Vision&Education

木村貴志の徒然なるままの日記です。

結局

2017年01月04日 | Weblog
結局、
私は教育に志す一書生に過ぎないのです。

教育は、
出来ない人間にも、
慈愛の心で向き合い、
その成長を共に喜ぶところに
真骨頂があります。

だから、
どんな非行少年でも、
不登校の子供でも、
学力が無い子でも、
その成長のために力を尽くすことに、
いささかも苦痛を感じたことはありません。

それは、
私自身が出来ない人間であったし、
今もそうだからだと思います。

今、多くの出来る子供たちや
大人たちに囲まれていて感じることは、
社会全体を考える力が弱くなり、
自分の範囲を守ることに汲々としているということです。

私が苦痛に思うのは、
そうした視野の狭い、
いわゆる出来る人たちが、
出来ない人たちの心を理解せずに、
平気で非難したり、圧力をかけたりすることです。

若者にも、大人にも、
それが多くなっていることを感じます。

さて、そこで私はどうすべきか考えます。

魯山人に言わせれば、
「わかる奴はいっぺん言えばわかる。
 わからない奴には、なんべん言ってもわからない。」
ということになるのでしょうが、
はてさて、どうしたものか。

共感できる同志を求めるしかないのかもしれません。

しかし、
結局、私は愚かですから、

可能性を信じて、
山を一人で削って動かすようなことを
し続けるのだと思います。







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