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1983 - ヘルシンキ世界陸上

2011-09-14 23:13:10 | メディア・芸能
先ごろ韓国・テグで行われた陸上競技の世界選手権大会は、数えて13回目。第1回大会が行われたのは1983年のフィンランド・ヘルシンキで、当時のオリンピックでは国の都合でボイコットを余儀なくされる選手が相次いだので、そうしたことに左右されず「真の世界一は誰なのか」を決める大会として注目を集めた。
そして、その中でスターの座に就いたのは、男子100m、4×100mリレー、走幅跳と、出場した3種目すべてで優勝したカール・ルイス(アメリカ、↑写真)であった。
ちょうど、1982年から84年にかけ、マイケル・ジャクソンが『スリラー』のアルバムから7枚ものシングル盤を次々と大ヒットさせて、キング・オブ・ポップの称号を得たことと時期的に重なり、印象深い。
それは、黒人でも優秀なら大ヒット商品になりうる─という新時代のアメリカ消費文明を最大限アピールするもので、この大会で最も多く金メダルを獲得したのは東ドイツではあったが、やがてソ連・東欧の共産圏の体制がくつがえされる序章ともなったのではないだろうか。
日本でテレビ放映権を獲得したのはテレビ朝日で、次大会からは日本テレビ、現在ではご存知・織田裕二くんのTBSが中継している。プロ野球、大相撲、ボクシング、プロレスといった年中やっているプロ・スポーツしかなかった時代、この大会では残念ながら日本代表選手の影は薄く盛り上がりに欠けたものの、国際陸連やスポンサー企業やテレビ局に、アマチュア・スポーツの世界大会も広告的に価値づけてコンテンツ化してゆくことができると確信させる、またとない試金石だったろう。 ─(写真はすべて陸上競技マガジン1983年10月号より)



女子800mはヤルミラ・クラトフビロバ(チェコスロバキア)が他をまったく寄せつけず優勝。400mでも初めて48秒の壁を破る世界新記録で2冠。彼女は現在も800mの世界記録保持者で、100・200mのジョイナー(米)、400mのコッホ(東独)とともに冷戦下でドーピングが蔓延したころの“灰色の記録”が今も破られていない



翌年にロス五輪を控えたアメリカのホープ、メアリー・デッカーは、3000mに圧勝したあと、1500mも積極果敢なレースを展開、ザイツェーワ(ソ連、右)との激しいスパート合戦を制して中距離2冠



90年代まで長く活躍したハイケ・ドレクスラー(東独→独)は、18歳のこの大会が世界デビュー。旧姓のダウテとして走幅跳に優勝



2011年大会で金メダルの室伏広治の父、室伏重信がハンマー投げに出場したが予選落ち



女子やり投げで6投目に70m82を投げて逆転優勝したティーナ・リラク(フィンランド)。開催国に金メダルをもたらし観衆も熱狂



先駆者として競技の水準を引き上げたグレテ・ワイツ(ノルウェー)が女子マラソンの初代女王に。男子も第一人者のロバート・ド・キャステラ(豪)が勝つ順当な結果



日本代表選手はほとんどが自己記録におよばず、入賞ゼロという不甲斐ない成績。当時世界のトップ級だった数少ない種目、男子マラソンでも西村義弘35位、喜多秀喜42位(↑写真)、川口孝志郎途中棄権と惨敗。これがビッグゲームでの実力で、よくいわれる「モスクワ五輪(80年)に瀬古が出ていれば金メダル」というのも、私見では難しかったろう

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