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ソータイの不幸

2015-11-09 22:05:54 | 読書
「僕は、女房と子供が3人のほかに、僕の母親と女房の母親を養わなくちゃならんのですよ、ところが、失業したでしょう。2千円の退職金では、三月ももちませんよ。そこで、この退職金を資本に、闇屋をやろうと思ったんです。工場の重役や課長連中は戦争が終ったどさくさまぎれに、ヂャンヂャン物資を家庭へ運んでいるし、将校や下士官連中と来たら、もっとひどいと言いますよ。ところが、そんな連中は結構食うに困らないのに、われわれはこのままじゃ餓死してしまいますよ。絶対闇のものを食べないことにして、配給だけでやって行くと、必ず病気になると、医者が言ってますからね。だから、闇のものは生命維持のために必要欠くべからざる必需品です。それだのに、われわれは高くて買えない。で、僕はいっそ闇屋となって、ほかの闇屋より少しでも安く売ることにすれば、人もわれも益するわけだと、思ったんですよ」 ―(マイク・モラスキー編『闇市』より、「訪問客」織田作之助)


「おぼろげながら今掴めて来たのだ。俺が今まで赴こうと努めて来た善が、すべて偽物であったことを。喜びを伴わぬ善はありはしない。それは擬体だ。悪だ。日本は敗れたんだ。こんな狭い地帯にこんな沢山の人が生きなければならない。リュックの蜆だ。満員電車だ。日本人の幸福の総量は制限されてんだ。一人が幸福になれば、その量だけ誰かが不幸になっているのだ。丁度おっさんが落ちたために残った俺達にゆとりができたようなものだ。俺達は自分の幸福を願うより、他人の不幸を希うべきなのだ。ありもしない幸福を探すより、先ず身近な人を不幸に突き落すのだ」 ―(同『闇市』より、「蜆」梅崎春生)


闇市 (シリーズ紙礫)
マイク・モラスキー
皓星社


この小説集を読んでみると、戦争中鬼畜米英と叫んでいたのが豹変して占領軍を進駐軍と言い換えて大歓迎した、というのは直接当時を知らない世代ならではの錯覚で、戦争が長期化するにつれ、国民は国の虚勢を見抜き、ヤミ経済を発達させ、国の統制は有名無実化していったことが如実に知れる。

戦前~戦中~戦後はつながっていた。
「訪問客」の男は作家志望で、稚拙な小説を携えて主人公の下を訪れていたが、敗戦・失業に伴い、家族を養うため闇屋に転身する。いわく「工場の重役、いや将校や下士官はどさくさにまぎれてもっとひどい隠匿・横流しをやっている」
お上意識や同調圧力が強いわが国では、みながやっているのなら、と周囲をうかがいながら違法なヤミ行為に手を染め、やがて多数派となってゆく形勢。逆にもしそうなっていなければ、敗戦後の極端な物資不足やハイパーインフレに耐えられない筈で、日本人の本能的な生きる力が発揮されたとみることもできよう。

この生きる力が、極限状況では怖ろしいエゴイズムに変ることもありうると示すのが、全篇中の白眉「蜆(しじみ)」だ。
善良な会社員だったのが、いくつか想像を絶する体験を重ね、「幸福の総量は制限されている。他人の分を奪えば、自分の幸福が増す」との認識に至るのだが、話はそう単純でなく、苦く、複雑な余韻を残す。




キングコング西野はスター意識というか「チヤホヤされたい」気持ちが強く、MCに生殺与奪の権を握られ、常に相対的にしか輝けない「ひな壇芸人」には自分はなれないと考えていたそうだが、2013年11月のアメトーク「好感度低い芸人」、14年1月の「ギスギスしてるけど(キングコング)同期芸人」を通じて持ち味が際立ち、ひな壇含めちょっとした再ブレイクを果たした。




13年11月のロンドンハーツ「ガチ7」では、当時ロンハーだけが推していることになっていないか!?と疑念を生んだ女性タレント7名が本音をぶつけて生き残りを図る。

スタジオに顔を揃える以前は「賞味期限切れ」の小林恵美、スタジオでは「枕営業疑惑」の尾崎ナナと、1人に攻撃が集中する傾向も興味深いものの、今見返すと、例えば野呂佳代が「アイドル的でかわいい」自己認識と異なる庶民的なデブ・キャラで親しまれるとか(尾崎の「腹黒キャラ」も)、やや不本意でもニーズがあるなら受け入れて楽しくやろうという前向きさが好ましい。




「そうだね、昔の奥さん連中が、あたくしのことを下品だの、ひとが変っただのと言うけれど、ちっともあたくしは、変ってやしないよ、これが母さまの本性なんですよ、やきとり屋のおかみさんのような、誰はばからない、気らくな生活が、性にあっているということが、やっとわかってきましたよ」

「長官夫人として、威張ってすました生涯を終ってしまえば、母さまは、人間らしい自覚なんて、無しに死ねたかもしれない、だけど、うんと悲しい目に遭ったり、ほんとに嬉しいことに打つかったり、骨を折った甲斐があったり、それからまた、とんでもない裏切りをされたり、だまされたり、ばかにされたり、ずいぶん、いろんなことに素手で触れていらしたでしょう、そして、その方がどんなに生き生きと人間らしい感情を呼びさましたか、お感じになったでしょう。元もと母さまは鋭敏な質なんだ、人間らしい感情の豊富な人なんだ、それが眠らされていたんじゃないかな…」 ―(同『闇市』より、「蝶々」中里恒子)



最後に収められた「蝶々」で、闇市のやきとり屋を切り盛りし、巧みな客あしらいで評判を呼ぶ、かつては鎮守府 の長官夫人だった女。
戦争に負けると同時に、「家父長制」みたいな因習にもひびが入り、女たちが生きる本能を全開にする。

株式市場の時価総額は、相場が上がれば増大するが、といって換金する人が続出すれば一挙に失われる。株価が上がりますというのは、国が「必ず戦争に勝ちます」というような、幻想の一種だ。国民がヤミ経済に走れば、もし戦争は和平に持ち込むとしても、財政は破綻し、GDPも円も底値に近づく。

「幸福の総量」という怖ろしい概念を知らされ、ついアメトークやロンハーの個人的再放送、あるいは『闇金ウシジマくん』スーパータクシーくん編も、脳裏をそれがかすめながら楽しむこととなったのだが、なるほど日本人というのは現実的・相対的な人生観の持ち主だと痛感する。

かつて「革命」を謳った学生運動が盛んだったり、東京都知事などあちこちで革新系の首長が選ばれたのも、背景として、人口が増え、経済成長し、幸福の総量が増えると見込まれたからこそ、理想主義に目を向ける余裕があったのではと勘繰りたくもなる。

幻想も、信じる人が多ければ現実だ。
転じて現在は、スーパータクシーくん編の諸星ら運ちゃんと、ガールズバーの女のように、若者や女から夢から覚めてゆき、中高年や男は手遅れになるまで夢にすがり続ける―
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