中南米やアフリカでは競技そのものをやりようがない。バイアスロンなんて寒い国の軍人以外にとって何の意味があるのか。また最近では、アスリートとして一人前になる前から広告塔として使い倒されてしまう石川遼のような珍妙な例も出ているが、この時期のオリンピックの建前としてあった厳格なアマチュアリズム。IOCの会長であったブランデージ氏は「アマチュア原理主義」とまで称され、オーストリアのアルペンスキーのエースで札幌大会でも有力視されたカール・シュランツは、軽微な広告規定の違反で大会から締め出されてしまい「悲運の選手」と呼ばれた。その後はどんどん商業化の流れが進み、TV映えのする競技を中心に、種目も増えるいっぽう。冬季大会も商品価値を増すためか、1992年まで夏季大会の同年に行われていたのを、1994年以降は中間年に行うよう改めているが、前みたいにせいぜい夏季大会の前座でいいでしょ。札幌以外の冬季大会を弊ブログであつかう予定は今のところないっす。



開催国の日本はそれまで冬季オリンピックの優勝は誰もいなかったが、今大会のノルディックスキー70m級ジャンプで笠谷幸生、金野昭次、青地清二が1位・2位・3位を独占して面目を保った。

   

フィギュアスケート女子で3位のジャネット・リン(アメリカ)。規定4位でスタート、フリーでは尻もちをつきながらも1位。失敗しても笑顔を絶やさず演技を続けたことで大会のアイドルに。規定で1位、華やかなフリーでは7位にとどまったベアトリクス・シューバ選手(オーストリア)が優勝。規定の比率を低めて(後に廃止)ショート・プログラムを導入することにつながったとも言われている。



ミュンヘン五輪やメキシコ五輪を特集した日本のグラフ雑誌も入手したんだけど、判型が大きいうえページにまたがった写真が多くてスキャナーにかけられない。そんなところへ札幌五輪をあつかった米LIFE誌も届いたが、こちらは判型が大きいのは一緒でも写真の美しさ、レイアウトのかっこよさが断然光る。上の、垂直に近いようなところを滑ってるリュージュの女子選手とか。
オリンピックも国威発揚の場であったが、この当時は大型のグラフ雑誌も国の豊かさをアピールする場だったみたいね。下の広告のフォード車なんていかにもアメ車。ガソリン食いそう。東側のソ連や北朝鮮も日本語版のグラフ雑誌を作ってて、労働組合の事務室で見た記憶があるが、日本のアサヒグラフとか毎日グラフのレイアウトは新聞報道の延長みたいな感じでLIFEよりは共産圏の雑誌に近い。官僚的というか。「グラフィックデザイン年代記」などでは各国の新聞・雑誌のレイアウトにも時代に沿った新しい提案が見られる。先日、萩尾望都さんの少女マンガのページを丸ごと載せたが、まるで護送船団方式みたいに横並び没個性な新聞・雑誌に比べると、激しい自由競争にさらされてお客さんの心をつかむ新しい試みがたくさん見られるマンガの世界では、市場原理主義が必ずしも合理主義・効率至上にのみつながっていくわけでないこともうかがえる。

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耽美の殿堂

2009-04-12 19:36:28 | マンガ
『孔雀風琴(第一部)』宮谷一彦(けいせい出版)
緻密な画風と詩的な作風から一部に熱烈な読者を持つが商業面では決して報われたとはいえず、雑誌に発表されたまま単行本化されずにいる作品も少なくないので「伝説の漫画家」とさえ呼ばれる宮谷一彦。この『孔雀風琴』=くじゃくおるがん、は1980年のビッグゴールドに110頁ほどが一挙掲載されたが、以降続きが描かれることはなかった。1983年にけいせい出版がA4判の装丁で単行本化。
舞台は第二次大戦中の、山間部の僻地にある奇妙な洋館。かつて領主の御典医として薬物・毒物をあつかってきた高麗(こま)一族のはぐれ者が住むという。幽閉された老婆・沙羅(さら)、その死を待つ相続人・葡萄夫(えびお)、そして2人を魅了する謎の美少年。葡萄夫には秘密があった。その秘密とは初恋の美少女・楼座頌美(ろうざしょうび)を殺害して遺骨を孔雀岩の風穴に散骨したことである。彼の夢はその風穴を利用して鳴るパイプオルガンを作り、美少年たちに弾かせるという。その目論みどおりの、地元に住む絶世の美少年を見つけたはいいが、沙羅もまた美少年の肉体に老いたる執着心をたぎらせる…。

  

心をわくわく躍らせるものが少なくなってきている。年齢のせいばかりではない。テレビもラジオも映画も演劇もろくでもない。多数派のお客に媚びるようなものばかりで冒険しない。多数派といっても、自民党みたいな比較多数、創価学会みたいなマルチ多数に過ぎないのに。
送り手に新陳代謝がなく、昔の名前でいつまでも出ています。コサキンの最後の2年ほど、あるいは志村けんさんの深夜にやってるコント番組の劣化のひどさ。昔はさあ、コサキンを毎週録音して、それをさらに面白いところを編集したカセットをいっぱい作ったんですよ。『志村けんのだいじょうぶだぁ』もビデオ録画して、面白いところをダビングして持ってます。「すごい芸者」とか「ひとみ婆さん」とか。今は、そこまでして保存しておきたい番組なんて皆無。保存どころか、見たり聞いたりすることさえいやになってきて、テレビもラジオもあんまし付けない。特にラジオは聞かなくなったね。
これから先「保存したい!」とまで思わせる番組が2度と現れるんでしょかね。昨年の姫盗人誌の読者コーナーが「あなたの持っている貴重な本は?」というテーマで投稿を募ったところ、下のような意見が。

「本ではありませんが自分がおもしろいと思ったエロマンガは全部切り取ってますよ。単行本が出る前に雑誌自体がなくなっちゃうことも多いのでうっかり捨てられませんね」─山梨県・ほえほえ

「コミック化されてない漫画が載っている本」─長野県・ふさおやじ

同感至極。うっかり捨てられないのだ。『孔雀風琴』などは一度でも単行本化されたので恵まれてるほうかも。もちろん買ったんですけどさ。オラその後その本を処分してしまったのよ。今持ってるのは最近ヤフオクで落札したもの。読み返してみると、あまりの希少な世界観で驚くほどすごい。オスカー・ワイルドとかニジンスキーが生きてたら見せたいよ。いくらA4判でかさばるといって、これを捨てるかなあ…。同じ年に出た、どことなく孔雀風琴の美少年と面立ちもかぶらないではないマーク・アーモンド氏の『Torment and Toreros(苦痛と闘牛士)』のLPレコードは中身のレコード盤を捨ててジャケットを保存してるというのに。中画像・右はその裏ジャケ。「処分する」と「保存する」についての過去の自分の判断が信じられない。
孔雀風琴なんて題材が美少年じゃないですか。女性が描くのと異なって、男性が描くそうした世界は、ただでさえホモホモとして差別されることもあるし、ましてホモ・ゲイのみなさんは中性的な美少年なんてほとんど興味ないので、作品として残るのはたいへん貴重。そうしたことオラはわかってたはずなのに、やっぱし国内のマンガを軽んじて、舶来の音楽を重んじる、西洋かぶれな面があったんでしょか。

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『グラン・トリノ』

2009-04-09 23:15:13 | 映画(映画館)
Gran Torino@有楽町・よみうりホール, クリント・イーストウッド監督(2008年アメリカ)
監督業でも名高い名優クリント・イーストウッドが、アカデミー賞の主要4部門を制した『ミリオンダラー・ベイビー』から4年ぶりに自ら主演する『グラン・トリノ』。これで俳優業は最後とも伝えられており、それにふさわしい入魂の一作ともいえよう。
妻に先立たれ、一人暮らしの頑固な老人ウォルト・コワルスキー(クリント・イーストウッド)。朝鮮戦争の戦場も経験した彼は人に心を許さず、無礼な若者たちを罵り、自宅の芝生に一歩でも侵入されればライフルを突きつけることさえ。そんな彼に息子や孫たちも寄り付こうとしない。フォード車の工場を退職してからは、自宅を修繕し、ビールを飲み、月に一度行きつけの床屋で散髪する、同じ日々の繰り返しだ。
やがて彼の近隣に、中国から東南アジアにかけて住む少数民族モン族の一家が引っ越してくる。その家の学校も行かず仕事もない少年タオ(ビー・ヴァン)が不良のイトコから命令されてウォルトの大切にするヴィンテージ・カー《グラン・トリノ》を盗もうとして失敗したことから、二人の不思議な関係が始まる。ウォルトから与えられる作業をこなすうち男としての自信を得るタオ。素直なタオを一人前にする目標に喜びを見出すウォルト。しかしタオは愚かな争いから、家族と共に命の危険にさらされる。彼の未来を守るため、最後にウォルトがつけた決着とは──?



二浪してまでも慶応大学へ入る。入学の際も就職の際も、2才も年下のやつからタメ口を聞かれて不快かもわからない。しかし勉学だけでなく世知にも長けた彼のことである。長い目で見ればその程度のことは簡単に取り返してお釣りが来るくらい社会的成功者となっていよう。そんなS藤くんのビジネスモデル。
チャパツに染めて軽くて奇矯な発言でTV弁護士としてキャラ付け。発言が行き過ぎても太田光夫妻の庇護のもと涙目で謝罪してまでもTVには出続ける。そうして選挙で圧勝して知事として巨大な権勢をふるう。そんな橋下ゴキブリのビジネスモデル。
人生は一度きり。そんな人生で成功するために、彼らは「賭けた」のかもしれない。必勝の人生戦略。S藤くんには軽い、橋下には極度の、それぞれむかつきを覚えるけれども、逆に一度きりの人生で大学を出てまでフリーターになってしまう『遭難フリーター』の男の子、大学を出てまで風俗嬢・AV女優になってしまう「音楽と風俗」の女の子には心配になってくる。彼らだけの問題でなく、世代的に多少なりともその傾向はありましょう。安直で無計画。
そして映画というのも風俗産業である。2時間ほどの演技サービスでお金をいただく。やり直しのきかない人生を生きるお客が、必ず2時間で決着する夢の世界を消費しにやって来る。そしてそれは必然的に、中でもハリウッド映画などは、まるで風俗嬢のようにフリーターのようにゲームのように安直なご都合主義の現実ばなれしたものになりがち。人生を生きるのになんら寄与しない。むしろ弊害が。またそういう映画ばかり興行会社が選んでロードショー公開するわけなので、オラ最近ぜんぜん見たい映画がなくて。
そんなところへ先日レンタルDVDで見た『メルキアデス・エストラーダの3度の埋葬』は、少なからず斬新な映画のかたちを示してくれたような。なかんずくメルキアデスを殺してしまったため主演のトミー・リー・ジョーンズに引きずり回される国境警備員の男の目線で見ると。浄化の旅、救済の旅、成長物語としても見ることのできるロードムービー。
またそれは国境地帯のさまざまな暮らしをも伝える。『グラン・トリノ』もまたそうした多民族国家アメリカの姿を映すタペストリーとして楽しむことができる。黒人、ヒスパニック、ユダヤ系、白人でもアイルランドやらポーランドやら、そして最近ぶいぶい増殖してこの映画の眼目ともなるアジア系~それら出自をからかう人種ジョークの連発。前半は客席からも笑いが絶えない。アメリカでは人種ジョークが挨拶代わりというか人付き合いの潤滑油としても機能してるような。それが一転、中盤以降は、一つの暴力が次の暴力を生み、またそれが次の暴力を生む、次々と雪だるま式に大きくなってゆく、映画的には暴力が終わりなく続いてくれたほうがランボー2だのダーティーハリー2みたくいつまでも続編を作れていいかもわからないが、人生としてはいったいこれでいいものか心配になってくる、それが極度に達したところで…

…まったく驚くような終わり方をする。特にクリント・イーストウッドがこれをやったというところに意味がある。彼は78歳になっても前進している。少なくともこれは《2時間で完結する娯楽産業》の範疇を超えている。ウォルト・コワルスキーのすべての過去が、そしてタオ少年のすべての未来が凝縮されて、映画という形で交錯している貴重な瞬間といえるのではないだろうか。

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1976 - モントリオール五輪

2009-04-08 22:25:24 | メディア・芸能
兵庫県知事が「関東で地震が起きてくれれば(関西の経済にとって)チャンス」などと失言したのに対し、東京都知事の石原慎太郎は「役人の浅知恵でバカ正直」と評したのだとか。しかし、その石原が「北朝鮮のミサイルは近くに落ちてくれたほうが国民の危機感が高まってよろしい」とかなんとかほざいたそうじゃないですか。おまえも同じレベルだよ。ほんとうに知事というのは、いや知事に限らず政治家というのは最低最悪の人間のためのお仕事なのねん。
銀行事業の失敗、ナチ親衛隊みたいな教育委員会、小児病院の閉鎖など福祉切り捨て等々、彼の失政を数え上げればきりがないが、オラにとってみても唯一評価できるのが東京マラソンを男女共催・エリートと市民ランナーも同時に走らせて賞金も出すちゃんとしたマラソン大会として改めたことでしょかね。
オリンピックは来ても来んでもどっちでもかまわないが、2016年は南米初となるリオデジャネイロにやってもらって、20年でも24年でも28年でも続けて立候補すれば??それでは石原の寿命が尽きるので困る??それよりお金がない??
ほんとうにオリンピックは金食い虫。1976年の、このモントリオール五輪など、何十年も払い続けなければならない負債を市民に残したんだとか。この次回は共産ソビエトの威信をかけたモスクワ、さらに次回は商業化・肥大化の進んだロサンジェルスなので、モントリオールが最後の古きよきオリンピック大会だったのかも。ただし前回のミュンヘンでイスラエル選手団に対し悲惨なテロ事件が起こった流れを引き継いだ政治の影~さらに後まで引き継がれるボイコット問題がこのときもオリンピックをゆさぶり、ニュージーランドのラグビーチームが人種隔離政策をとる南アフリカへ遠征したことをめぐりアフリカ諸国の多くが参加しなかったのだとか。
そんなことオラぜんぜん覚えてないけど、コマネチ!!そう、当時生きてたほとんどの人は、この大会をコマネチの大会として記憶してるはず。ほっそりして手足の長い少女体型で、妖精のように舞うルーマニアの体操選手ナディア・コマネチが10点満点を連発!!女子個人総合など3つの金メダルに輝いて大会の話題をさらった。
彼女は次回1980年のモスクワでも活躍。そのころツービートの漫才でたけしがコマネチ!!のギャグを放ったのである。たけしがギャグに用いた体操選手はコマネチだけではなかった。ネリーキム!アンドリアノフ!ディチャーチン!ケンモチ!!男子の選手ではアクションが異なる。ご記憶でしょか。あのころのビートたけしはお笑い芸人としてキレがあったね。今はまあ政治家の同類というか。
さて1976年のオラは小学6年生、一学期の終わる直前に横浜から東京へ引っ越して小学校も転校しており、夏休みの初めのほうで行われた泊りがけの課外授業にも参加、新しいクラスへ溶け込むのに必死でオリンピックどころではなかった。なるほどコマネチは話題を呼んではいたが、小6のオラにとっていくらか年上のお姉さんなので、「少女らしいかわいらしさ」と言われてもピンと来なかったものでした。けれども今になって写真で振り返ってみて、ようやく新鮮な感動を覚える気がします。



長いストライドでぐんぐん飛ばす、キューバのアルベルト・ファントレナが陸上男子400mと800mで優勝。五輪でこの両種目を制したのは他に例がない。



男子10000mでは、8年後ロス五輪でマラソンを制するカルロス・ロペス(ポルトガル)が先頭を引っぱるものの、終盤にフィンランドのラッセ・ヴィレン(後方の青いユニフォーム)にかわされ2位。ヴィレンはミュンヘン大会に続き5000と10000mを制したほかマラソンにも出て5位。



男子体操・団体総合での加藤沢男の平行棒。大会直前に笠松茂を盲腸炎で欠いた日本は、団体の規定を終えてソビエトにリードされ、しかも団体自由に入ると藤本俊が足を痛めて残る5人が1人も失敗の許されない状況となったが、土壇場で踏ん張り逆転優勝した。しかし個人総合では加藤の3連覇はならずニコライ・アンドリアノフ(ソ連)が王座に就いた。



女子体操、幅10センチの平均台でもまるで平面で演技しているように宙返りを連発、着地もピタリと決めて10点満点のナディア・コマネチ(ルーマニア)。個人総合のほか種目別の平均台と段違い平行棒を制した。



個人総合の表彰式を終えて退場する3選手。前方から3位ミュンヘンの覇者リュドミラ・ツリシチェワ(ソ連)、1位コマネチ、2位ネリー・キム(ソ連)。女子体操は全般に少女体型でローティーンの選手が目立つようになってきた大会であった。



日本期待のローティーン選手、岡崎聡子。団体総合の段違い平行棒では9.80を出すなどがんばったが個人総合30位にとどまった。それにしてもこの体型の差…。その後の彼女の転落人生もまた悲しみを誘う。



ボクシング・ミドル級の準々決勝、優勝したマイケル・スピンクスの右の強打が対戦相手のアゴを直撃。兄のレオン・スピンクスもライトヘビー級で優勝。ともにプロに転向してからも華やかな戦績。シュガー・レイ・レナードもこの大会で優勝している。



予選リーグも、準決勝の韓国戦も、決勝のソ連戦も1セットも落とすことなく圧倒的な強さで優勝した日本の女子バレーボール。エース白井貴子の強烈なスパイクが祖国?韓国のブロックを突き破る。このときから2008年・北京の女子ソフトボールまで球技の優勝は遠ざかる。菅山かおるとか見てると、選手のルックスにも隔世の感が…。─(写真はすべてアサヒグラフのモントリオール五輪を特集した増刊号より)
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旧作探訪#55 『ペーパー・ムーン』

2009-04-05 21:31:45 | 映画(レンタルその他)
Paper Moon@レンタル, ピーター・ボグダノヴィッチ監督(1973年アメリカ)
ライアンとテータムのオニール父娘が共演し、デビュー作となるテータムは父親を食うような快演で1974年(1973年度)のアカデミー賞・助演女優賞を最年少で獲得。映画も大ヒットとなった。
1935年、大恐慌下にあるアメリカ中西部。未亡人をだまして聖書を売り付けて小金を稼ぐ詐欺師のモーゼ(ライアン・オニール)が、亡くなった恋人の葬儀で彼女の遺児アディ(テータム・オニール)と出会う。彼はいやいやながらアディを親戚の家まで送り届けることになったが、アディは大人顔負けに頭の回転が速く、モーゼの詐欺を手伝ったりしながら旅を続けることになり、いつしか2人の間に本物の父娘のような雰囲気が生まれてゆく。
しかし、モーゼの前にダンサーだという若い女トリクシー(マデリーン・カーン)が現れる。すっかりトリクシーに惚れ込んでしまったモーゼを見て、アディはこのままでは自分が見捨てられると不安になり、思い切った行動で2人の仲を裂くことに成功する。
やがてモーゼは酒の密売人を見つけ、取引を持ちかけると商談は成立。モーゼは事前に密売人の酒をごっそりと盗み出し、それをまた密売人に売りつけて大儲けしたのだった。しかし、密売人の兄が保安官で、猛スピードのパトカーで彼を追ってくる…。



「まいたん朝メシ何食いてぇ!?」 「甘いパン甘いパン。」
『闇金ウシジマくん』に出てくるたくさんの迫真な言葉たちの中でも、ギャル汚くん編において“エンコーまいたん”なる16才の女が言う「甘いパン甘いパン」はひときわ印象に残る。最近のわけわからない若い女たちの体は甘いパンでできてるのでしょか。
彼女の相棒、ネッシーこと根岸裕太。まいたん16才を買春するのはいわゆる「淫行条例」に触れるので、根岸から恐喝されることになる。あらかじめ仕組まれた美人局。それもまた犯罪である。根岸よりさらに強く恐ろしい者が現れて彼を恐喝したとしても、根岸は警察に駆け込めない。その末路=意識不明の重体…。
この映画の中間部、トリクシーという気のいい白人娘が出てくる場面で、テータム演じるアディは、トリクシーに安い金で使われる黒人女中とも共謀して、まるで美人局に近いようなことをやってのける。モーゼは、亡くなったアディの母と交渉のあった3人の男のうちの1人で、アディの実の父である可能性もわずかながらある。アディによればモーゼは「アゴの線が似てる」とのことだが、より似てるのは詐欺師としての演技力とかクソ度胸のほうかも。2人が組むことでモーゼの聖書売り商売はわりと順調に進むのだが、終盤における酒の密売人をだます仕事は相手が悪かった。禁酒法の余波が残る中西部の町で、保安官と組んでいる(映画では密売人と保安官が一人二役)のだ。最後に金を奪われてたたきのめされるモーゼであったが、よかったよ、それだけで済んで。そんなやつを相手にしたら命を取られるのが普通じゃないでしょかね。悪事はなかなか引き合わない。
ところがアディは、旅の目的地である伯母の家には望みのピアノもあったりして、安逸な暮らしが保証されてるのにもかかわらず、文無しの詐欺師モーゼと2人で旅暮らしを続けていくことを選ぶ。安逸な暮らしより、ヒリヒリした浮き草稼業を選ぶ、いかにもハリウッド映画的な情愛ファンタジーともいえよう。
またそうした現実ばなれしたファンタジーにとどまるようでいながら、一歩超える印象を残すのはテータム・オニールのあまりに登場人物になりきった存在感。ライアン・オニールは別に娘を女優として売り出すつもりは当時なかった模様であるものの、「大人顔負けの、しかもあんましかわいくない女ガキ」というぴったりの雰囲気をボグダノヴィッチ監督に見込まれて出演したんだとか。
そしたらアカデミー賞の今も破られない最年少記録。映画もヒット。彼女がそのままハリウッド女優の道を進んだことは言うまでもない。人が憧れるような美貌ではないのに。オラ中高生くらいのとき買ったロードショー誌とかには、ティーンの人気女優として『がんばれ!ベアーズ』とかに主演するテータムの姿をよく見かけた。年はオラとか杉田かおる、薬師丸ひろ子などより学年1コ上。まあ同年代。しかし当時から、女優としてのセクシーさとか華やかな魅力には欠けてた。作品としても『ペーパー・ムーン』を超えるものは一作としてない。子役として成功しちゃうと、その後の脱皮がむずかしいとはよく言われるよな…。
テニスのジョン・マッケンローと結婚して3児を成すも、麻薬におぼれて離婚。親権はマッケンローが持ったとか。近年は脇役で米TVドラマに出演してるみたいだけど、昨年も麻薬で逮捕されたことが報じられた。映画の最後で、伯母のもとで安穏と暮らすよりモーゼとの浮き草稼業を選んだ、まさにそれを地で行くような人生。『ペーパー・ムーン』の撮影時9才、アカデミー受賞時10才、残りの人生のほうがぜんぜん長いのに生涯ベストを記録しちゃって。
浮き草稼業のリスクを引き受けるテータム・オニールと比べ、関根勤の娘さんが芸能界入りしたのはどうにもマルチ商法的に気持ち悪くて、コサキンでずっと尊敬してきたのにTVで見かけると気がふさぐ。アメリカに留学して、どこやらの大学を首席で卒業したとも聞く才媛である。その能力とか親譲りの気質を芸能界とかじゃなくて、腐り切った外務省とか、あるいは生き馬の目を抜く総合商社とかで開花させてほしいと思ったのはオラだけではあるまい。

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